こんなこと、あんまり言ってはいけないのかもしれませんが・・・
お寺には、様々な悩みを持って来られる方が多くいらっしゃいます。
心の悩み、からだの悩み、仕事の悩み、家族の悩み、勉強の悩み、人間関係の悩み・・
大小あるかもしれませんが、
誰しもが、同じような悩みを持っているのでは、と思います。
赤ちゃんが、この世に生まれ落ちた時に泣くのは、
この世が厳しい世界だからで、この世に生を受けたのを悲しんでいるからだ、と
聞いたことがあります。
それくらい、きっと、この世は辛く厳しい世界なのでしょう。
同じ悩みを、私たち人間は2000年も前からずっと持っています。
お経をみても、その悩みに対する解決法を説いて教えてくれている、といった感じです。
うまく言えないのですが、仏教では、
その悩みに対して、諦める、少し離れて観る、と言っています。
執着、煩悩を捨てる、ということですね。
諦める、というと聞こえが悪いのですが本来は仏教用語だそうで
決して、悪い意味とは限らないそうです。
何もしない、ということではないのです。
その悩み、煩悩から、距離をおいて離れて観る。
そうすることで、煩悩にとらわれない自分でいられる。
逆を言えば、悩みを作っているのは自分、というわけです。
私も、仏教初心者ですが、この話を聞いた時に
気持ちが、ストン、としたのを覚えています。
お経には、その、ストン、とくることがたくさん書かれています。
私は、そんな仏教の教えがとても好きなのです。
まぁ、それがすぐに実践できればいいのですが、、、そのへんが俗人というものでしょうか。
「こうしたい、ああしたい」「こうなればいい、ああなればいい」と、
私たちは日々の生活の中で、色々思うわけです。
それが悪いわけじゃない。そう思わないと向上もしませんから、
その気持ちも大切ですが、それにとらわれすぎてはいけない。
とらわれたときは、諦めてみる。
そうすると、ふと、気持ちが楽になるような。そんな気がしませんか。
もちろん、そんなことを言ってられない、重大な悩みもあるでしょう。
その気持ちも、すごく分かります。
でも、お寺にいて、いろんな方に会うと思うのです。
みんな、幸せなんじゃないかなぁって。
反論もあるかもしれませんが、だって、着るものもあって、
食べるものもあって、この山寺まで来られる元気も車もあって。
一人で来られない人は、連れてきてくれる誰かがいてくれて。
そして、聞いてくれる人もいる。
お寺でお話された方は、だいたい、すっきりして帰っていかれます。
お寺は、そういう場所であっていいと思うのです。
この山寺の存在が、「あそこへいけば、」と思ってもらえる活力になれば
お寺の役割って、あるのじゃないかな、と思うわけです。
それが、仏教やお寺の本来のお仕事、と思うのです。