「うつ病と人間関係」を読んで

2018年10月12日

11日の市民新聞に「うつ病と人間関係」という記事が載っていました。
日赤のお医者さんによる記事でした。


人間関係がうまくいかず心を病み、
逆に、個人の心の病ゆえに人間関係が著しく損なわれてしまう場合があり
病院に相談する方が増えたそうです。
解決しようとして相談する点は良いが、いささか偏りがちであると書いています。

問題は人と人との関わりであるから、医療や教育の枠を超え、
タテヨコナナメ、様々な人間関係がいかに豊富にあるか
(ソーシャルキャピタル(社会関係資本)、というのだそうです)、が重要であると。

さらにお医者さんは、普遍的な人間関係として
お寺や教会における、昔ながらの人々の集まりを揚げていました。

教義などに注目されがちであるがお寺や教会は、
地域社会の共同体づくりを通じて、人々に影響を与える力があり
改めて、そうした方向にも活路を求めましょう、と書いていました。
こうしたことを、お医者さんが書いていたので驚きでした。

人間関係の構築、など難しいことは思わず、寺務仕事の日々ですが
お寺にいれば、やはり、人のつながりを感じずにはいられませんし、
人と言わず、ご先祖や時代を遡って、江戸時代、鎌倉時代、、、歴史、
こうした繋がりまで感じることもあります。

お寺は治外法権というか、
ここでは偉い人もそうでない人も、肌の色も、男女も、
肩書きとかそういうものがなく、みんな平等にいられる場所ではないかと思うのです。
そうした居心地がよくて、昔から人が集う場所であったのではないでしょうか。

お医者さんが、お寺や教会、そうしたことに注目するのは、
やっぱり人のつながりが、私たちが生きる上で大切だということだと思います。

お寺にいても、悩みを抱えてしまうのは
コミュニケーションがうまく持てない人が多いのではないか、ということを感じます。
今はSNSが主流で、生身の人と対話することに慣れていない人が多い。
そうすると、どんどんコミュニケーション能力が低くなって、つながりが薄れていって・・・
相談する友達や知り合いもいない、お茶飲み話で解決するかも、ということも
どんどん雪だるま式に心の中に溜まっていって・・・というような悪循環になっているように思います。

お寺は、誰でも気兼ねなく、気軽に来ていいところ。
どんなバックグランドがあろうと、平等に接するのがお寺です。
だから、コミュニケーションが下手で、社会では受け入れづらい人でも
同じように接し、時には一緒にご飯を食べたり、掃除などの仕事を手伝ってもらったりしているうちに、自分に自信がついて、人と接するのに慣れていくのかな・・・

何にもとらわれずに人が集う場所。
それが、お医者さんのいう普遍的な人間関係であり、
お寺や教会における、昔ながらの人々の集まりなのだと思います。

そうした場所を開放し、受け入れるのはお寺の良い部分だと思います。
人間関係を云々、といった難しいことではなく
昔のように、お互いさま、よく来たね。ちょっと寄ってったい、の気持ちで在りたいと思います。

最後に。
市民新聞の記事によりますと
長野うつ病市民公開講座が10月28日、午前10時半から、ホテル国際21にて
開かれるそうです。
ご興味のある方は、ご参加くださいface01










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Posted by 玉泉寺 at 11:13 | Comments(0) | お寺 | 暮らし
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