2021年09月28日
ソラテラ ヨガ&焚き火コーヒー会でした
気持ちの良い秋晴れが続いています
25日、土曜日はソラテラ ヨガ&焚き火コーヒー会、
いつも以上にゆったりとした時間が流れておりました。
ソラテラではなく、お寺にお越しになっていたお客さんも
一緒にコーヒーを。
またいつでも、お茶飲みにいらしてください。
ありがとうございました!





25日、土曜日はソラテラ ヨガ&焚き火コーヒー会、
いつも以上にゆったりとした時間が流れておりました。
ソラテラではなく、お寺にお越しになっていたお客さんも
一緒にコーヒーを。
またいつでも、お茶飲みにいらしてください。
ありがとうございました!




2021年09月15日
その日は稲刈り★
今月の25日は、ソラテラです。
新町のママ友やお友達に
「ソラテラ、ヨガと焚き火コーヒーだよ。良かったら来てね!」、と
お誘いすると、
「その日は多分、稲刈りだ!行けないわ〜」、と
言われる事が多い、ここ、西山地域。
そっかそっか。
9月に入っての土日は、稲刈りシーズン真っ只中ですね。
白馬有料道路を抜けて広がる、中条地区の田んぼでも
今、盛んに稲刈りをしています。
田植えを迎える、水の張られた田んぼがキレイだな〜、なんて
思っていたら、もう稲刈りの季節!
あちらこちらの田んぼに、軽トラが連なって止まっている様が
なんとも可愛らしいです。
この辺りではハゼ掛けが一般的なので、
その分、余計に手間と人足が必要です。
早い地区では、もう稲刈りが終わったところも。
「稲刈り、まだ?うちは来週!」などなど、挨拶のように会話に出ます。
私も、ソラテラにお誘いしたママさんから、
「田んぼやってないの?実家でも?」、と聞かれてしまいました。
うちは作ってないんだよー、と答えたけれど、
この驚かれ感、「稲刈りで行けない!」、
なんかいいなぁ、とひとりニヤニヤしてしまいました。
新町のママ友やお友達に
「ソラテラ、ヨガと焚き火コーヒーだよ。良かったら来てね!」、と
お誘いすると、
「その日は多分、稲刈りだ!行けないわ〜」、と
言われる事が多い、ここ、西山地域。
そっかそっか。
9月に入っての土日は、稲刈りシーズン真っ只中ですね。
白馬有料道路を抜けて広がる、中条地区の田んぼでも
今、盛んに稲刈りをしています。
田植えを迎える、水の張られた田んぼがキレイだな〜、なんて
思っていたら、もう稲刈りの季節!
あちらこちらの田んぼに、軽トラが連なって止まっている様が
なんとも可愛らしいです。
この辺りではハゼ掛けが一般的なので、
その分、余計に手間と人足が必要です。
早い地区では、もう稲刈りが終わったところも。
「稲刈り、まだ?うちは来週!」などなど、挨拶のように会話に出ます。
私も、ソラテラにお誘いしたママさんから、
「田んぼやってないの?実家でも?」、と聞かれてしまいました。
うちは作ってないんだよー、と答えたけれど、
この驚かれ感、「稲刈りで行けない!」、
なんかいいなぁ、とひとりニヤニヤしてしまいました。
2021年09月13日
歌集 わが戦場の日々
お寺の本棚を整理していたら
ご近所のおじいさん(故人)が
生前に出された歌集がありました。
「わが戦場の日々」。
手にとって開いてみると。
戦争を描く漫画や本、映画などは色々ありますが、
心に刺さるもの、その情景が浮かぶもの、
そこに生きた人たちの心情が生々と感じられるものって
短歌以外にはないと、思いました。
それほどに、この歌集を読んだ衝撃は大きく、
戦争の情景や心情が分かる、なんて軽く言えるものではないけど
わずか31文字に、その一つひとつの景色、心が
目に見え、手にとって生温かさを感じられるように思うのです。
玉泉寺がある集落を栃久保とちくぼ、と言いますが
そこに生まれ、農業をなし、召集令が届き、出兵する。
無事に帰り、結婚し、子ができ、さらに子を病で亡くし、
また出兵命令が出、故郷を後に、振り返りふりかえり、
村人に見送られながら、戦争へ向かう。
一首一首、まさに震えながら読む、といった感じです。
子どもが死んでしまうところは、涙涙涙です。
この歌をつくった方は、戦地でもメモと鉛筆を持って、
歌を書き留めたのだとあとがきにあります。
本物の戦争は映画とか、映像になんて絶対できない、
そんな視覚に耐えうるものではないと思います。
兵隊さんだって、俳優のようにカッコよくないだろうし
そのへんの農家のおっちゃんだったと思う!
この短歌から感じるものは、匂いや温度や色や、音や。
31文字という言葉から自分なり感じるものに、震えます。
ぜひ、皆さんに読んでいただきたいです。
整理したお寺の本棚に並べてありますので、
ご覧になりたい方、声をかけてください。
歌集の中から、数首、ご紹介します。
近々と兵のうめきを聞きしかば湿地の泥に腹ばひて寄る
朝を待ちて敵の姿を捉へたり曠野をゆするわが銃の音
出撃の近づきたればひとつかの妻の黒髪腹に巻きたり
唇に泡を噴きつつ苦しみもはやなくなりぬ吾子の唇
息絶えしわが子を呼べどかへりくる一言もなし瞳うごかず
ご近所のおじいさん(故人)が
生前に出された歌集がありました。
「わが戦場の日々」。
手にとって開いてみると。
戦争を描く漫画や本、映画などは色々ありますが、
心に刺さるもの、その情景が浮かぶもの、
そこに生きた人たちの心情が生々と感じられるものって
短歌以外にはないと、思いました。
それほどに、この歌集を読んだ衝撃は大きく、
戦争の情景や心情が分かる、なんて軽く言えるものではないけど
わずか31文字に、その一つひとつの景色、心が
目に見え、手にとって生温かさを感じられるように思うのです。
玉泉寺がある集落を栃久保とちくぼ、と言いますが
そこに生まれ、農業をなし、召集令が届き、出兵する。
無事に帰り、結婚し、子ができ、さらに子を病で亡くし、
また出兵命令が出、故郷を後に、振り返りふりかえり、
村人に見送られながら、戦争へ向かう。
一首一首、まさに震えながら読む、といった感じです。
子どもが死んでしまうところは、涙涙涙です。
この歌をつくった方は、戦地でもメモと鉛筆を持って、
歌を書き留めたのだとあとがきにあります。
本物の戦争は映画とか、映像になんて絶対できない、
そんな視覚に耐えうるものではないと思います。
兵隊さんだって、俳優のようにカッコよくないだろうし
そのへんの農家のおっちゃんだったと思う!
この短歌から感じるものは、匂いや温度や色や、音や。
31文字という言葉から自分なり感じるものに、震えます。
ぜひ、皆さんに読んでいただきたいです。
整理したお寺の本棚に並べてありますので、
ご覧になりたい方、声をかけてください。
歌集の中から、数首、ご紹介します。
近々と兵のうめきを聞きしかば湿地の泥に腹ばひて寄る
朝を待ちて敵の姿を捉へたり曠野をゆするわが銃の音
出撃の近づきたればひとつかの妻の黒髪腹に巻きたり
唇に泡を噴きつつ苦しみもはやなくなりぬ吾子の唇
息絶えしわが子を呼べどかへりくる一言もなし瞳うごかず
2021年09月12日
縁側 de おもてなし
お寺に来られるお客さん。
この日は、某銀行の方が
営業?がてら挨拶にいらしたのですが
時には、こんな外で。
縁側で、お茶を飲んで行ってもらうこともあります。
この方が気を使わずに、話が弾んだりします。
お互いに気軽に、気楽に。
まぁ、どうぞどうぞ、とキャンプ用のイスを出して
紙コップでインスタントコーヒー、とかですけど
こんなのも、まぁ、いいか。

この日は、某銀行の方が
営業?がてら挨拶にいらしたのですが
時には、こんな外で。
縁側で、お茶を飲んで行ってもらうこともあります。
この方が気を使わずに、話が弾んだりします。
お互いに気軽に、気楽に。
まぁ、どうぞどうぞ、とキャンプ用のイスを出して
紙コップでインスタントコーヒー、とかですけど
こんなのも、まぁ、いいか。

2021年09月06日
2021 9月ソラテラのお知らせ
お知らせが遅くなりました!
9月ソラテラのお知らせです
久しぶりに玉泉寺本堂にて
ヨガ会を行います。
その後は焚き火コーヒー会!
コロナが収まらない中、感染予防のため
15名限定とさせていただき、
コーヒー会も任意参加、希望者のみにしたいと思います
ご了承くださいますようお願いします。
ソーシャルディスタンスなど感染予防をとりながら行います。
涼しくなり、秋の気配ぷんぷんの玉泉寺!
焚き火が似合う季節となりましたよ!
ご予約となりますので
よろしくお願い致します!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
■日時 9月25日(土) 13:00〜14:00 ヨガ (渡辺ユッキー先生)
14:00〜 焚き火コーヒー会(任意参加)
■会費 ヨガ 500円
コーヒー会 300円 (両方参加も、片方のみでもOKです!)
■定員 15名 (定員になり次第、締め切ります)
■予約・お問い合わせ
soratera@apost.plala.or.jp
090-5993-3514 笠原
ご参加、お待ちしております

9月ソラテラのお知らせです

久しぶりに玉泉寺本堂にて
ヨガ会を行います。
その後は焚き火コーヒー会!
コロナが収まらない中、感染予防のため
15名限定とさせていただき、
コーヒー会も任意参加、希望者のみにしたいと思います

ご了承くださいますようお願いします。
ソーシャルディスタンスなど感染予防をとりながら行います。
涼しくなり、秋の気配ぷんぷんの玉泉寺!
焚き火が似合う季節となりましたよ!
ご予約となりますので
よろしくお願い致します!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
■日時 9月25日(土) 13:00〜14:00 ヨガ (渡辺ユッキー先生)
14:00〜 焚き火コーヒー会(任意参加)
■会費 ヨガ 500円
コーヒー会 300円 (両方参加も、片方のみでもOKです!)
■定員 15名 (定員になり次第、締め切ります)
■予約・お問い合わせ
soratera@apost.plala.or.jp
090-5993-3514 笠原
ご参加、お待ちしております


2021年09月05日
すべてのものに仏性がある…その2
半月も前の話になりますが…
無事にお施餓鬼も終わり今年もお盆が過ぎました。
もう9月!急に涼しく、秋の気配です。
お施餓鬼会は、新盆のお宅と、役員さん、来られる方々のみにお越しいただき
今年も小川村「おやきの庄」さんのおやきをお配りしました。
コロナ禍ではありましたが、対策を取りながら行い
お盆の法要ができた事は良かったと思います。
さて、すべてのものには仏性がある、の話。
副住職に「こういう意味だと思うのだけど、実際はどうなの?」、と
尋ねたところ「アジャセ王子」の話を読むといいよ、
と言われました。
我が家のトイレに積んであります…。「ブッダ」。
手塚治虫が描いた漫画、「ブッダ」の中の、アジャセ王子です。
細かい話は興味ある方は読んでいただくとして
大まかに言うと、ブッダを嫌い、善良な父王や母を殺したアジャセ王子が
心ではその事を気に病み、
頭に腫瘍ができて苦しむのですが、
ブッダが一日も休まず3年間、
文字通り手当てを施す事によって
医者も見放したアジャセ王子が少しずつ治っていく、
という話です。
そして、腫瘍が小さくなってきた時に、
あんなにブッダを憎んでいたアジャセ王子が
苦しみの中でもブッダに向かって微笑みを見せるのです。
その時ブッダは、
「あの微笑みはまるで神のようだった」と衝撃を受け
「人間の心の中にこそ、神が宿っている」という大きな悟りを
得るのです。
そして、その例え話。
ある老人が飢えで倒れていた。
それを見たクマやキツネは、魚などを採って老人に食べさせた。
うさぎは、何も採れなかった。
うさぎは自ら火の中に飛び込み、肉となって、自分を食べてもらうことで
老人の飢えを癒そうとした。
誰しもが、このような事ができる訳ではありません。
ただ、それぞれがそれぞれのできる方法でやれば良い。
お金がある人は、苦しんでいる人に与え、
力のある人は支えてあげる。
何もない人は、相手の気持をくみとって寄り添ってあげる。
それだけでも、例え話のウサギのように、
相手のために苦しんだことになり、
この心が慈悲という。
この慈悲の心は誰にでも宿っていて、
自分が誰かを慈しんだとき、
同じように他の誰かも、自分を慈しんでいる。
自分が誰かを助けたとき、
他の人も、きっと自分を助けてくれる。
それは生きいているものも、草も木も、皆
繋がっているからなのだ、と
ブッダはアジャセ王子に話します。
うまく言葉では言い表せないですが
アジャセ王子の微笑み、
火に飛び込んだウサギ、
それぞれが慈悲の心を宿し、
それが「すべてのものには仏性がある」、
という事かなと思うに至りました。
うさぎの例え話は、行き過ぎ感もありますが
その例えを用いることによって
皆が慈悲心を持っているのだ、と言いたかったのではないかな…と思うのです。
そして、全ては繋がっている、とも。
ふむふむ。
皆さんは、どのように捉えますか?
無事にお施餓鬼も終わり今年もお盆が過ぎました。
もう9月!急に涼しく、秋の気配です。
お施餓鬼会は、新盆のお宅と、役員さん、来られる方々のみにお越しいただき
今年も小川村「おやきの庄」さんのおやきをお配りしました。
コロナ禍ではありましたが、対策を取りながら行い
お盆の法要ができた事は良かったと思います。
さて、すべてのものには仏性がある、の話。
副住職に「こういう意味だと思うのだけど、実際はどうなの?」、と
尋ねたところ「アジャセ王子」の話を読むといいよ、
と言われました。
我が家のトイレに積んであります…。「ブッダ」。
手塚治虫が描いた漫画、「ブッダ」の中の、アジャセ王子です。
細かい話は興味ある方は読んでいただくとして
大まかに言うと、ブッダを嫌い、善良な父王や母を殺したアジャセ王子が
心ではその事を気に病み、
頭に腫瘍ができて苦しむのですが、
ブッダが一日も休まず3年間、
文字通り手当てを施す事によって
医者も見放したアジャセ王子が少しずつ治っていく、
という話です。
そして、腫瘍が小さくなってきた時に、
あんなにブッダを憎んでいたアジャセ王子が
苦しみの中でもブッダに向かって微笑みを見せるのです。
その時ブッダは、
「あの微笑みはまるで神のようだった」と衝撃を受け
「人間の心の中にこそ、神が宿っている」という大きな悟りを
得るのです。
そして、その例え話。
ある老人が飢えで倒れていた。
それを見たクマやキツネは、魚などを採って老人に食べさせた。
うさぎは、何も採れなかった。
うさぎは自ら火の中に飛び込み、肉となって、自分を食べてもらうことで
老人の飢えを癒そうとした。
誰しもが、このような事ができる訳ではありません。
ただ、それぞれがそれぞれのできる方法でやれば良い。
お金がある人は、苦しんでいる人に与え、
力のある人は支えてあげる。
何もない人は、相手の気持をくみとって寄り添ってあげる。
それだけでも、例え話のウサギのように、
相手のために苦しんだことになり、
この心が慈悲という。
この慈悲の心は誰にでも宿っていて、
自分が誰かを慈しんだとき、
同じように他の誰かも、自分を慈しんでいる。
自分が誰かを助けたとき、
他の人も、きっと自分を助けてくれる。
それは生きいているものも、草も木も、皆
繋がっているからなのだ、と
ブッダはアジャセ王子に話します。
うまく言葉では言い表せないですが
アジャセ王子の微笑み、
火に飛び込んだウサギ、
それぞれが慈悲の心を宿し、
それが「すべてのものには仏性がある」、
という事かなと思うに至りました。
うさぎの例え話は、行き過ぎ感もありますが
その例えを用いることによって
皆が慈悲心を持っているのだ、と言いたかったのではないかな…と思うのです。
そして、全ては繋がっている、とも。
ふむふむ。
皆さんは、どのように捉えますか?