ありがとう、おじいさん

2019年02月28日

先日、大変お世話になったおじいさんが亡くなりました。

永く、お寺の役員を務めてくださっていた方で
私がここへ来た時には、役もおえられていましたが
副住職と一緒におじいさんのお宅へ挨拶に伺ったことを覚えています。

おじいさんは、朗らかで、昔の色々なことをよく知っていて
おじいさんと話すのが楽しかったのです。

近頃は高齢ともあって、入退院を繰り返し、心配していたのですが
おじいさん宅のご近所のおばさんが、家の明かりが灯らないのは寂しいね、と
言っていたのが思い出されます。

お世話になった人がいなくなるというのは寂しいのですが
変な話、より、身近に感じるような気もするのです。
よく、心の中に生きているといいますが、
確かにそんな感じ。

おじいさんが心の中にいるようです。
上手く言えないのですが。



振り返って考えてみると、私がお世話になっている、と感じる
お寺に関わってくださる方々は
(もちろん檀家さんが多いのですが、中には檀家さんではない方も)
別にお世話をしようと思って来ているわけではないのです。

率先して掃除をしてくれたり、野菜を持ってきてくれたり
行事の取りまとめや、お手伝い。
何か壊れたと言ったら直してくれたり
足りないものを作ってくれたり
皆さん、損得抜きにやってくださっているのです。

昔の人は、お寺だから、ご先祖をまもってくれているから、という人もいるかもしれませんが
現代、果たしてお寺だからといって、そこまでするでしょうか?


以前も少し書きましたが仏教では、布施、というのがあって
見返り抜きに施しなさいよ、という教えがあるのですが
やっぱり、中々難しいですよね。

でも、見返り抜きに、というのは損得抜きに。
よく考えたら、お寺の周りには自然とそういう人がたくさん。
それって、皆さん、布施行をされているんだな、と今になって気が付いたのです。
自分が布施行をされているとも思ってないかもしれない。自然過ぎて。

今は、友達と付き合うのも損得を考えて疲れてしまう、という人も多いようで。
以前、若者vsシニア、みたいなテレビを見ていたら
誰かが「それって、何か得するの?」というような言葉を連発していて
司会の明石家さんまが「お前、損得ばかりやなぁ!」、といって笑っていましたが。
仕事もプライベートも損得だらけ。
それで、みんな、ほとほと考えるのが疲れてしまうんですね。

損得抜きに過ごせるって、清々しいのかもしれない。

その番組の若者の言葉を借りれば、
掃除するとか、自分で作った野菜をあげるとか
損をすることばかりなのに、
お寺に来る皆さんは、みんな、ニコニコしていて
「ありがとうございます!」、と、こちらが手を合わせてしまうくらい。

そうだ、みんな布施行だから、仏様になるんだ。
だから、それを受けた私は手を合わせたくなってしまう・・・のかな?


損得抜きにすること、そういう場所を提供してるお寺?
やっぱり修行道場のようなものなのかな?

昨年は、スーパーボランティア、何て言葉が流行りましたが
当の本人のおじいさんは、スーパーでもなんでもないよ、とあっさりしていました。
特別なことはしていない、という思いだったのでしょう。

お寺には、そういう人があふれている。
だから、なんだか清々しいのかなーと、思ってみたり。
オドロオドロしい雰囲気をまとったお寺があれば、下心ありありのお寺ですね、なんてface03face03
















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Posted by 玉泉寺 at 23:50 | Comments(0) | お寺
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