変わらないもの
2020年01月20日
お寺に来られたお客さんが、
この春に、お引越しされるのだとか。
30年ぶりくらいに地元に戻り、再スタートをきるのだと話されました。
新たなスタートで楽しみな反面、
地元にはもう知り合いもいないし、不安でもあり、寂しくもあるとのこと。
「また、お寺に遊びに来てしまうかも」、と。
私は
「お寺は変わらず、間違いなく、ずっとここにあるので、いつでも来てください」、と言いました。
その時に
昔のように一生同じ場所や近くで暮らすことが当たり前ではない今、
状況や環境や様式がどんどんと変わっていくことが多くて、しかもそのスピードが速い。
そんな中で、お寺というのは何百年と同じ場所で、限りなく同じようにそこにあるものだと思いました。
自分や周りは変化していっても、お寺だけは今までも変わらないし、これからも変わらない。
どんどん変わっていく今では、そうした変わらないものが、ある時には必要とされるのではないかと思いました。
新天地で過ごす方も、最初は不安でも、いつかは自分の場所をそこにつくるでしょう。
でもその中で、あの場所に行けば、変わらないでそこに在る、誰かがいると思うだけでも、何か心に余裕というか、大丈夫だと思えるものがあるのではないかと思うのです。
例えば、自分が大きくなって、故郷を離れ、いつか実家を壊すことになっても
あのお寺は変わらずにあって、そこに行けば、自分の親の話や、おじいさんたちの話ができるのだとすれば、また、自分の親やおじいさんたちを知っている人たちがそこにいれば、嬉しいのではないかなと思うのです。
ムラ社会ではなくなっている今、檀家制度は崩れてきているし、
その制度が、はたして良いのかも私には分かりません。
でも、変わらずにそこに在るもの、そこにいる人、そして自分の家族の今までを知っている人がいるというのは、自分がその親やおじいさんたちと同じ年齢に近づいたころには、特に嬉しいものではないかなと思います。
この変化していく世の中でも、お寺はこれからも変わらずに。
揺るがない不動のもの。
そして、ここに在りたいなと思いました。
この春に、お引越しされるのだとか。
30年ぶりくらいに地元に戻り、再スタートをきるのだと話されました。
新たなスタートで楽しみな反面、
地元にはもう知り合いもいないし、不安でもあり、寂しくもあるとのこと。
「また、お寺に遊びに来てしまうかも」、と。
私は
「お寺は変わらず、間違いなく、ずっとここにあるので、いつでも来てください」、と言いました。
その時に
昔のように一生同じ場所や近くで暮らすことが当たり前ではない今、
状況や環境や様式がどんどんと変わっていくことが多くて、しかもそのスピードが速い。
そんな中で、お寺というのは何百年と同じ場所で、限りなく同じようにそこにあるものだと思いました。
自分や周りは変化していっても、お寺だけは今までも変わらないし、これからも変わらない。
どんどん変わっていく今では、そうした変わらないものが、ある時には必要とされるのではないかと思いました。
新天地で過ごす方も、最初は不安でも、いつかは自分の場所をそこにつくるでしょう。
でもその中で、あの場所に行けば、変わらないでそこに在る、誰かがいると思うだけでも、何か心に余裕というか、大丈夫だと思えるものがあるのではないかと思うのです。
例えば、自分が大きくなって、故郷を離れ、いつか実家を壊すことになっても
あのお寺は変わらずにあって、そこに行けば、自分の親の話や、おじいさんたちの話ができるのだとすれば、また、自分の親やおじいさんたちを知っている人たちがそこにいれば、嬉しいのではないかなと思うのです。
ムラ社会ではなくなっている今、檀家制度は崩れてきているし、
その制度が、はたして良いのかも私には分かりません。
でも、変わらずにそこに在るもの、そこにいる人、そして自分の家族の今までを知っている人がいるというのは、自分がその親やおじいさんたちと同じ年齢に近づいたころには、特に嬉しいものではないかなと思います。
この変化していく世の中でも、お寺はこれからも変わらずに。
揺るがない不動のもの。
そして、ここに在りたいなと思いました。