供養するということ

2015年03月07日

東日本大震災から、もうすぐ4年が経ちます。

4年前の3月11日、お寺では、やはり護摩の準備の真っ最中でした。

私は、まだお寺には住んでいなかったので4年前のその日、お寺にはいなかったのですが
副住職と、昨年亡くなった檀家さんのおじいちゃんが作業をしていました。

長野市内でもすごい揺れがあって、テレビをつけたら
あの大津波の映像が飛び込んできました。

本当に、目を疑いました。信じられない光景。
多くの命が、一瞬にしてさらわれていきました。
あの映像を思い出すだけで、胸が痛くなります。

昨日まで元気に生きていた人が、突然いなくなる。
災害もそうですが、事故や自殺などで突然、大切な人をなくされるという
そんな話をお寺にいると、耳にしたりします。
たとえ、突然なくす、ということでなくとも
大切な人がいなくなるというのは、誰にとっても辛いことです。

大震災のあと、幽霊が見える人が増えたそうです。
科学で証明できないことであろうとも、
その人が見える、というのであれば
誰も否定できないと思うのです。
亡くした人を幽霊となっても見たい、会いたい、と思う心がそうさせてしまうのかもしれません。

亡くなった方の思いもそうですが
残された人たちは、辛くても、生きていかなければなりません。
残された人たちは、供養をするしかないのだといいます。
忘れないこと。手を合わせること。

そうすることによって、残された人たちの心も整えることができ、
前向きに死を受け入れられるようになるといいます。

ほんとに?と、疑問に思う方もいるでしょう。
でもね、本当だと思います。

上手く言えませんが、やはり、供養することは、大切なことなんだと思います。
忘れずに、手を合わせる。お花やお水をお供えする。
単純なことだけどこれがなければ、ぐちゃぐちゃな気持ちになると思いませんか。

供養してあげてくださいね。
よく、お坊さんが言うのを耳にしますが
残された人たちのためにも、大切なことだと思うのです。

そして、3月はお彼岸の月。
3月と9月の春分と秋分は、昼と夜の長さが同じになるといいます。
私たちがいる煩悩の世界を此岸といい
極楽、あの世を彼岸、といいますが
春分秋分では真東(此岸)から真西(彼岸)に太陽が沈むので
あの世とこの世が最も近くなる日とされ、先祖供養するようになったといいます。

身近な人ではなく、少し遠いおじいちゃんやおばあちゃんが眠るお墓かもしれませんが
気持ち的には、先のお話と同じと思います。
日々、手を合わせて、心を整え、前向きに。
供養することには、そんな意味もあるのだと思います。
















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Posted by 玉泉寺 at 23:56 | Comments(0) | お寺
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