受け継がれて、生き続ける

玉泉寺

2021年12月07日 11:43

最近、思ったこと。

ある人が死んでしまったとして
その影響が受け継がれる、引き継がれる、ということがあります。

それは、肉体はいなくなっても
その人は、生き続けていることと同じだと思います。


おやき名人で、生前、私におやきの作り方を教えてくれた
ご近所の千代子ばあちゃん。
そのレシピを見ながらおやきを作るときは
確実に千代ちゃんが私の中に生きているし、
住職のお母さんで、玉泉寺を長年支えていた
摩耶子ばあちゃんは、私は会ったことが無いけれど
色んな人から、摩耶子さんの話を聞いていると
私のお寺に対するおつとめの姿勢は
摩耶子さんをお手本にしている節があります。

そんな時は、千代ちゃんも、摩耶子さんも生きている気がするのです。

その内容は大きい、小さいではなく
例えば、子供がいれば、
その子供たちに、自分の伝えてきたことや教えることで
自分がいなくなった後も、何かしらの影響を与えているだろうし
子供でなくても、周りの人たちや関わりのあった人たちに
たとえ小さなことでも、やっぱり、
教わったことや、話していたことなど、受け継がれていく、
という事があると思います。

仮に、自分が思うように生きられず、進まないと思っても
どこかで自らの影響を受けた人が、何かを成すこともあるかもしれない。  
生きるかもしれない。

人は互いにそうした中で繋がりあって生きているのだと思います。

自分がいなくなっても、些細なことでも誰かの中に生き続けるかもしれないし
誰かがいなくなっても、自分の中で生き続ける。

だから、自分が生きていることを虚しく感じることはないし
希望を持っていいと思うのです。




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