2016年03月01日

仏教講座に参加

先週の土曜日、南長野仏教会が主催する
仏教講座に参加して参りました。

第1週と第2週の2週にわたっての2日間。
まず1日目が終わりました。

内容は、第一講義が
「般若心経の教え」。
NHK100分de名著、にも出演されている
佐々木閑先生のお話でした。

般若心経って、最もポピュラーなお経だと思うのですが
その分かりそうで分かりにくい教えを分かりやすく、
解説してくださいました。
何千年も昔のお釈迦様、インドのお坊さんたちは
何千年も昔から、この空の感覚というか
目に見えないこのあやふやなモノに対して考え、
取り組んでいたと思うと
改めてインド人てすごいなー、と思ったりicon16

よく、インド人は数学に長けていて、ゼロの概念を昔から持っていた、と言われますが
般若心経というのは、感覚的であって理屈ではない、
数学や理系とは逆の感覚なのではないかと思ったりもするのですが、
それを実は古代インドのお坊さんは分かっていた、感じていた、
というところがまた、スゴイと
ちょっと違う視点かもしれませんが、ひとり感心しておりました。


そして第二講義。
「大切な人をなくした悲しみを抱く力」、と題して
一般社団法人リヴオン代表の尾角光美先生のお話。

実は、今回、この講座を受講したのは、
尾角さんのお話を聞きたくて。

自殺や、災害、事故などで家族や近しい人をなくした人たちを支える
グリーフケア(大切な人や物を失うことによって生じる感情のケア)の活動をされている方です。

私は幸いにも今まで、身近な人を突然亡くす、という経験はしたことがないのですが
お寺ではご葬儀、法事も含めて、死と無関係ではありません。
その中にはもちろん、突然、近しい人を突然亡くされた方もいらっしゃいますし、
突然でなくても、今でも悲しみや後悔から立ち直れないでいる方も。

そんな時、どう寄り添ったらよいのか、
正直わかりません。
このブログにも思うことを書いたりしますが、
それでもどれが正しいのか、どうすればよいのか。
尾角さんのお話にもありましたが、
人が100人いれば、100通りの悲しみ方や感じ方があるので
どれが正しいというのはないと。
ただ、それを分かったうえで
ありのまま、そのままに聴く。こちらの物差しで判断するのでなく
ありのままに聴く。

その他、一時間半、とーっても内容の濃い講義をしていただき
大変勉強になりました。
葬儀や法事の役割、必要性も説明されておりました。
実際に、そういうような活動をされている方からのお話は説得力がある。
(本来はお坊さんがもっと頑張らねばならない?)

東日本大震災が起きたあと、
震災の跡地で子供たちが「津波ごっこ」をして遊んでいた、といいます。
聞くだけでびっくり!そんな遊びしてもいいの!?
と思ってしまいますが
子供たちは、その「津波ごっこ」をしながら
助けられなかった人を助ける、ということをして
自分のグリーフケアを自然としていた、というのでした。


命は死んだら終わり、ではなく、
私たちがお参りしたり、手を合わせたり、
偲んだり思ったりすることで
いつでも亡くなった人とつながることができる。
なくしたものとつながりながら、生きていくことができる、ということです。
グリーフ(悲しみ)を無くすのではなく、
少しづつ抱えやすくしていく、
グリーフと向き合っていく力をつけていくことなのだそうです。

そして、
「いつでも気にかけているよ」、と
苦しいと思ったときに相談できる、立ち寄れる場所があることを
発信することが、わたしたちにできることだ、と最後にお話になっていました。

講義を終えて、気持ちがすっとしました。
わかっていたようでモヤモヤしていた気持ちが晴れました。
ありがとうございました。





また来週に第二日目の講座があります。
楽しみです。





 


Posted by 玉泉寺 at 15:17 | Comments(2) | お寺