2021年08月15日

悲しみを知る人たちは

雨が降り続いています。


玉泉寺でも裏山には十分に気を付けていますが
引き続き、土砂災害や河川の反乱には注意が必要です。
国道19号も通行止めになってしまい、心配です。



この雨の中、そしてコロナが増えている最中ですが、
住職、副住職ともに、了承を得て
お檀家さん周りをしています。

私が「この雨やコロナの中、お参りに来てほしいって言っていただけるって有り難いし、嬉しいね。」、と言うと
副住職が、「それ以上に悲しみを知っているんだよ」、と話してくれました。

私は基本、お寺で留守番ですが
各地域のお檀家さん周りをしている住職や副住職は、
きっと、そこで色々な話をしているし
聞いていることでしょう。

新盆のお宅もあるし、毎年お参りに出かけるお宅もあります。

でもやはり、お盆には来てほしい、来てくれて有り難う、と言って下さるのは
大切な人を失くした人であるからこそ
そう強く思うのではないかと、思いました。

そしてお坊さんも、それに応えられるように。
必要とされるものでありたいものです。

自分が悲しい思いをした分、
誰かの悲しみも分かる。

そんな事を思ったのでした。



 


Posted by 玉泉寺 at 09:07 | Comments(0) | お寺
 

2021年08月14日

全てのものに仏性がある。

さて、毎年お盆は県外からお参りに来られる方がいたりと
それなりに忙しないのですが
今年もコロナによって、県外の方はお見えになりません。
そして降り続く雨もあって、ひっそりとしています。

16日の施餓鬼会のために、掃除と準備をします。

夏休みでぐうたら過ごす子どもたちにも仕事を与え、
掃除機に雑巾がけに、やらせます。

本堂に椅子を運んだり、ふいたり。
そのうちに末っ子の方から、脱落していきます。
長男は、四年生なので、一応言われたことはせっせと
働いてくれます。

なんとなく一区切りつくと、子どもたちは本堂を走り回ったり
太鼓を叩いたり、かくれんぼして、遊び始めます。
私はお寺育ちではないので、
子どもがこんなに太鼓を叩きまくっていいのかな?
バチあたりではないのか??
まぁ、他にお客さんもいないし、壊さなければいっか。
と、自分なりの解釈をして遊ばせております。
こら!そんなところで遊んじゃいかん!、と怒られてしまうかしら。
でも、子どもが遊んでたら仏さんだって嬉しいよね、とこれまた勝手に解釈するのです。

長男に、「こんなに遊んで、仏さん、怒ってるかな?」、と聞くと
ご本尊さんの顔をじっと眺めて、
「何か言ってると思う。でも、それが何か分からない。」と彼は言っていました。

私が明かりを点けて、よーくお顔を拝見しますと(こんなにきちんと見たの、初めてかも)
ムッとしたようなおじさんのお顔でしたので、長男にそう言うと
「おじさんはよくないと思うよ」、と言われてしまいました。

さてさて。
仏教では、全てのものに仏性がある、といいます。
あなたも私も、自然界の動物や草木までもが、仏となりうるのだ、ということです。

その言葉だけ聞けば、「ふむふむ、そうか」、と思うのですが
先日山道を運転していて、ふとこの言葉が腑に落ちました。

相手がいいことをしていたら素晴らしいな、私もああ成れるよう頑張ろう、とか
悪いことをしていたら、ああいうことはすべきではない、気を付けよう、とか
相手から何かを学べます。
ですから、そういう意味では
悪い人も相手に気付きを与えるということで仏性がある。

自然のものもそうで、自然の恵み、というだけでなく
雨が降り、草が伸び、
地域のみんなで草刈りをする。
雪も同じで、雪が降って嫌だな、嬉しいな、雪掻きをしよう、とか
いろんな事を思ったり、考えさせられたり。

それによって、自分が考えたり、学んだり思ったりすることができる、
ということが仏性がある、というのではないかと
草木が生い茂る山道を運転しながら、なんとなく思ったのです。

…でも、あくまでもこれは、私個人の見解なので
本当のところをお坊さんに聞いてみようと思いますface03face03






 


Posted by 玉泉寺 at 15:43 | Comments(0) | お寺
 

2021年08月13日

お施餓鬼について

今年も玉泉寺にて
8/16、お施餓鬼法要を執り行います。

コロナのため縮小となりますが、新盆の方には
お越しいただいております。

施餓鬼とは、読んで字のごとく、餓鬼に施す。
目に見えない自然界の精霊やそれぞれに、施しをすること。
お盆は決して、自分のご先祖さんだけを祀る日ではないのです。
あらゆる精霊たちに施しをする日。

そうすることによって、巡りめぐって、私たちに功徳が及ぼされる、
というものです。
ですから、施餓鬼は、お盆だけのものじゃないのです。
いつ行ってもいい。いつ施してもいい。そういったものです。

お盆の設えを改めて書きますと、
みずのこ、と言ってなすときゅうりを賽の目切りにしたものと、
お米を精霊棚に供えます。
これは、餓鬼は喉が細いので大きいものは食べられないと言うことで
小さく切ったもの。
そして、笹を飾ります。
餓鬼は、人目を避けるので笹で影をつくってあげる、ということです。

そして、きゅうりの馬となすの牛。
天ぷらや北信で言えばおやき。
故人の好きだったものなどをお供えします。

餓鬼に施す。
一見、自分には関係のないもののように思えるものでも、
巡りめぐって、周りまわって、繋がっている。

自分には関係がなくても、
自分の子や孫や子孫に関わっていくかもしれない。

そうした、今、自分に全く関わりのないものに
支えられて生きているんだなぁ、と感じることも
お盆の良さですね。

ぜひ皆さんも、このお盆の期間には
そうしたことにも、思いを馳せてみてください。
 


Posted by 玉泉寺 at 20:59 | Comments(0) | お寺