日常のなかのお別れ

2018年11月01日

季節の変わり目のせいか、
夏の猛暑からの疲れか、
お盆を過ぎてから、亡くなられる方が多いような気がします。

お寺を支えてくださった役員さんであったり
私がお嫁に来てから気にかけてくれた方であったり
何かと関わりの深い方が亡くなるのは寂しいものです。

私も嫁に来て8年。
檀家さんや、ご近所の皆さんなど
お付き合いも長くなってきた頃です。
役員さんなどは高齢の方もいますから、順番と言えば順番なのかもしれませんが
それでも、やはり寂しいです。
修行が足りない!と言わないでくださいな。
お寺の者でも、お別れは寂しいのです。
今年の行事まで、この間まで、お寺に来ていたのにな、
などと思うと無性に寂しさがこみあげてくるのです。

でも、もしかしてお寺の人間が他の皆さんと違うのは
そうした別れが日々の日常であること。

一般の方は、誰かが亡くなる、ということは一年に一度、二度、数回でしょうか。
(自分も高齢になってくれば別かもですが)
お寺にいれば月に数回のペースで、お悲しみが訪れます。

ですから、死は特別ではないことを、誰にでも訪れることを実感します。
それはもちろん、高齢の方のお悲しみの方が数にすれば多いのですが
若い方の訃報も多くあるのです。


人生の長い、短いはありますが
死は誰にでも、どこの家庭にも、必ず訪れるものだと感じます。
ですから、訃報を受けて
まさかあの人が、と思い、寂しく悲しいのですが
生前の人柄を思い出して、自分がその人から受けた思いやりや気持ちを
大事にしていこう、と思えるのです。

そうは言ってもご家族の悲しみは特別で、他人のそれとは
受け止め方が違うとは思います。
他人の私だって寂しく、悲しい。
ご家族がそれ以上で当たり前なのですが
別れは意外と日常的にあり、
永遠というものはなく、必ず終わりがあることを
どこかで感じることがあれば、前を向けるのではないかなと思いました。

そして、それと同時に
先日ご結婚された高円宮家絢子様ではないですが
今日あることが明日あるとは限らない、と本当に思います。

会いたいな、あの人、どうしているかな、と思ったときは
会いに行くとか、手紙を書く、電話やメールをしてみる!

私がお世話になっているご近所さんたちも
120歳まで生きてね!と冗談で話したりしますが
会いたいな、どうしているかな、と思ったときは顔を見に行くよう心がけています。

これから寒くなる時期です。
どうぞ、体調には気を付けてお過ごしください!

















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Posted by 玉泉寺 at 02:34 | Comments(0) | お寺
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