偉大なる大般若経の風

玉泉寺

2022年05月24日 17:06

本来なら5月5日に行う予定である大般若会。

今年も中止となりましたが、大般若経典の補修は毎年しなければなりません。
やろうやろうと出しておいて、忙しいまま後回しにしておりましたが
コロナ自粛の一週間、良い機会と思い
子供たちを本堂で遊ばせながら、カビ臭い経典を広げました。


ブログで以前も紹介した、大般若経典ですが
江戸初期、四代〜五代将軍、1670〜80年の時代、
鐵眼というお坊さんが全国行脚し勧進をして
印刷(といっても、この時代は木版でしたが)技術を向上させ、
大般若経典の普及に尽力したのであります。

玉泉寺に残されている大般若経典にも
延宝五年(1677年)五月、薩州鹿児島 市左右衛門、彦兵衛 六銭
などと記されています。

思うに、鐵眼和尚が薩摩まで勧進に行き、市左右衛門や彦兵衛さんが六銭の
寄進をしたのだと思います。
六百巻ある大般若経典の中には
薩州の他、肥後、備前、備後、越前、讃州讃岐、尾州尾張、武州武蔵、などなど…

各地寺院の名前やその座主、はたまたその土地土地で市左右衛門や彦兵衛のように寄付したのであろう老若男女の名前が残されているのです。
その多くは田舎の貧しい人たちなのであろうと思います。

五代将軍綱吉の母、桂昌院の発願によって本山護国寺は造られたそうですが
大般若経典はそのような時の権力者の莫大な財力をもってつくられたものでは決してないということです。

そこにまた、しびれます。
一つ一つ、衆生の声を積み上げていった感があります。

鐵眼和尚が全国を周り、これほどまでに寄付を得たということは
どれほど、都から離れた田舎の人々でさえも大般若経を聴きたがっていたし
読みたがっていたのかと思います。



そして、その歴史を知るとともに。
今、手元に江戸初期の経典が有るということが信じられない思いです。

かび臭いけれど、少しもよれていない、丈夫な和紙に
しっかりと濃く刻まれた一つ一つの文字は、
江戸初期に鐵眼和尚と、寄進した彦兵衛さんたちの思いによって
令和の時代に生きる私達にも大般若経典の功徳を届けてくれている。

大般若経典をめくる風をあびると一生の功徳を得る、というのですが
昔々の人々の魂の風が、大般若経典にのっているかのように思えるのです。


京都奈良といった古都であれば、こうした経典などはざらにあるのでしょうが
この山深い玉泉寺にも残されているのは、有り難いことだなと感じるしかありません。

副住職と二人、五月の爽やかな風に吹かれながら
本堂にて大般若経典の補修ができることが幸せだなぁと思うのでした。








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