昨年を振り返って
2018年01月31日
昨年を振り返り、
大変お世話になった役員さんや、
親しくさせて頂いていた檀信徒さんの訃報が届くことが多くありました。
比較的お若い方の訃報も多かったように思います。
こんな話をしていたな、とか、たくさん野菜を作ってくれていたな、とか
ふと思い出すこともあり、
ついこの間までいた人なのに、と思うと悲しさがぶわっと
押し寄せてくる感じがします。
私でさえそうなのだから、ご家族はいかばかりかと思われます。
私がお嫁に来たばかりの時に
「俺はここの住職に世話になったで、あんたも住職のこと、よろしく頼むよ、」と
言っていたおじいさんが昨年亡くなり、高齢ではありましたが、やはり大変悲しかったです。
「恩送り」、という言葉がありますが
そうやって恩を受け、また違う人に自分が受けた恩を送っていく、これが
まさに「恩送り」だなぁと当時私は感じ、おじいさんに教えられました。
そうやって話をしてくれたおじいさんも亡くなってしまい、
当たり前だけど、人はいつかは居なくなっていく、ということを
しみじみと感じます。
住職、副住職に比べて外に出て檀家さんと触れ合うことが少ない私ですが
なるべくたくさんの方と話をしたり、行き会いたいと思っています。
どんなものが好きで、何をしているのか、とか
いろんな話がしたいな、と単純に思います。
それを思い出にする、と言うわけではないけれど
たくさん話したことや知ったことなどを次の人へお渡しする役目もあるのではないかと思います。
あるおじいさんが亡くなった時も、そのおじいさんとの話をご家族の方にしたら
「おじいちゃんにそんな一面があるとは知らなかった」、と仰っていました。
ご家族の方だけでなく、また違う人へや形となって
次へ次へと送っていくことができるのかな、と感じます。
お寺に渡すお金をよく「お布施」といいますが
お布施には金銭だけではなく、いくつか種類があるのです。
詳しくは忘れてしまいましたが
お掃除したり、何か物品を渡したり
食べ物を施したり、(確か他にもあった・・・)そういったものもあるのです。
自分が施した布施が色んな所へ巡り巡って
他の人の役に立つのではないでしょうか。
お寺がそんな中継地点となり得るのではないかと思いました。
昨年を振り返り、たくさんのお世話になった方のお顔を思い出し、そこから受けとった恩を次へ繋いでいきたいと思いました。
大変お世話になった役員さんや、
親しくさせて頂いていた檀信徒さんの訃報が届くことが多くありました。
比較的お若い方の訃報も多かったように思います。
こんな話をしていたな、とか、たくさん野菜を作ってくれていたな、とか
ふと思い出すこともあり、
ついこの間までいた人なのに、と思うと悲しさがぶわっと
押し寄せてくる感じがします。
私でさえそうなのだから、ご家族はいかばかりかと思われます。
私がお嫁に来たばかりの時に
「俺はここの住職に世話になったで、あんたも住職のこと、よろしく頼むよ、」と
言っていたおじいさんが昨年亡くなり、高齢ではありましたが、やはり大変悲しかったです。
「恩送り」、という言葉がありますが
そうやって恩を受け、また違う人に自分が受けた恩を送っていく、これが
まさに「恩送り」だなぁと当時私は感じ、おじいさんに教えられました。
そうやって話をしてくれたおじいさんも亡くなってしまい、
当たり前だけど、人はいつかは居なくなっていく、ということを
しみじみと感じます。
住職、副住職に比べて外に出て檀家さんと触れ合うことが少ない私ですが
なるべくたくさんの方と話をしたり、行き会いたいと思っています。
どんなものが好きで、何をしているのか、とか
いろんな話がしたいな、と単純に思います。
それを思い出にする、と言うわけではないけれど
たくさん話したことや知ったことなどを次の人へお渡しする役目もあるのではないかと思います。
あるおじいさんが亡くなった時も、そのおじいさんとの話をご家族の方にしたら
「おじいちゃんにそんな一面があるとは知らなかった」、と仰っていました。
ご家族の方だけでなく、また違う人へや形となって
次へ次へと送っていくことができるのかな、と感じます。
お寺に渡すお金をよく「お布施」といいますが
お布施には金銭だけではなく、いくつか種類があるのです。
詳しくは忘れてしまいましたが

お掃除したり、何か物品を渡したり
食べ物を施したり、(確か他にもあった・・・)そういったものもあるのです。
自分が施した布施が色んな所へ巡り巡って
他の人の役に立つのではないでしょうか。
お寺がそんな中継地点となり得るのではないかと思いました。
昨年を振り返り、たくさんのお世話になった方のお顔を思い出し、そこから受けとった恩を次へ繋いでいきたいと思いました。