小菅神社へ

2021年04月08日

春休み、家族で野沢温泉〜飯山の旅へ行きました。

以前から行きたい、と思っていた
小菅神社へ。  

手元の小菅神社のパンフレットから以下抜粋。

かつての小菅神社は、新義真言宗に属する小菅山元隆寺といい、
戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場として繁栄しました。
来由記によると、修験道の祖、役小角(えんのおづぬ)が680年に
小菅山を開山し、その後、坂上田村麻呂が小菅山元隆寺を創建したことが起源とされています。
小菅権現(摩多羅神)を祀り、熊野、吉野、白山、立山、山王、走湯、戸隠の
七柱の神々を勧請して、八所の宮殿を祀ったという小菅山では、
平安時代後期に熊野修験が入り込んで、小菅山の確立に寄与しました。

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明治の神仏分離令により、小菅山元隆寺から小菅神社になったのですが、
その最盛期には上の院16坊、中の院10坊、下の院11坊、合計37坊を有し、
10の末院、6社、5堂が立ち並び、修験、山伏、僧侶が300人いたとも言われている元隆寺。
その別当をしていたのが大聖院なのですが、昭和に建物は取り壊され、跡地に記念碑が建てられています。

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三の鳥居から続く杉並木は素晴らしく、
奥社までの約1キロの山道は、今回は断念しましたが
また次回、歩いてみたいと思っています。

大聖院跡地の裏山奥にある、歴代住職のお墓にも、手を合わせてきました。
今は杉の木の中にひっそりと在りますが
古いお墓でも大きく立派で、当時の小菅山がどれだけ繁栄していたかを感じました。

このような歴史ある興味深い小菅神社なのですが
その昔、小菅山元隆寺の一の坊、桜本坊。
江戸享保年間の中興の祖である住職の名が
玉泉寺歴代住職の過去帳にも残されていて……
同一時代の同じ名前。
同じ真言宗豊山派で修験道のお寺。
どうやら関係があるのではないか、と感じる点が多くあり
この秘密を探ってみたい、と思っているのですicon17icon16

またゆっくり、改めて奥信濃、小菅神社へ参拝したいと思います。

小菅神社へ

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Posted by 玉泉寺 at 16:15 | Comments(0) | お寺
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