そこに覚悟はあるんか

2022年12月29日

今、いろんな仕事が変化しています。

お寺の世界も同じで急速に変化しています。
コロナになってから、その速度が早くなり
お斎をやらない、法事、回忌をやらない、
少人数で済ます、
すべてが簡素化、簡略化しています。

そうすると、檀家さんの少ない限界集落のお寺は
立ち行かなくなってしまいます。

その時に、暮らしを維持するために
守りに入ると。

お布施を高くしてみたり、
お経しか読まなくなってみたり。

しかし、そもそもお寺というのは
公共福祉をするところ、すべき場所なのだと思うのです。

孤児を預かる、保育園をやっているお寺があるのもそこからです。

お寺の中にとどまらず、地域の必要としている活動に積極的に関わることもお寺の役割です。
しかも、ここのように、地域に若い人がいない場所では、「お寺さん」が、声をあげたりすることで地域のインフラが保たれたりするので、そうした役目もあると思います。


私が狩猟免許を取ったのも、
鹿やイノシシの作物被害が多く、近所の人たちが困っていたからです。
私的な理由ではなく、公的な理由です。

狩猟は、誰しもができる、やろうと思うとは思いませんが、例えばこの辺りだと
郵便配達員、除雪作業員などが人手不足で困っています。
そうした資格をとって、地域に貢献することもお坊さんがやってもいいのではともいます。

そうした意味で、ただ、お経を読んでいるだけではなく、地域の人とともに汗を流して働くことが本来のお坊さんの仕事だと思います。

覚悟、とは
本来のお坊さんの仕事をやる覚悟があるのか、ということです。

暮らしを守るための私的なことではなく
公益的な活動をやりきれるのか。

また、お金はなくとも、地域の公益活動をしていると食べ物やモノをいただけたりして、周りの人たちとも支え合いながら、なんとなく暮らしていけるわけです。
お金が必要なら、そうした必要としているところで力を貸せばよいのだと思います。

お寺に居て、きれいな着物を着、お経を読むだけではダメで、本来のお坊さんとしての覚悟を問いたいとお坊さんを間近に見る一般人、俗人の私は思ってしまうのです。

地域差というのもありますから、お坊さん然としていてくれれば良い、というような都会や
お経が下手でも注がれた酒さえ飲んでくれれば良い、という地域もあるとも聞きますが。

どちらにしても、覚悟。
自分のため、金のためではなく人のためにやれるのか、という覚悟。地域の公益を考えているか、ということ。

偉そうに言っていますが、一般人の一意見としてお許しください。


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Posted by 玉泉寺 at 23:56 | Comments(0) | お寺
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