玉泉寺の古いお札

2020年05月03日

大般若経典のチェック作業と並行して
玉泉寺に残されている古いお札を出してみました。

お札と言っても、木で彫られた、お札の原本。
昔は印刷されたお札ではなく
木版で一枚一枚手刷りでした。

たくさんありました。
中から古いお札を発見。


以前にも紹介した三峯の狼のお札もその一つですが
文化の時代、今から9代前の15代住職俊開の名が記された
玉泉寺の御祈祷護摩供札。

玉泉寺の古いお札

俊開さんは文化4年(1808年)に亡くなっていますから、
1700年代後半に実際に使われていたのものです。

1700年代後半というと天明、寛政の時代。
天明の大飢饉、そしてそれを受けて寛政の改革が行われた時代。

天明の大飢饉を調べてみますと、
日本近世で最大の飢饉と言われており、
悪天候や冷害による農作物の不作、
浅間山などが噴火し各地に火山灰を降らせた。
また、異様な暖冬が続き、凶作をまねいた、とあります。

飢餓とともに治安の悪化、さらに疫病も流行り
多くの人が亡くなったといいます。

天明の大飢饉の時代のものが今、ここに。
想像するに、俊開住職が飢饉で苦しんでいたであろう人たちへ
薬師如来様に祈り、
護摩をたき、木版を刷り、お札を渡していたであろうものが。

今、世界ではコロナウィルスが猛威を振るっていて
まさに、大飢饉のような状態を招いています。

不思議なことに、同じような情勢の時に
この木版を見つけたことに驚いています。

5日には大般若会を小さな形で行いますが
俊開さんがそうであったように
この異常な状態の終息を祈りたいと思います。


玉泉寺で今使われている大般若経典も
文化文政のものなので、ちょうど同じ時期のもの。

そして、昔から人々は信仰をしていた。
その気持ち、強さをたくさんの木版から感じます。

今を生きる私たちも、その思いを継いで
心を込めて護摩供や大般若会をせねばならないと感じました。











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Posted by 玉泉寺 at 23:19 | Comments(0) | お寺
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