お彼岸に思うお寺の配置

2018年09月21日

18日付の市民新聞に、
太陽と寺社の伽藍配置についての記事が掲載されていました。
とても興味深いものでした。

そこには太陽信仰、という日本古代からの信仰精神があります。
太陽信仰とは特定の日、特定の場所で、日の出、日の入りを眺め、
豊作や繁栄への願い、感謝と希望を祈る信仰のこと。

主に、春分と秋分、太陽が真東から昇り、真西に沈む時に
参道、山門、本堂が一直線になるというのです。
市民新聞には、篠ノ井塩崎の長谷寺が紹介されていました。

私も何度か伺ったことがありますが、
確かに長い参道があって、その先に仁王門、鐘つき堂、
そして立派な観音堂と続いています。
それが、お彼岸の日には東西軸上にピタリと並ぶのだそうです。

さらに新聞には、こう書かれていました。
長谷寺の歴史は古く、奈良の長谷寺との関係でも明らかなように
水につながるのです。
長谷寺は、初瀬(初瀬川)が長谷、となったと言われています。
つまりは水源を意味し、その場所に寺院が建てられたのだと。
篠ノ井塩崎、川中島平の水源を護り、農耕の発展を祈るために
ふさわしい場所だったのだそうです。

ふむふむ。
こういった歴史背景がわかると、ぐーーーーんと
寺院巡りが面白くなりますね!!!

寺院を訪れた際は、東西南北を気にしてみると面白いですね。

何を隠そう、玉泉寺も、その太陽信仰が表れています。
玉泉寺は本堂が西向きに建てられています。
やはり、春分秋分の日には、太陽が真西に沈み、
玉泉寺西手に広がる北アルプスの鹿島槍の角の間に、太陽がすっぽりと沈みます。

その沈む太陽の光が本堂の薬師如来様のお顔をスーッと照らす・・・・
かどうかは、分かりませんがface07
きっと、昔の人たちはそのように考えて建てたのだと思います。

玉泉寺の本尊さんは薬師如来様なので、
その昔に、このあたりで病が流行ったりして
その鎮護のために建てられた・・・とか
そういったことも考えられます。

また、お薬師さんは東を護る仏様なので
玉泉寺本堂のように、主に東側に安置されています。

善光寺の阿弥陀さまが本堂中央ではなく、西側に
安置されているのも同じ理由であると、以前聞いたことがあります。
阿弥陀さまは西方浄土をお護りする仏様ですから
西側寄りにいらっしゃるのだというのです。

昔は農耕の目安にもなっていた太陽はとても崇められていたし
東西南北、方角というのがとても重要だったのですね。
そして、寺社を建てる時も、その方角を大切にしました。
だから信仰の中心だった寺社は太陽や方角とは
切っても切り離せないものなのですね。
そして、その寺院は主に何を護るものだったのか。
歴史や、その地域の様が見えてくるのではないでしょうか。

新しく寺院を立て直しすると、こうした昔からの
理由あった配置などを全く考慮しないところもあるようですが
その寺院の意味や地域の歴史を無視しているようで
もったいないと思います。


ぜひ、これからお寺を見学する際にはそういったものも
注目して見てみてくださいね!




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Posted by 玉泉寺 at 10:05 | Comments(0) | お寺
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