2020年07月14日
てばなす
おてらおやつクラブという団体に加入しています。
お寺にお供えいただくお供物やご寄付頂いた品を
必要としている団体や施設にお届けする、おすそわけするというもの。
それは、ただ余ったからおすそ分け、というのではなく
本堂で仏様にお供えし、その仏様のお下がりを皆さんと分ける、といったことです。
おてらおやつクラブでは、
そうした気持ちの部分を大切にしているのだと思います。
顔の見えない誰かではあるけれど、巡り巡って
相手を思って気持ちを届ける、といった仏教の縁のつながりが
感じられる取り組みではないかな、と感じています。
年に数回、おやつクラブからの冊子が届きますが
その中で、クラブに賛同しおすそ分けを続けているご住職のインタビューがありました。
「いただいたものがあったときに、それを自分のものにしない。
蓄えない。どんどん出していくと不思議なもので、
もっと入ってくる。
出さないと入ってこない。握っているから掴めない。
それが施すということであり、てばなすということだと思っています。」と
ありました。
はっとさせられた言葉でした。
モノも気持ちも有形も無形も
留めるのではなくて、巡っていく。
もしかしたら、モノは有って無いようなものなのかもしれません。
てばなす。
次の人へ回し向ける。
水のように
巡ってゆくのがいいなあと思いました。
お寺にお供えいただくお供物やご寄付頂いた品を
必要としている団体や施設にお届けする、おすそわけするというもの。
それは、ただ余ったからおすそ分け、というのではなく
本堂で仏様にお供えし、その仏様のお下がりを皆さんと分ける、といったことです。
おてらおやつクラブでは、
そうした気持ちの部分を大切にしているのだと思います。
顔の見えない誰かではあるけれど、巡り巡って
相手を思って気持ちを届ける、といった仏教の縁のつながりが
感じられる取り組みではないかな、と感じています。
年に数回、おやつクラブからの冊子が届きますが
その中で、クラブに賛同しおすそ分けを続けているご住職のインタビューがありました。
「いただいたものがあったときに、それを自分のものにしない。
蓄えない。どんどん出していくと不思議なもので、
もっと入ってくる。
出さないと入ってこない。握っているから掴めない。
それが施すということであり、てばなすということだと思っています。」と
ありました。
はっとさせられた言葉でした。
モノも気持ちも有形も無形も
留めるのではなくて、巡っていく。
もしかしたら、モノは有って無いようなものなのかもしれません。
てばなす。
次の人へ回し向ける。
水のように
巡ってゆくのがいいなあと思いました。