墓じまい、位牌じまい、仏壇じまいについて思うこと

2023年10月02日

今朝、朝のニュース番組、羽鳥慎一のモーニングショーを見ていて
お墓じまいについてのコーナーがありました。

今朝で第3弾だったようで、とても反響の多いテーマなのだそうです。

お墓じまい、位牌じまいをどうしたら良いか分からない人が多い、
ということでした。

20、30分ほどのコーナーだったのですが、全体を通しての
個人的な感想として
世の中すべてが合理化、有機化のものの考え方に傾いているな。
それは時代の変化、流れからして決して悪いことではないけれど
大前提として、物事の根本的なこと、ものの本質を見誤っているな、と
感じました。

同時に、これが全国の朝のニュースとして放送されているのだから
恐ろしいなとさえ感じました。

具体的にどんな話がされていたかというと
墓じまい位牌じまいの方法、
代替えの対応方法、
それに伴う日本人の宗教感。

墓じまい位牌じまいについては、
時代の流れ、家長制度もなくなってる中で
墓じまいを考える人も多くなるのは自然の流れかと思います。

同じお墓に直系ではない親族や、奥さんの家族を一緒に入れるのを
檀家数が減るから嫌がるお寺さんがある、と話していたのには笑いました。

たしかに、そういうお寺さんもあるでしょう。
でも、それって完全にお寺の目先の利益。
利益を考えてる時点でお寺として、そのお寺は終わってるな、と思いました。
悲しいかな、そうした考えのお寺さんは多いのかもしれませんが。

墓じまい、位牌じまい、仏壇じまいの方法、そしてその代わりになるものの紹介。
散骨や宇宙葬など、紹介されていました。
仏壇じまいするにしても、丁寧に供養し、お坊さんに頼んで魂抜きをするか否か。 
粗大ごみにしてそのまま捨てるかどうか。

そこの紹介が、金額によるものでしかなかったのが、残念でした。
ただ費用が安いから、ゴミにして捨てれば良い。本当にそうかな?

いくら金額が安く済むからと言って、仏壇や位牌をそのままゴミに出せる人は
少ないと思いますが、ではなぜ、別の方法を選択するか?
そこを合理的に考えて終わってしまってるのが残念で、
ではなぜ?、の部分が一番根本であり本質ではないかと思いました。

そこで、普通に考えると大体の日本人の方は
ご先祖様に手を合わせ、とか
ご縁やいろんな繋がりがあって生かされている、というような
話を思い浮かべるでしょう。

コメンテーターの一人が、
先祖崇拝は儒教からきているから
先祖崇拝と仏教は別物で、同じに考えるのはおかしい、という
話をしていました。

インドから伝わった仏教。
大乗と小乗といって、伝わった場所や風土文化によって、仏教も変化しました。
日本では大乗仏教といって、インドやタイなどのストイックな小乗仏教とは少し違って
おおらかな仏教感へと変化し、さらに元々日本にあった神様信仰とまざって、
神仏習合となり、日本独自の仏教となりました。

それもそれ。
大昔の時代の変化とともに、宗教ですら変わっていったのです。
でも、お釈迦様が伝えたかった仏教そのものの根本的な、本質は変わってない。
そこが大事かと思います。

今、私達が話している墓じまいや位牌じまい、仏壇じまいは、仏教そのものの本質を無視してはいけないと思います。
時代の流れによって、弔い方が変わるのは当然です。
でも、その本質、こころ、気持ちを変えてはいけない。

先祖崇拝と仏教は、学問でいったら別の分野に分類されるでしょう。
でもそれは学問分類学上の話。
先祖崇拝は儒教なんだから、関係ないでしょ、とはならないと思います。

それすらも混ぜて今まで来ている日本の仏教を今更捻じ曲げて、だから
仏壇やお墓はいらないのだ、先祖は供養しなくても良い(そこまでは言ってませんでしたが)、というのは大間違いな気がします。

そもそもお釈迦様は
あちらの鈴がなれば、こちらの鈴も鳴る、といったインドラの鈴という話もあるように
全ては繋がっている、関係のない物事はない、と唱えていました。
だから先祖崇拝と仏教は無関係ではないし、
インド人はガンジス川に遺体を流して、インドにはお墓が殆ど無いから、日本もなくて良い、
といったような話は、全くナンセンスだと感じました。

時代の流れで、合理化になっても良い。
でも、目に見えるものや、自分だけ、自分の周りのことをだけを考えるのは違うな、と。

ありきたりな言い方だけど、目に見えないものや先のこと、今まで繋げてきた人達のこと、
を考えることが大切で、その上で議論されるべきと思います。
そこに、人を弔うとか、偲ぶ、とかそうした気持ちが乗っかって、
その家庭や人のやり方が継がれていけば良いのだと思います。

過去帳や位牌についても質問が出ていて、
過去帳に知らない人の名前がある、とありましたが、
知らないって言っても、もとを辿ればご先祖さんなわけです。
全くの他人が過去帳に載っているわけはないので。
そこを、知らない人だからと排除するのでなく、ご先祖さんだなぁと感謝し、受け入れる気持ちが
大切なのではないかと思うのですが。
それも仏教だと思うのですが。

真言宗開祖の空海さんも、お釈迦様も、宇宙の話をしております。
次元が違うような気がします。

視野も懐もずっとずっと深く、広い気がします。

しかし、このような議論にしかならない日本の仏教土壌にしてしまった
お坊さんたちお寺さんたちの責任でもあるのかな、と思ったりもしました。

玉泉寺でも、墓じまい諸々のご相談を受けることがたくさんあります。
目先の利益ではなく、仏教の本質に基づいて、住職もお話していると思います。

玉泉寺を持ち上げるわけではありませんが
そうしたお寺さんが増えると良いな、
そうしたお寺さんとつながることができれば良いなと思います。









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Posted by 玉泉寺 at 16:47 | Comments(0) | お寺
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