新年会にて思うこと
2016年02月15日
先週末は大町温泉郷にて、玉泉寺役員さんの新年会でありました。
毎年、この時期に役員さん、帳元さんをお招きしての会となります。
私もお嫁に来て、はや5年となったので
皆さんのお顔とお名前も一致し、
(最初の頃はたくさんの顔と名前を覚えるのが精一杯、
しかも同じ苗字の方がたくさんいらっしゃるので、余計にこんがらがったりしておりました

)
それに比べれば、幾分余裕?をもってお話できるようにもなりました。
宴席ではお酒も入って
よりざっくばらんに役員さんたちひとりひとりと話ができるし、
私の気持ちも、役員さんたちの気持ちも聞けるので
私は、この新年会を密かな楽しみとしております。
「今年も一年、よろしくお願い致します」、という趣旨の新年会ですが
この新年会を通して、改めてお寺というのは檀家さんのものである、
お寺を必要としてくれる人たちのためのものである、と思うのです。
お寺は、住職やその家族のものでは決してありません。
よく、勘違いしてそのお寺が自分のものであり、檀家さんがそれに従わねばならないようなことを言うお寺さんがある、と聞きますが
全く違うと思います。
私たちお寺の人間は、檀家さんたちからこのお寺を任されているのであって、自分のものではなく、
住職という職も、檀家さんから選任されないとなれません。
私たち夫婦が、この山のお寺に住んでいることを不思議に思う人もたくさんいますが
お寺がこの場所にあり、また、少なからずご近所さんもいて、
この山のお寺でも必要としている人がまだいるうちは
私たちがここにいる意味は多いにあります。
このあたりに住んでいるご近所さんには
「お寺さんがいてくれて、本当にありがたい」、と言われます。
お寺がその地域のコミュニティの場であり、
これは昔ながらの話かもしれませんが
地域の相談役だったり仲介役、仲裁役などの役目もあるからです。
お寺がなんのために、誰のためにあるのかを考えると
当然自分のためではないわけです。
逆に、檀家さんや、その他の人たちからも
必要とされなくなれば、そのお寺は役目を終えるのかもしれません。
玉泉寺はこんな山奥にありながらも、まだまだ必要とされている!と感じるわけでありまして
(それは玉泉寺としても、仏教としても)私たちお寺の人間も、
檀家さんのために、世の人のために頑張らねばいけないと思うのです。
まずは、お寺を支えてくれる檀家さんのため。
そして仏教は素晴らしい教えだと思うのでそれを世の皆さんに役立ててもらうため。
改めて新年会で、檀家の皆さんに支えられ育てられ、と感じました。
私なんかは修行が足りない身ですが、これからもみなさんに必要とされる玉泉寺であるようにと願い、精進することを誓ったのでありました。

Posted by 玉泉寺 at 23:50 | Comments(0)
| お寺
毎年、この時期に役員さん、帳元さんをお招きしての会となります。
私もお嫁に来て、はや5年となったので
皆さんのお顔とお名前も一致し、
(最初の頃はたくさんの顔と名前を覚えるのが精一杯、
しかも同じ苗字の方がたくさんいらっしゃるので、余計にこんがらがったりしておりました



それに比べれば、幾分余裕?をもってお話できるようにもなりました。
宴席ではお酒も入って
よりざっくばらんに役員さんたちひとりひとりと話ができるし、
私の気持ちも、役員さんたちの気持ちも聞けるので
私は、この新年会を密かな楽しみとしております。
「今年も一年、よろしくお願い致します」、という趣旨の新年会ですが
この新年会を通して、改めてお寺というのは檀家さんのものである、
お寺を必要としてくれる人たちのためのものである、と思うのです。
お寺は、住職やその家族のものでは決してありません。
よく、勘違いしてそのお寺が自分のものであり、檀家さんがそれに従わねばならないようなことを言うお寺さんがある、と聞きますが
全く違うと思います。
私たちお寺の人間は、檀家さんたちからこのお寺を任されているのであって、自分のものではなく、
住職という職も、檀家さんから選任されないとなれません。
私たち夫婦が、この山のお寺に住んでいることを不思議に思う人もたくさんいますが
お寺がこの場所にあり、また、少なからずご近所さんもいて、
この山のお寺でも必要としている人がまだいるうちは
私たちがここにいる意味は多いにあります。
このあたりに住んでいるご近所さんには
「お寺さんがいてくれて、本当にありがたい」、と言われます。
お寺がその地域のコミュニティの場であり、
これは昔ながらの話かもしれませんが
地域の相談役だったり仲介役、仲裁役などの役目もあるからです。
お寺がなんのために、誰のためにあるのかを考えると
当然自分のためではないわけです。
逆に、檀家さんや、その他の人たちからも
必要とされなくなれば、そのお寺は役目を終えるのかもしれません。
玉泉寺はこんな山奥にありながらも、まだまだ必要とされている!と感じるわけでありまして
(それは玉泉寺としても、仏教としても)私たちお寺の人間も、
檀家さんのために、世の人のために頑張らねばいけないと思うのです。
まずは、お寺を支えてくれる檀家さんのため。
そして仏教は素晴らしい教えだと思うのでそれを世の皆さんに役立ててもらうため。
改めて新年会で、檀家の皆さんに支えられ育てられ、と感じました。
私なんかは修行が足りない身ですが、これからもみなさんに必要とされる玉泉寺であるようにと願い、精進することを誓ったのでありました。