2018年05月29日
最上の施し
以前もブログに書きました「布施」。
布施とはお葬式などの時にお金を包むことではありません。
仏教の修行者が日常において実践すべき徳のひとつです。
仏教の修行として大切なものの一つが布施ですが、
一般的に布施には金品を恵み与える財施、
教えや知識を人と分かち合う法施、
相手の不安などを取り除くよう努力する無畏施、の3種類あると言われます。
その他にもお金ではない優しい言葉づかいや笑顔などの七つの無財施がある、と書きました。
そして、その布施については
布施をした自分と、布施を受けた相手と、布施された物の三つを心にとどめないことが重要だ、とお釈迦さまはいうのです。
「私がこうしてあげたのにあの人は何もしてくれない」
「私がこれだけやってるのに、あの人は何もしない」
と、私たちはつい思ってしまいます。
そうすると、せっかく自らすすんでやっていることでも
何となく心がムカムカしてきてイライラして
鼻息も荒くなって・・・・となってしまいます。
ですが、さすがはお釈迦さま。
施した後で悔いたり、施して誇りがましく思うのはいけませんよ、と言っています。
施して喜び、施した自分と施しを受けた人と、施した物と、この三つをともに忘れるのが最上の施しだと。
施した自分を忘れるのは、偉そうにしている自分はダメ、ということで何となく想像がつきますが
相手と物も忘れなさい、と言っているところがすごいなぁ、と思うところです。
そうお釈迦さまが言っているんだから、
あぁ、自分がしていることを忘れていいんだ、心にとめなくていいんだ、と思うと
自然と自分がこうなのにあの人は、なんて気持ちはサラ~ッと流されてなくなっていく気がします。
そうすることで、自分もすすんで気持ちよく行動できるように思うのです。
最近、「なんで私ばっかり・・・!」と思うことが多かったので
この言葉を知ったときにストン、と胸におちてきて心が落ち着いたのです。
それからは、私ばっかり・・と言わずに自分にできることは一生懸命やって、
その後はやったことも忘れちゃう!ことにしています。
忘れるのがいいんですよ、なんて
なんていいこと言うんだろう、と感動したのでした。
布施とはお葬式などの時にお金を包むことではありません。
仏教の修行者が日常において実践すべき徳のひとつです。
仏教の修行として大切なものの一つが布施ですが、
一般的に布施には金品を恵み与える財施、
教えや知識を人と分かち合う法施、
相手の不安などを取り除くよう努力する無畏施、の3種類あると言われます。
その他にもお金ではない優しい言葉づかいや笑顔などの七つの無財施がある、と書きました。
そして、その布施については
布施をした自分と、布施を受けた相手と、布施された物の三つを心にとどめないことが重要だ、とお釈迦さまはいうのです。
「私がこうしてあげたのにあの人は何もしてくれない」
「私がこれだけやってるのに、あの人は何もしない」
と、私たちはつい思ってしまいます。
そうすると、せっかく自らすすんでやっていることでも
何となく心がムカムカしてきてイライラして
鼻息も荒くなって・・・・となってしまいます。
ですが、さすがはお釈迦さま。
施した後で悔いたり、施して誇りがましく思うのはいけませんよ、と言っています。
施して喜び、施した自分と施しを受けた人と、施した物と、この三つをともに忘れるのが最上の施しだと。
施した自分を忘れるのは、偉そうにしている自分はダメ、ということで何となく想像がつきますが
相手と物も忘れなさい、と言っているところがすごいなぁ、と思うところです。
そうお釈迦さまが言っているんだから、
あぁ、自分がしていることを忘れていいんだ、心にとめなくていいんだ、と思うと
自然と自分がこうなのにあの人は、なんて気持ちはサラ~ッと流されてなくなっていく気がします。
そうすることで、自分もすすんで気持ちよく行動できるように思うのです。
最近、「なんで私ばっかり・・・!」と思うことが多かったので
この言葉を知ったときにストン、と胸におちてきて心が落ち着いたのです。
それからは、私ばっかり・・と言わずに自分にできることは一生懸命やって、
その後はやったことも忘れちゃう!ことにしています。
忘れるのがいいんですよ、なんて
なんていいこと言うんだろう、と感動したのでした。