家族葬に思うこと

2018年10月04日

最近は、家族葬が増えました。
新聞のお悔やみ欄を見ても、家族葬でお葬式を済まされた方が多いのが分かります。

家族葬とは、故人が亡くなったことを広く告知せずに
家族や親近者で行うお葬式のことです。

理由は様々だと思いますが
付き合いも広くないし
お葬式は小さく、簡単でいい、と考えるからでしょうか。

お葬式のかたちも、時代によって変わってきました。
今は、合理化、簡素化、つながりが希薄な社会。
「家族葬」もそれを反映しているのだと思います。


そもそも、お葬式をなぜするかって
仏教では亡くなった方を仏様の弟子にして
安心してあの世へ送ることである儀式と同時に
残された家族がその死を受け止め、受け入れて
受け入れられなくても、とりあえず、一端の区切り、けじめをつけて、
生前お世話になった方々に、
「今までお世話になりました。
これからも変わらずお付き合いをお願いします」と挨拶、報告、
亡くなった方に代わってお礼を伝えたりすること。

その中で出る故人の思い出話をして偲んで、
そんな会話の中から、「そんな一面があったんだなぁ、そんな人だったんだなぁ」
「そんな交友関係もあったんだなぁ」、
と、家族も知らなかったその人が浮かんできたりするのだと思います。

そして、生前にお付き合いのあった人たちが
残された家族に「亡くなったあの人には世話になったから、
今度、困ったことがあったら言ってくださいね」、と
生前に故人がかけた恩がめぐって次へ送られるのだと思います。

そうした恩がめぐって、生きている私たちは
亡くなった方にも、周りの人にも助けてもらいながら生きていくのだと思います。

家族葬がいけないのではなくて
お葬式の意味は、最初に書いた儀式だけでなく、次の世代へつなげていく意味も
大きいのではないかなと
色々なご葬儀をお寺にいて見聞きしていて、とても思うのです。

初めは家族だけで、と考えていたご家族が
一般葬をされた後に、
「たくさんの人が手をあわせに来てくれて嬉しかった。」
「亡くなったおじいちゃんの人徳を感じることができたので
今後はそれを見習って生きようと思います。」、と
話されていたのは印象的でした。

お葬式にたくさんの人がお焼香に来てくれるだけでも
ただ純粋に家族は嬉しいと思うものです。


いろんな人を呼ぶのが面倒くさいから、
人との付き合いが面倒くさいから、
が、もし、家族葬を選ぶ理由となると
せっかく、亡くなられた方が築いてきた人のつながりやモノを
見逃すことになるのではないかな、と思うのです。

確かに、付き合っちゃうと面倒くさい人もいると思います。
付き合わずに、自由に好きな人とだけ付き合えればいいかもしれません。
でも、周り回って、嫌いな人の世話になってる自分もいるかもしれません。

どんなに世の中が便利になっても
人のつながりや助け合いがなければ人は生きていけないと思います。

お葬式は、そのつながりを次へつなげるものの代表なのではないでしょうか。


簡素化、合理化、できるところは多いにやればいいと思いますが
やってはならない部分、多少手間でも手間をかけねばならない部分は、あると思います。


















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Posted by 玉泉寺 at 15:45 | Comments(0) | お寺
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