春休み、京都旅行へ①~黄檗山宝蔵院〜
2024年04月04日
今春、長男と次男がそれぞれ中学校と小学校へ入学します。
そのお祝いに京都へ家族旅行に行ってまいりました。
京都へは目的があって行きました。
一つは大般若経を世の中に広めるため、木版印刷技術に尽力した鉄眼禅師の本元となる版木収蔵庫のある黄檗宗、宝蔵院へ。
ブログでも何度か紹介した鉄眼禅師。
玉泉寺の般若経典は初期のものではないかと以前、大学の教授に指摘を受け
そこから、気になっていろいろと調べたところ
京都の宇治にある、宝蔵院というお寺に版木がすべて収蔵されていると知ったのです。
そうと知っては、行かないわけにはいきません。
京都は外国人の観光客にあふれていましたが、私たちの向かうお寺は
タクシーの運転手さん曰く、シブい、というお寺だそうで
他に観光客もなくゆっくり、じっくりと見学することができました。
実際に足を運んでみると京都の中心から少し離れ
静かな住宅街の中にあるお寺。
宝蔵院のお弟子さんが
普段は見ることができない収蔵庫の中へ案内してくださいました。
中には、江戸時代に実際に使われていた木版がびっしりと。
ここから、一つひとつ手作業で彫られ、すられた大般若経が全国へと渡ったのだと思うと
その歴史、当時の人達の思いや作業の大変さに、息をするのも忘れ
はぁぁ~っと息をもらすしかありません。
鉄眼さんは木版印刷技術だけでなく明朝体文字や原稿用紙の原型も
同時に広め、定着させ、現在も私達はそれらに倣って使用したりしています。
戦前までは、国語の教科書に鉄眼さんのことが載っていたようで
高齢の方は鉄眼禅師、というと知っている方が多いのだとか。
宝蔵院には、興味深いことに全国から発注を受けたお寺へ
大般若経典を刷って送っていた記録が残されています。
当時の貴重な資料を見せていただきました。
玉泉寺の大般若経典も古いものだと聞いていたので
記録に残っているかなとドキドキしながら見ましたが
残念ながら玉泉寺の名前はありませんでした。
知っている県内のお寺もあり、また、その歴史を知ることができたり
新たな疑問ができたりと面白い発見でした。
ただ、こんなにも歴史的価値の高いものを保存し遺していくことが今後の課題だと話されていましたし、
本当にその通りだと思いました。
一寺院の力だけでは、これだけのものを保管し状態良く遺していくのは難しいことです。
国宝としても良いくらいの文化財だと思うので
今後は国やなんらかの支援があると良いなと思いました。
大般若経を開くときに、いつも気になっていた巻末のページにある、
鉄眼の文字や、全国からの勧進の記録。
今回、宝蔵院へ訪れ、実際にその元となる版木を直に見ることができ
時空を飛び越えたような気がします。
たくさん刷って、木がすり減っている当時の版木たちを前に
きっとたくさんの人たちがこの事業に関わって、手にとっていたのだろうと。
その一冊一冊、1ページ1ページに思いが乗っているような気がして、
SNSが普及して、何でも簡単にあっという間に情報がどこまでも飛ばされていく現在とどれだけの違いがあるのだろうと。
簡単に済まされる今だから、情報も何もかも使い捨てできるのかもしれないけど
鉄眼さんの時代は考えられない苦労もあっただろうし、今同じことはできないけれど
一つひとつ、一人ひとりが尊い、貴重なものとして存在したのだろうと思います。
そういう意味でも、今、見直さなければならない鉄眼さんの偉業であり文化財であると思いました。
写真は許可を得て撮り、載せてあります。


宝蔵院の紋は平家の丸に揚羽蝶。
でも詳しい資料がなく、その関係は分からないのだとか。

一枚一枚の版木にびっちりと大般若経が彫られています。



宝蔵院では寺ラーメンとしてヴィーガンラーメンが寺内で食べられます!
あっさりとして美味しい。
子どもも一杯、ぺろりと頂きました。
宝蔵院様、ありがとうございました。
京都旅行②へ続きます!
そのお祝いに京都へ家族旅行に行ってまいりました。
京都へは目的があって行きました。
一つは大般若経を世の中に広めるため、木版印刷技術に尽力した鉄眼禅師の本元となる版木収蔵庫のある黄檗宗、宝蔵院へ。
ブログでも何度か紹介した鉄眼禅師。
玉泉寺の般若経典は初期のものではないかと以前、大学の教授に指摘を受け
そこから、気になっていろいろと調べたところ
京都の宇治にある、宝蔵院というお寺に版木がすべて収蔵されていると知ったのです。
そうと知っては、行かないわけにはいきません。
京都は外国人の観光客にあふれていましたが、私たちの向かうお寺は
タクシーの運転手さん曰く、シブい、というお寺だそうで
他に観光客もなくゆっくり、じっくりと見学することができました。
実際に足を運んでみると京都の中心から少し離れ
静かな住宅街の中にあるお寺。
宝蔵院のお弟子さんが
普段は見ることができない収蔵庫の中へ案内してくださいました。
中には、江戸時代に実際に使われていた木版がびっしりと。
ここから、一つひとつ手作業で彫られ、すられた大般若経が全国へと渡ったのだと思うと
その歴史、当時の人達の思いや作業の大変さに、息をするのも忘れ
はぁぁ~っと息をもらすしかありません。
鉄眼さんは木版印刷技術だけでなく明朝体文字や原稿用紙の原型も
同時に広め、定着させ、現在も私達はそれらに倣って使用したりしています。
戦前までは、国語の教科書に鉄眼さんのことが載っていたようで
高齢の方は鉄眼禅師、というと知っている方が多いのだとか。
宝蔵院には、興味深いことに全国から発注を受けたお寺へ
大般若経典を刷って送っていた記録が残されています。
当時の貴重な資料を見せていただきました。
玉泉寺の大般若経典も古いものだと聞いていたので
記録に残っているかなとドキドキしながら見ましたが
残念ながら玉泉寺の名前はありませんでした。
知っている県内のお寺もあり、また、その歴史を知ることができたり
新たな疑問ができたりと面白い発見でした。
ただ、こんなにも歴史的価値の高いものを保存し遺していくことが今後の課題だと話されていましたし、
本当にその通りだと思いました。
一寺院の力だけでは、これだけのものを保管し状態良く遺していくのは難しいことです。
国宝としても良いくらいの文化財だと思うので
今後は国やなんらかの支援があると良いなと思いました。
大般若経を開くときに、いつも気になっていた巻末のページにある、
鉄眼の文字や、全国からの勧進の記録。
今回、宝蔵院へ訪れ、実際にその元となる版木を直に見ることができ
時空を飛び越えたような気がします。
たくさん刷って、木がすり減っている当時の版木たちを前に
きっとたくさんの人たちがこの事業に関わって、手にとっていたのだろうと。
その一冊一冊、1ページ1ページに思いが乗っているような気がして、
SNSが普及して、何でも簡単にあっという間に情報がどこまでも飛ばされていく現在とどれだけの違いがあるのだろうと。
簡単に済まされる今だから、情報も何もかも使い捨てできるのかもしれないけど
鉄眼さんの時代は考えられない苦労もあっただろうし、今同じことはできないけれど
一つひとつ、一人ひとりが尊い、貴重なものとして存在したのだろうと思います。
そういう意味でも、今、見直さなければならない鉄眼さんの偉業であり文化財であると思いました。
写真は許可を得て撮り、載せてあります。


宝蔵院の紋は平家の丸に揚羽蝶。
でも詳しい資料がなく、その関係は分からないのだとか。

一枚一枚の版木にびっちりと大般若経が彫られています。



宝蔵院では寺ラーメンとしてヴィーガンラーメンが寺内で食べられます!
あっさりとして美味しい。
子どもも一杯、ぺろりと頂きました。
宝蔵院様、ありがとうございました。
京都旅行②へ続きます!