狩猟 命を頂くことは

2021年05月14日

猟友会に所属し、狩猟を始めて数ヶ月経ちました。

まだ、わなをかけるだけですが、
当たり前ですが、狩りとは、命を頂くことだと
最近は特に感じるようになりました。

何回か命を断つ場面に出くわすと
かわいそう、ごめんねと、やはり、これでいいのかな?と悶々と思う時があります。

農家さんにとっては、天敵であり
大切に育てた作物を根こそぎ食べてしまう
有害鳥獣であるので、わなに動物がかかると
有り難いと感謝されるし
猟友会員の高齢化で、地域の安全が保てなくなると思うと
誰かがやらなければならないことなのかも、とも思う。

そんな時に、思ったんです。
最近は、鬼滅の刃とかアニメで
人が死ぬシーンや殺されるシーンが、結構グロテスクに
描かれています。
年配の人には、あんなのを子供に見せて、と
眉をひそめる人もいます。

私も、以前は普通に子供と鬼滅の刃を見ていました。
でも、今は見られない。
人が、あのように殺され、死んでゆくシーンを
笑いながら見ていられない。

同じように、先日、ある人気芸人が
頭に斧が刺さって、血を流すコントを皆が笑いながら見てる、
というテレビが放送されていました。 
私は、それも笑ってなんて見られなかった。

今の世の人たちは、やっぱり平和ボケしてるんじゃないかな? 
命を軽んじてるんじゃないかと思ってしまうのです。

ありきたりな言い方、考え方ではあるかもしれないけど
私達は、動物や魚、生き物の命を頂いて生きているんだ、と
心底感じます。
だからこそ、その命を大切に扱わなければならないと思います。

動物を仕留めたときは、お線香をあげ、住職に教えてもらった
お経を唱え、手を合わせます。

いつから人が死ぬシーンを笑いながら見られるようなったのでしょう。

戦争に行った人が、戦争のことを語らない、とはよく聞きますが
その人達も、今のアニメやテレビを笑ってなんて見られないのではないかと思います。

私達の生活から死が遠のいたことも原因の一つかもしれません。
昔は、もっと死は身近なものでした。
だからこそ、皆、生を大切に生きていたのではないでしょうか。

簡単に人を殺せたり、そんなアニメやテレビが制作できるのは
私達が命を軽く見すぎているのだと思います。

生き物の命を奪うことは私だって、他の誰もだって好まない。
でも、そうでなければ私達人間は生きていけない。
皆がみんな、ビーガンでいられるでしょうか。

だからこそ、もっと命を大切にしなければと思うのです。






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Posted by 玉泉寺 at 21:32 | Comments(0) | 暮らし
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