お寺の護持から思うこと

2021年10月26日

超限界集落に位置し、地域の高齢化が進む玉泉寺。

お寺の草刈りや雪かきなどの環境整備は
地域の檀家さんが持ち回り当番となって担ってくださっています。

しかし、近年は高齢化、かつ、ご近所に暮らす方が少なくなる中、
お寺の護持活動もままならなくなってきました。


「シルバー人材センターなどに頼んでやってもらったら?」、
との意見もありますが、なにか違和感を感じます。
「でもなぁ、お寺のことなのに…」、という気持ちも湧き上がります。

モヤモヤとした気持ちの中から、ある事を思いました。

お金を払って、他の誰かにお願いするのは、簡単なことです。
しかし、檀家さんにとっては自分のお寺です。
距離的に遠かったり、休みが取りづらかったり、という事情もそれぞれあるでしょうが
もう少し関心を持ってほしいな、というのが思いです。

随分と上から目線ではないか、と言われそうなところですが、
さらに思ったことは

皆が、サービスに慣れすぎてしまった、ということです。

つまり、お金を払えば全て済む。と。

時代の流れですから、それも理解できます。
今、お葬式は、葬祭センターの人が全てやってくれる。お金を払えば。
私達は「お客様」でいられるのです。

でも昔は、隣組というご近所の付き合いがあって、その中で行われていた。
葬式も、喪主家族は喪に服しているわけですから、料理なども隣近所の隣組が。
また、お隣さんに不幸があれば、逆の立場にもなるわけです。
それは「お互いさま」、の精神だと思います。

今は「絆」、「人とのつながり」といった言葉がとても言われていますが
そうした背景には、あまりにもお金や、サービスでしか繋がらない無機質な関係が
社会に多すぎるからなのではないでしょうか。

引きこもり、発達障害、いろんな社会問題がありますが
どれも昔の様な「お互いさま」の精神があれば、乗り越えられる問題ではないでしょうか。

お金を払って受けるサービスに慣れてしまうと
「損得」で物事を考えるようになります。
見返りを求めてしか、動かない。

そこで、はじめに話した護持活動の話に戻ります。

お寺の護持も、そうです。

お寺のお掃除やお手伝いなど、昔は皆が
見返りなど求めずに参加していた。
むしろ、自分の寺だという気持ちで、率先して動いていました。
草刈り機使えないおばあちゃん達も、草むしりに来てくれました。

でも、当たり前っちゃ当たり前です。
だって昔はシルバー人材センターも、葬儀屋さんも無いんですから。
自分たちで掃除も葬式も行事もやるしかない。
お互い様の精神で。
引きこもりの人も、発達障害の人も、
絶対的な人足として、社会に必要とされていた訳です。
そして地域の一員と認められ、「ありがとうね」、と声を掛け合っていたのです。

で、お寺ってのは
そうした「お互い様」、の象徴のような場所であったのではないかと思ったのです。
お互い様を実践する、修行道場。

布施、は施すこと。
布は、昔は貴重であったので僧侶に衣(布)を施すことが、徳となることから
施しをすることを布施、と言うようになりました。

施すとは、誰かに与えること。
このブログでも何度か書いていますが
他の誰かに与えることで、巡り巡って
自分や自分の子孫や、その他諸々にその恩が回し向けられるということ。
(これを回向えこう、と言う)

だから、施しなさい、とお釈迦様の教えです。
更には仏教には「喜捨」、という言葉もあるくらいです。
喜んで捨てる。
そこに、見返りや損得はありません。

布施は、お金だけを指していません。
笑顔でいること、掃除など体で奉仕すること、
物品を寄付することなども布施です。

お寺は、「損得」だらけの現代社会において
「お互い様」精神を育む修行道場でなければならないのではないか、と思うのです。
雪かきや草刈り活動を、見返りを求めず、ただ行うこと。
自分が持っているものを手放すこと。

もちろん、その大前提には
お寺やお坊さんは、その教えを体現しているような徳が高くなければなりません。
欲深くて、自分のことしか考えないようなお坊さんはダメです。

回りくどくなってしまいましたが…

護持がままならなくなって
シルバー人材センターに頼んだら?と言われたことにモヤモヤして
お金のやり取りで成立するサービス社会に慣れきった「損得勘定」の価値観に行き詰まりを感じ
以前の暮らしのあり方、「お互い様」精神の大切さに行き着く。
そして、それには「布施」「喜捨」、という仏教の教えがあるのだということ。

お寺を掃除してくれ!寄付してくれ!
と言っているのではありません。

ではなくて、損得でしか物事をとらえられなくなっている現代人に
施すこと、喜んで捨てること、そこから生まれ、広がる繋がりを教え説くのが
お寺の役割りであり、場所、なのではないかと思うのです。

だから、お坊さんはもっと、その事を、良い教えを
皆さんに伝えないといけません。
お坊さん自身も修行しなければいけません。
やはり、お坊さんの仕事は、教えを伝え説く事、布教が仕事なのだと思います。



















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Posted by 玉泉寺 at 12:35 | Comments(0) | お寺
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