お寺のお仕事 その1

2014年11月20日

こんなこと、あんまり言ってはいけないのかもしれませんが・・・

お寺には、様々な悩みを持って来られる方が多くいらっしゃいます。

心の悩み、からだの悩み、仕事の悩み、家族の悩み、勉強の悩み、人間関係の悩み・・

大小あるかもしれませんが、
誰しもが、同じような悩みを持っているのでは、と思います。

赤ちゃんが、この世に生まれ落ちた時に泣くのは、
この世が厳しい世界だからで、この世に生を受けたのを悲しんでいるからだ、と
聞いたことがあります。

それくらい、きっと、この世は辛く厳しい世界なのでしょう。

同じ悩みを、私たち人間は2000年も前からずっと持っています。
お経をみても、その悩みに対する解決法を説いて教えてくれている、といった感じです。

うまく言えないのですが、仏教では、
その悩みに対して、諦める、少し離れて観る、と言っています。
執着、煩悩を捨てる、ということですね。

諦める、というと聞こえが悪いのですが本来は仏教用語だそうで
決して、悪い意味とは限らないそうです。
何もしない、ということではないのです。

その悩み、煩悩から、距離をおいて離れて観る。

そうすることで、煩悩にとらわれない自分でいられる。
逆を言えば、悩みを作っているのは自分、というわけです。

私も、仏教初心者ですが、この話を聞いた時に
気持ちが、ストン、としたのを覚えています。

お経には、その、ストン、とくることがたくさん書かれています。
私は、そんな仏教の教えがとても好きなのです。
まぁ、それがすぐに実践できればいいのですが、、、そのへんが俗人というものでしょうか。


「こうしたい、ああしたい」「こうなればいい、ああなればいい」と、
私たちは日々の生活の中で、色々思うわけです。
それが悪いわけじゃない。そう思わないと向上もしませんから、
その気持ちも大切ですが、それにとらわれすぎてはいけない。
とらわれたときは、諦めてみる。

そうすると、ふと、気持ちが楽になるような。そんな気がしませんか。

もちろん、そんなことを言ってられない、重大な悩みもあるでしょう。
その気持ちも、すごく分かります。

でも、お寺にいて、いろんな方に会うと思うのです。
みんな、幸せなんじゃないかなぁって。

反論もあるかもしれませんが、だって、着るものもあって、
食べるものもあって、この山寺まで来られる元気も車もあって。
一人で来られない人は、連れてきてくれる誰かがいてくれて。
そして、聞いてくれる人もいる。

お寺でお話された方は、だいたい、すっきりして帰っていかれます。

お寺は、そういう場所であっていいと思うのです。
この山寺の存在が、「あそこへいけば、」と思ってもらえる活力になれば
お寺の役割って、あるのじゃないかな、と思うわけです。

それが、仏教やお寺の本来のお仕事、と思うのです。












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Posted by 玉泉寺 at 22:14 | Comments(0) | お寺 | 暮らし
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