2016年03月27日
妊娠8か月★
私事ですが、ただいま妊娠8か月。
嬉しいことに二人目を授かりました。
そんな私ですが、第1子を出産後
2回、流産を経験しました。
4人に1人が流産を経験するとはいえ
やはり悲しかったし
はやく兄弟もつくってあげたかったし
続けて2回ともなると
またそうなるんじゃないかとも思いました。
1人目を比較的はやく、すぐに授かったので
それまではなにも心配していませんでした。
田舎ではとくに
早く作った方がいいとか、
半ば怒られることもあり
「なんで女ばかり、そう言われるんだろう?」とか
「そんなの自分が一番わかってる!」と心の中で思うこともありました。
流産したことはとっても悲しかったし
もう2度とそうなってはほしくない。
できることなら、そんな経験はない方がよいことです。
でも良いようにとらえれば、
私は流産を経験したことによって
その悲しみを知ることができました。
そうでなければ、同じように悲しみ苦しむ人の気持ちや
命が生まれる奇跡を感じることが
もっと少なかったと思います。
お父さんとお母さんがいて、自分が生まれる。
お父さんとお母さんにも父母がいて、そのまた・・・とはよく話される話。
だから、自分という命はたくさんの命、繋がりから生み出されているものだから
尊く、有り難いことなのだと。
確かにその通りですが
頭でわかっていても、なんとなく実感がない。
でも、生まれることのできなかった命(無縁仏)を知ると
この世に生まれることのできた命は
それだけで本当に貴重なものだと思うのです。
何事も悲しい経験、苦しく辛い経験は、できればしたくないものだけど
それによって得るものも多少はあるのだと思います。
嬉しいことに二人目を授かりました。
そんな私ですが、第1子を出産後
2回、流産を経験しました。
4人に1人が流産を経験するとはいえ
やはり悲しかったし
はやく兄弟もつくってあげたかったし
続けて2回ともなると
またそうなるんじゃないかとも思いました。
1人目を比較的はやく、すぐに授かったので
それまではなにも心配していませんでした。
田舎ではとくに
早く作った方がいいとか、
半ば怒られることもあり
「なんで女ばかり、そう言われるんだろう?」とか
「そんなの自分が一番わかってる!」と心の中で思うこともありました。
流産したことはとっても悲しかったし
もう2度とそうなってはほしくない。
できることなら、そんな経験はない方がよいことです。
でも良いようにとらえれば、
私は流産を経験したことによって
その悲しみを知ることができました。
そうでなければ、同じように悲しみ苦しむ人の気持ちや
命が生まれる奇跡を感じることが
もっと少なかったと思います。
お父さんとお母さんがいて、自分が生まれる。
お父さんとお母さんにも父母がいて、そのまた・・・とはよく話される話。
だから、自分という命はたくさんの命、繋がりから生み出されているものだから
尊く、有り難いことなのだと。
確かにその通りですが
頭でわかっていても、なんとなく実感がない。
でも、生まれることのできなかった命(無縁仏)を知ると
この世に生まれることのできた命は
それだけで本当に貴重なものだと思うのです。
何事も悲しい経験、苦しく辛い経験は、できればしたくないものだけど
それによって得るものも多少はあるのだと思います。
2016年03月15日
28年度 初午無事に
13日、無事に玉泉寺の初午が終了しました。
お越し下さいました皆様、ありがとうございました。
昨日14日は、雪が降りつもって
護摩当日でなくて良かったなぁと思う一日。
それでも護摩に来られなかった方が次々とお札を
受け取りに来られました。
私にとっては6回目の初午護摩。
今までは、ただバタバタとしてるだけでしたが
全体の流れもようやく分かってきた感じです。
玉泉寺の初午では、毎年お経の前に余興をやります。
今年は、住職の諏訪時代の教え子でもある
演歌歌手の宮坂寿子さんが歌を、
お檀家さんでもある黒岩春州さんが詩吟を吟じてくださいました。
30分ほどの余興のあと
東日本大震災の追悼法要、
そして今年一年の安穏を願って、護摩を焚きます。
玉泉寺には護摩堂がないので
一年に一度、護摩を焚くのはこの日だけです。


申し込まれたお札やお守り、木札を
護摩の炎でお浄めし、皆さんにお渡しします。
また、身ぶりといって
入院されていたり、遠くにいるなどして
お寺に来られない方には
ハンカチや帽子など身につけているものなどを炎でお浄めする、ということも
受け付けております。



本堂にはたくさんの人。
護摩が始まると、煙がもくもく・・・・・
護摩の火にあたりに、このときばかりは
裏方のおばちゃんたちもお台所から出て、本堂へ。
法要が終わり、住職のお話。
修行中は山やお堂にこもって護摩を焚いたり
お経を唱えたりしますが
なぜ、そんなことをするのか?
思うに、自然と一体となること。
そして動物と一体となることなのだ、といいます。
動物たちは、この自然の中で
五感をフル活動させながら自らの力で生きています。
その感覚を修行僧たちも身につけるように、
修行に励んでいるのではないかと言うのです。
先日の仏教講座で聞いた釈先生の話の中にも
同じような内容がありました。
身体知、という体の知能があり
今はそれが低下している、というものでした。
世の中が便利になると、
私たちの体も楽ができるようになります。
身近なことで言えば電気も自動で点くし、トイレも自動で流れる。
そういった研究は日々進歩し、
よく言えば便利に、
悪く言えば身体知が低下するようになってきました。
それを危惧する声はありますが、
その開発を止めることはないでしょうし
これからますます、身体知が低下する世の中となっていきます。
洗濯は洗濯機が、米炊きは炊飯器がやってくれて
当たり前すぎて今の暮らしには欠かせないものが
たくさんあります。
ただ、この山奥に住んでいて
夜になると前も見えないほど真っ暗になり、ちょっと外に出るだけでも
周りの音や気配、匂いなど
すべての感覚を研ぎ澄ませないと歩けなくて、
そんな時は、頭のてっぺんから足の裏まで
体中がアンテナになっていると感じます。
本当に、山に住むイノシシの気分です。
満月の夜や雪の夜は
それはそれは明るくて、
昔の人がどんなにその明かりを望んでいたのかが
分かるようです。
そういう感覚は、街に住んでいれば皆無。
確かに、生きるものとして
五感を研ぎ澄ませる感覚というのは
どんなに世の中が便利になろうとも
必要なのでは、と思いました。
身体知が低下するというのは
こういうことなのかとも思います。
修行するお坊さんたちは、
この感覚を身につけるべく
修行に励むのだと住職のお話があり
それがとても心に残りました。
さて、そのあとは
お投じそばの振る舞い。
薪でふかしたお赤飯やおでんなど、皆さん
思い思いに食事をなさって、
今年の初午護摩も無事に終えることができました。
毎度のことながら、
参拝してくださる皆さまもそうですが
お手伝いしてくださっている
役員さんはじめ、ご近所の方々、
最近では若い方もお手伝いに
朝早くから、来てくださって本当に本当に感謝です。
会場セッティングから
お台所関係、受付に
駐車場係と、皆さんの力あってのお祭り。
地域の力が崩れている今、
ご縁で繋がり、お寺に来てくださったり
お手伝いとして力を貸してくださったり
ご縁が続いていけるというのは本当にありがたく
嬉しいことだな、と感じます。
住職のお話にもありましたが
初午護摩供養、という縁に導かれて
参拝でも、お手伝いでも、
来られた皆さんが
「今日は来て良かった」、と思える日であるようにと願います。
改めて、今年一年が
皆さんにとって良い一年となりますように。
ありがとうございました。
お越し下さいました皆様、ありがとうございました。
昨日14日は、雪が降りつもって
護摩当日でなくて良かったなぁと思う一日。
それでも護摩に来られなかった方が次々とお札を
受け取りに来られました。
私にとっては6回目の初午護摩。
今までは、ただバタバタとしてるだけでしたが
全体の流れもようやく分かってきた感じです。
玉泉寺の初午では、毎年お経の前に余興をやります。
今年は、住職の諏訪時代の教え子でもある
演歌歌手の宮坂寿子さんが歌を、
お檀家さんでもある黒岩春州さんが詩吟を吟じてくださいました。
30分ほどの余興のあと
東日本大震災の追悼法要、
そして今年一年の安穏を願って、護摩を焚きます。
玉泉寺には護摩堂がないので
一年に一度、護摩を焚くのはこの日だけです。
申し込まれたお札やお守り、木札を
護摩の炎でお浄めし、皆さんにお渡しします。
また、身ぶりといって
入院されていたり、遠くにいるなどして
お寺に来られない方には
ハンカチや帽子など身につけているものなどを炎でお浄めする、ということも
受け付けております。
本堂にはたくさんの人。
護摩が始まると、煙がもくもく・・・・・
護摩の火にあたりに、このときばかりは
裏方のおばちゃんたちもお台所から出て、本堂へ。
法要が終わり、住職のお話。
修行中は山やお堂にこもって護摩を焚いたり
お経を唱えたりしますが
なぜ、そんなことをするのか?
思うに、自然と一体となること。
そして動物と一体となることなのだ、といいます。
動物たちは、この自然の中で
五感をフル活動させながら自らの力で生きています。
その感覚を修行僧たちも身につけるように、
修行に励んでいるのではないかと言うのです。
先日の仏教講座で聞いた釈先生の話の中にも
同じような内容がありました。
身体知、という体の知能があり
今はそれが低下している、というものでした。
世の中が便利になると、
私たちの体も楽ができるようになります。
身近なことで言えば電気も自動で点くし、トイレも自動で流れる。
そういった研究は日々進歩し、
よく言えば便利に、
悪く言えば身体知が低下するようになってきました。
それを危惧する声はありますが、
その開発を止めることはないでしょうし
これからますます、身体知が低下する世の中となっていきます。
洗濯は洗濯機が、米炊きは炊飯器がやってくれて
当たり前すぎて今の暮らしには欠かせないものが
たくさんあります。
ただ、この山奥に住んでいて
夜になると前も見えないほど真っ暗になり、ちょっと外に出るだけでも
周りの音や気配、匂いなど
すべての感覚を研ぎ澄ませないと歩けなくて、
そんな時は、頭のてっぺんから足の裏まで
体中がアンテナになっていると感じます。
本当に、山に住むイノシシの気分です。
満月の夜や雪の夜は
それはそれは明るくて、
昔の人がどんなにその明かりを望んでいたのかが
分かるようです。
そういう感覚は、街に住んでいれば皆無。
確かに、生きるものとして
五感を研ぎ澄ませる感覚というのは
どんなに世の中が便利になろうとも
必要なのでは、と思いました。
身体知が低下するというのは
こういうことなのかとも思います。
修行するお坊さんたちは、
この感覚を身につけるべく
修行に励むのだと住職のお話があり
それがとても心に残りました。
さて、そのあとは
お投じそばの振る舞い。
薪でふかしたお赤飯やおでんなど、皆さん
思い思いに食事をなさって、
今年の初午護摩も無事に終えることができました。
毎度のことながら、
参拝してくださる皆さまもそうですが
お手伝いしてくださっている
役員さんはじめ、ご近所の方々、
最近では若い方もお手伝いに
朝早くから、来てくださって本当に本当に感謝です。
会場セッティングから
お台所関係、受付に
駐車場係と、皆さんの力あってのお祭り。
地域の力が崩れている今、
ご縁で繋がり、お寺に来てくださったり
お手伝いとして力を貸してくださったり
ご縁が続いていけるというのは本当にありがたく
嬉しいことだな、と感じます。
住職のお話にもありましたが
初午護摩供養、という縁に導かれて
参拝でも、お手伝いでも、
来られた皆さんが
「今日は来て良かった」、と思える日であるようにと願います。
改めて、今年一年が
皆さんにとって良い一年となりますように。
ありがとうございました。
2016年03月11日
3.11 護摩の準備をしながら
一昨日、昨日と雪が降っていました。
雪が降る中でのお札準備。
お手伝いに来てくださった方もいまして
大変助かりました

ありがとうございました!!
護摩の準備をしていると、
年々、役員さんがとりまとめてくれる
申し込み戸数が減っていることに気づきます。
超限界集落にある玉泉寺では
地域が崩壊し、まわりにほぼ家がないので
当然ではありますが
それが顕著にわかります。
その代わり、個人で申し込みされる方が増えています。
こういった方は、
役員さんを通してではなく
個人的にお寺にいらっしゃる方で
街や遠くに住んでいる方も含まれます。
なんだか、
今の社会を表しているなぁと感じます。

今日は東日本大震災から5年目の日。
毎年、護摩の準備をするときに
大震災の日のことを思い出します。
当時、一緒にお手伝いしてくれていた
今は亡きおじいちゃんのことも。
こうして時折思い出すことで
その人はずっと心の中で生き続けると、
この間の尾角光美さんもお話していたっけ。
確かに、
毎年護摩の準備をしながら
必ずおじいちゃんの話をして、地震の話をして、
あの時はああだった、こうだった、と
毎年お決まりのパターンなんだけど
なんだかそれが嬉しかったりします。
13日の玉泉寺、初午護摩法要では
東日本大震災の慰霊法要も行われます。
忘れずに繋いでいくということが供養となり、
残された私たちの支えにもなるのではないかと
お札を袋詰めしながら
思うのでした。
雪が降る中でのお札準備。
お手伝いに来てくださった方もいまして
大変助かりました


ありがとうございました!!
護摩の準備をしていると、
年々、役員さんがとりまとめてくれる
申し込み戸数が減っていることに気づきます。
超限界集落にある玉泉寺では
地域が崩壊し、まわりにほぼ家がないので
当然ではありますが
それが顕著にわかります。
その代わり、個人で申し込みされる方が増えています。
こういった方は、
役員さんを通してではなく
個人的にお寺にいらっしゃる方で
街や遠くに住んでいる方も含まれます。
なんだか、
今の社会を表しているなぁと感じます。
今日は東日本大震災から5年目の日。
毎年、護摩の準備をするときに
大震災の日のことを思い出します。
当時、一緒にお手伝いしてくれていた
今は亡きおじいちゃんのことも。
こうして時折思い出すことで
その人はずっと心の中で生き続けると、
この間の尾角光美さんもお話していたっけ。
確かに、
毎年護摩の準備をしながら
必ずおじいちゃんの話をして、地震の話をして、
あの時はああだった、こうだった、と
毎年お決まりのパターンなんだけど
なんだかそれが嬉しかったりします。
13日の玉泉寺、初午護摩法要では
東日本大震災の慰霊法要も行われます。
忘れずに繋いでいくということが供養となり、
残された私たちの支えにもなるのではないかと
お札を袋詰めしながら
思うのでした。
2016年03月08日
仏教講座 二日目
さてさて、先週から引き続き、仏教講座二日目に行ってまいりました。
「ボクは坊さん。」の著書で有名な白川密成さんのお話。
著書が映画化もされました。
白川住職さんは、24歳という若さで住職になられて
無我夢中でお寺を守ってきたとのこと。
お坊さんの毎日を綴ったブログが本となり、
その後様々なメディアにご出演したり、
お寺でマルシェを開いたりする中で
地域の人達との交流を持ち、
仏教の教えを分かりやすく親しみを持ってもらうなど
幅広い活動をされている方でした。
同じ真言宗のお寺さん、ということもあり
弘法大師空海さんの言葉や
お釈迦様の教えのなかでも原始仏教といって
法句経というお教の中から
いくつか言葉を紹介くださいました。
この法句経というのは私も好きな教典。
仏教のバイブルともよばれているそうです。
お経というよりも、詩のような感じ。
お釈迦様の言葉がそのまま綴られていて、
心に染み入ります。
特に有名な言葉は、
「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。
怨みをすててこそ、やむ。これは永遠の真理である。」
これは、フランスのテロが起きた時に
家族を亡くした男性がフェイスブックで
この文章と似たような投稿をし、話題となりました。
彼が法句経を知っていて載せたのかは分かりませんが、
この言葉が世界中に衝撃を与えました。
他にも、法句経にはとても良い言葉がたくさん。
また後日、ご紹介できればと思います。
さて、第二講義は
「現代を生きる力としての仏教」と題して、釋徹宗さんのお話。
とても面白い先生で、1時間半の講義があっという間。
現代は、
科学も技術も発達して便利になり
食料も豊かすぎるほどあり
みんなが学校にいけて、所得もあがり
経済的にゆたかになっているはずなのに
なぜか皆、生きづらさを感じている。
全てに自己決定を求められる現代だけど
理想と現実の差に私たち人間は苦しむのだそうです。
また、スピード、情報化社会となり自分の内在時間が萎縮しているからなのだそう。
世の中が便利になればなるほど、自分の時間が短くなる。
すると我慢できなくなって、イライラしやすくなる。
文明と文化があって、
文明は合理的で進歩するものが栄養。
文化は不合理で理屈に合わないものが栄養。
文明と文化。どちらも大切に育てていかなければならないものですが
それには仏教の考え方、教えがとても生きてくるといいます。
このスピード社会で自らを調えていくことを説いているのが
なん前年も昔から伝わる仏教の教えとつながるところが
仏教の素晴らしさと感動。
どんな時代にあっても
お釈迦様の言葉は変わらず、
私たちの生き方にひかりをさしてくれるのだと感じました。
白川先生、釋先生のお話はとても面白く、ずっと聞いていたいほど。
大変有意義な仏教講座となりました


「ボクは坊さん。」の著書で有名な白川密成さんのお話。
著書が映画化もされました。
白川住職さんは、24歳という若さで住職になられて
無我夢中でお寺を守ってきたとのこと。
お坊さんの毎日を綴ったブログが本となり、
その後様々なメディアにご出演したり、
お寺でマルシェを開いたりする中で
地域の人達との交流を持ち、
仏教の教えを分かりやすく親しみを持ってもらうなど
幅広い活動をされている方でした。
同じ真言宗のお寺さん、ということもあり
弘法大師空海さんの言葉や
お釈迦様の教えのなかでも原始仏教といって
法句経というお教の中から
いくつか言葉を紹介くださいました。
この法句経というのは私も好きな教典。
仏教のバイブルともよばれているそうです。
お経というよりも、詩のような感じ。
お釈迦様の言葉がそのまま綴られていて、
心に染み入ります。
特に有名な言葉は、
「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。
怨みをすててこそ、やむ。これは永遠の真理である。」
これは、フランスのテロが起きた時に
家族を亡くした男性がフェイスブックで
この文章と似たような投稿をし、話題となりました。
彼が法句経を知っていて載せたのかは分かりませんが、
この言葉が世界中に衝撃を与えました。
他にも、法句経にはとても良い言葉がたくさん。
また後日、ご紹介できればと思います。
さて、第二講義は
「現代を生きる力としての仏教」と題して、釋徹宗さんのお話。
とても面白い先生で、1時間半の講義があっという間。
現代は、
科学も技術も発達して便利になり
食料も豊かすぎるほどあり
みんなが学校にいけて、所得もあがり
経済的にゆたかになっているはずなのに
なぜか皆、生きづらさを感じている。
全てに自己決定を求められる現代だけど
理想と現実の差に私たち人間は苦しむのだそうです。
また、スピード、情報化社会となり自分の内在時間が萎縮しているからなのだそう。
世の中が便利になればなるほど、自分の時間が短くなる。
すると我慢できなくなって、イライラしやすくなる。
文明と文化があって、
文明は合理的で進歩するものが栄養。
文化は不合理で理屈に合わないものが栄養。
文明と文化。どちらも大切に育てていかなければならないものですが
それには仏教の考え方、教えがとても生きてくるといいます。
このスピード社会で自らを調えていくことを説いているのが
なん前年も昔から伝わる仏教の教えとつながるところが
仏教の素晴らしさと感動。
どんな時代にあっても
お釈迦様の言葉は変わらず、
私たちの生き方にひかりをさしてくれるのだと感じました。
白川先生、釋先生のお話はとても面白く、ずっと聞いていたいほど。
大変有意義な仏教講座となりました



2016年03月05日
お寺ごはん、連載です★
長野市、千曲市、須坂市、中野市、小布施町など北信を中心に
季刊で発行されている子育てフリーペーパーMam`s Style。
今月の春号から
「お寺の奥さんが教える~こころとからだに優しいお寺ごはん~」と題して
レシピ連載をさせてもらうことになりました。
今月は入学や卒業などでお祝いの季節に欠かせないお赤飯。
お寺でもお祝いの行事には蒸し器でたーくさん、ふかします。
できたてのお赤飯はもちもち、ふっくら。
ぜひ、ご家庭でも作ってみてください!
フリーペーパー、見かけた際はぜひ手にとってご覧ください
そしてもう一つ、ソラテラのお知らせ。
4月から、また例年通り玉泉寺ではソラテラを開きます。
4月のテーマは
「お坊さんとトーク★花祭りに集う学びの場」。
なんのこっちゃ!?というざっくばらんな感じですが
要は、お坊さんを囲んで自分の聞きたいこと、知りたいこと
話したいこと、やりたいことを発表しあったり、
何かひとつ学んで良かったなぁと思える場にできれば、ということです。
日にちは4月8日(金)、花祭りの日。
時間や場所は、追って詳細をこちらのブログでお知らせします。
どうぞよろしくお願いします

季刊で発行されている子育てフリーペーパーMam`s Style。
今月の春号から
「お寺の奥さんが教える~こころとからだに優しいお寺ごはん~」と題して
レシピ連載をさせてもらうことになりました。
今月は入学や卒業などでお祝いの季節に欠かせないお赤飯。
お寺でもお祝いの行事には蒸し器でたーくさん、ふかします。
できたてのお赤飯はもちもち、ふっくら。
ぜひ、ご家庭でも作ってみてください!
フリーペーパー、見かけた際はぜひ手にとってご覧ください

そしてもう一つ、ソラテラのお知らせ。
4月から、また例年通り玉泉寺ではソラテラを開きます。
4月のテーマは
「お坊さんとトーク★花祭りに集う学びの場」。
なんのこっちゃ!?というざっくばらんな感じですが
要は、お坊さんを囲んで自分の聞きたいこと、知りたいこと
話したいこと、やりたいことを発表しあったり、
何かひとつ学んで良かったなぁと思える場にできれば、ということです。
日にちは4月8日(金)、花祭りの日。
時間や場所は、追って詳細をこちらのブログでお知らせします。
どうぞよろしくお願いします


2016年03月01日
仏教講座に参加
先週の土曜日、南長野仏教会が主催する
仏教講座に参加して参りました。
第1週と第2週の2週にわたっての2日間。
まず1日目が終わりました。
内容は、第一講義が
「般若心経の教え」。
NHK100分de名著、にも出演されている
佐々木閑先生のお話でした。
般若心経って、最もポピュラーなお経だと思うのですが
その分かりそうで分かりにくい教えを分かりやすく、
解説してくださいました。
何千年も昔のお釈迦様、インドのお坊さんたちは
何千年も昔から、この空の感覚というか
目に見えないこのあやふやなモノに対して考え、
取り組んでいたと思うと
改めてインド人てすごいなー、と思ったり
よく、インド人は数学に長けていて、ゼロの概念を昔から持っていた、と言われますが
般若心経というのは、感覚的であって理屈ではない、
数学や理系とは逆の感覚なのではないかと思ったりもするのですが、
それを実は古代インドのお坊さんは分かっていた、感じていた、
というところがまた、スゴイと
ちょっと違う視点かもしれませんが、ひとり感心しておりました。
そして第二講義。
「大切な人をなくした悲しみを抱く力」、と題して
一般社団法人リヴオン代表の尾角光美先生のお話。
実は、今回、この講座を受講したのは、
尾角さんのお話を聞きたくて。
自殺や、災害、事故などで家族や近しい人をなくした人たちを支える
グリーフケア(大切な人や物を失うことによって生じる感情のケア)の活動をされている方です。
私は幸いにも今まで、身近な人を突然亡くす、という経験はしたことがないのですが
お寺ではご葬儀、法事も含めて、死と無関係ではありません。
その中にはもちろん、突然、近しい人を突然亡くされた方もいらっしゃいますし、
突然でなくても、今でも悲しみや後悔から立ち直れないでいる方も。
そんな時、どう寄り添ったらよいのか、
正直わかりません。
このブログにも思うことを書いたりしますが、
それでもどれが正しいのか、どうすればよいのか。
尾角さんのお話にもありましたが、
人が100人いれば、100通りの悲しみ方や感じ方があるので
どれが正しいというのはないと。
ただ、それを分かったうえで
ありのまま、そのままに聴く。こちらの物差しで判断するのでなく
ありのままに聴く。
その他、一時間半、とーっても内容の濃い講義をしていただき
大変勉強になりました。
葬儀や法事の役割、必要性も説明されておりました。
実際に、そういうような活動をされている方からのお話は説得力がある。
(本来はお坊さんがもっと頑張らねばならない?)
東日本大震災が起きたあと、
震災の跡地で子供たちが「津波ごっこ」をして遊んでいた、といいます。
聞くだけでびっくり!そんな遊びしてもいいの!?
と思ってしまいますが
子供たちは、その「津波ごっこ」をしながら
助けられなかった人を助ける、ということをして
自分のグリーフケアを自然としていた、というのでした。
命は死んだら終わり、ではなく、
私たちがお参りしたり、手を合わせたり、
偲んだり思ったりすることで
いつでも亡くなった人とつながることができる。
なくしたものとつながりながら、生きていくことができる、ということです。
グリーフ(悲しみ)を無くすのではなく、
少しづつ抱えやすくしていく、
グリーフと向き合っていく力をつけていくことなのだそうです。
そして、
「いつでも気にかけているよ」、と
苦しいと思ったときに相談できる、立ち寄れる場所があることを
発信することが、わたしたちにできることだ、と最後にお話になっていました。
講義を終えて、気持ちがすっとしました。
わかっていたようでモヤモヤしていた気持ちが晴れました。
ありがとうございました。


また来週に第二日目の講座があります。
楽しみです。
仏教講座に参加して参りました。
第1週と第2週の2週にわたっての2日間。
まず1日目が終わりました。
内容は、第一講義が
「般若心経の教え」。
NHK100分de名著、にも出演されている
佐々木閑先生のお話でした。
般若心経って、最もポピュラーなお経だと思うのですが
その分かりそうで分かりにくい教えを分かりやすく、
解説してくださいました。
何千年も昔のお釈迦様、インドのお坊さんたちは
何千年も昔から、この空の感覚というか
目に見えないこのあやふやなモノに対して考え、
取り組んでいたと思うと
改めてインド人てすごいなー、と思ったり

よく、インド人は数学に長けていて、ゼロの概念を昔から持っていた、と言われますが
般若心経というのは、感覚的であって理屈ではない、
数学や理系とは逆の感覚なのではないかと思ったりもするのですが、
それを実は古代インドのお坊さんは分かっていた、感じていた、
というところがまた、スゴイと
ちょっと違う視点かもしれませんが、ひとり感心しておりました。
そして第二講義。
「大切な人をなくした悲しみを抱く力」、と題して
一般社団法人リヴオン代表の尾角光美先生のお話。
実は、今回、この講座を受講したのは、
尾角さんのお話を聞きたくて。
自殺や、災害、事故などで家族や近しい人をなくした人たちを支える
グリーフケア(大切な人や物を失うことによって生じる感情のケア)の活動をされている方です。
私は幸いにも今まで、身近な人を突然亡くす、という経験はしたことがないのですが
お寺ではご葬儀、法事も含めて、死と無関係ではありません。
その中にはもちろん、突然、近しい人を突然亡くされた方もいらっしゃいますし、
突然でなくても、今でも悲しみや後悔から立ち直れないでいる方も。
そんな時、どう寄り添ったらよいのか、
正直わかりません。
このブログにも思うことを書いたりしますが、
それでもどれが正しいのか、どうすればよいのか。
尾角さんのお話にもありましたが、
人が100人いれば、100通りの悲しみ方や感じ方があるので
どれが正しいというのはないと。
ただ、それを分かったうえで
ありのまま、そのままに聴く。こちらの物差しで判断するのでなく
ありのままに聴く。
その他、一時間半、とーっても内容の濃い講義をしていただき
大変勉強になりました。
葬儀や法事の役割、必要性も説明されておりました。
実際に、そういうような活動をされている方からのお話は説得力がある。
(本来はお坊さんがもっと頑張らねばならない?)
東日本大震災が起きたあと、
震災の跡地で子供たちが「津波ごっこ」をして遊んでいた、といいます。
聞くだけでびっくり!そんな遊びしてもいいの!?
と思ってしまいますが
子供たちは、その「津波ごっこ」をしながら
助けられなかった人を助ける、ということをして
自分のグリーフケアを自然としていた、というのでした。
命は死んだら終わり、ではなく、
私たちがお参りしたり、手を合わせたり、
偲んだり思ったりすることで
いつでも亡くなった人とつながることができる。
なくしたものとつながりながら、生きていくことができる、ということです。
グリーフ(悲しみ)を無くすのではなく、
少しづつ抱えやすくしていく、
グリーフと向き合っていく力をつけていくことなのだそうです。
そして、
「いつでも気にかけているよ」、と
苦しいと思ったときに相談できる、立ち寄れる場所があることを
発信することが、わたしたちにできることだ、と最後にお話になっていました。
講義を終えて、気持ちがすっとしました。
わかっていたようでモヤモヤしていた気持ちが晴れました。
ありがとうございました。
また来週に第二日目の講座があります。
楽しみです。