峰街道ウォーキングとお彼岸と

2018年09月24日

お彼岸の三連休。
前半はお天気がぐずついていましたが
23日は秋晴れ、今日も何とかもちました。

天気も関係してか、22日にお参りに来られる方はいなく、
23,24日に来られる方が多かったです。

明治期まで使われていた、大町から善光寺まで続く古道。
大町街道、塩の道など、様々な呼び名があり
歴史的、文化的にも見どころのある道です。

最近では、使われずに荒れ放題だったその古道を
復活させようという動きもあり、今年の5月には
峰街道の会の発足式がありました。

昨日23日、その峰街道を歩こう、というとある団体様が
萩野~玉泉寺まで、約12キロの道のりを歩いてこられました。
そして、玉泉寺にて昼食。
お粗末ながら、私がきのこや栗など、地元で採れた旬のものを使って
昼食を用意しました。

皆さん、くたくたの中でしたが、無事ゴールに到着。
用意したお昼もきれいに食べてもらって、
玉泉寺から少し歩いたところにある近戸神社へも
散策に行かれました。
晴天の中の古道ウォーキングに、皆さん大満足の様子でした。


このお彼岸に感じたことは、
人と会って話すことは満足感や充足感を得られるということ。
難しく言うと、自己承認欲求が満たされる、というのでしょうか。

実際に会って話しをすると、
相手が喜んだり、感動したりするのが肌でわかるので
自分の充足感も得られやすいのではないかと思うのです。

SNSが流行っていて、コミュニケーションがうまくとれないと悩む人も多い今。
例えば、どれだけ「いいね!」をもらえても、
一人の人と会って、「良かったよ!」と目を見て言ってもらえた方が
心にぐっとくるはずです。
それだけで、今日一日、いい日だったなぁと思えると思うのです。
数は無限ですから
上を望めばキリがないわけです。

いつも、もっともっと、と望んでしまったり
人と比べてしまったりしてしまいがちですが
もっと、生身の話ができれば
これでいいんだって体感をもって思うことができるのではないでしょうか。

実際、お寺でも先日のように
「来れて良かったよ」と言ってくださったり、
お彼岸で、実家のお墓参りに来たついでに、
昔、おばあちゃんとよく来たお寺だから懐かしくて訪ねてきてくださったり。

そういう話をしていると
あぁ、やっぱりお寺って大事だなぁと
先祖やいろんな繋がりを求めて来られる場所なんだなと
感じるのです。

様々にスピードをもって、どんどん変わっていく現代の中で
静かに、変わらない場所としてお寺がいつもそこで待っていてくれる、というのも
大切なのではないかなぁと
感じたお彼岸でした。












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Posted by 玉泉寺 at 23:27 | Comments(0) | お寺 | 暮らし
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