お墓をつくること

2020年09月09日

近年墓じまい、という言葉を
よく耳にするようになりました。


自分のあと、お墓を守る人がいないから墓を小さくする、
家族が皆遠くにいるからお墓を移す、
というように。

お墓をつくるにあたっても
今までのように伝統的なお墓ではなく
樹木葬や永代供養墓、合祀墓など
いろんな形、様式のお墓があります。

暮らし方が多様化しているので
お墓の在り方もそれと同様であるのは
自然の流れでもあると思います。


最近玉泉寺では
お墓を造られる方が、何組かいらっしゃいました。

その何組かの方を見ていて、
また、お話を聞いて感じたことがあります。

いつか来る未来に自分が入るお墓が在る、というのは
とても安心感をもたらすのだということ。

もちろん、お父さんお母さんが亡くなって、
埋葬するのに必要、という現実的な面もありますが
自らの最終的な居場所が在ると思う事って
大切なんじゃないかな、と感じました。


墓じまい、というとマイナスのイメージ、
墓を継ぐ、守る、というと負担になる、
あとに残された家族に負担を負わせるという
後ろ向きなイメージを想像しがちですが

お墓をつくられた皆さんは
晴れ晴れとしていました。
決して、墓を守るのは
負担ではないと思うのです。
それを負担と思う事が悲しいな、と思います。


親孝行、したい時に親はなし、と言いますが
今までのお墓を守るのも
墓じまいして、違う形に移すにしても
考えて、どうにかしていくことが
親孝行であったり
ご先祖さまを供養することではないかと
思うのです。


また、お墓をつくるということは
自分の周りの家族、親族に思いを巡らせ
更にその先の世代についても必然的に
考えるわけですから
自分が生まれてきたルーツ、
感謝を感じるのではないでしょうか。

先にも書いたように
最終的に自分の眠る場所が用意されている、というのは
安心感があるのだと思います。


お墓に関することを
負担ではなく、感謝を感じながら
携われる事が本来なのではないかと思います。


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Posted by 玉泉寺 at 12:03 | Comments(0) | お寺
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