春休み、京都旅行へ②~聖護院、黒谷山、平安神宮、京博~
2024年04月06日
しなのから新幹線に乗り、京都へ。
着いてすぐ、真言宗の総本山東寺へ。
やっぱり私は真言宗や天台宗のお寺が好みです。
浄土真宗の金キラの大きな伽藍のお寺や
曹洞宗や臨済宗の庭や禅のお堂のお寺も良いですが
真言宗、天台宗の古い造り、そしてかっこいい仏像たちを拝見するのが好きです。
弘法大師、真言宗の宗教観である曼荼羅や
分かりにくい密教の教えを仏像に具現化して分かりやすくしているので
密教寺院にはいろいろな仏像があります。
インドや中国由来の仏様もいます。
それらの仏さまたちが、とても良いお顔をされています。
宗教的にも見れますし、美術的にも見れます。
禅宗のお庭もそうですね。庭に宗教観をのせています。
東寺の講堂にあります、立体曼荼羅は
仏像たちが大日如来を中心に曼荼羅として取り囲み
密教の教えを表しています。
東寺に見られる帝釈天は教科書にも載る
お顔のかっこいい仏様。
弘法大師から時代は進み、足利尊氏や織田信長も
東寺に本陣をおき、戦いをしたのだと宝物館の資料で見ることができます。
そうした昔の書状などをみるのも、私にとっては興奮してしまいます。
いつからこんなに歴史好き、お寺好き、仏像好きになったのかしら?


そして二日目は本山修験宗の聖護院門跡へ。
玉泉寺も修験の流れをくむ山岳寺院ですので、その本山の聖護院は興味がありました。
行ってみると、意外と建物自体は新しいと感じたのですが、それでも1676年の再建なのだとか。
京都奈良では周りの寺院がすべて古いものなので、江戸時代でも新しく感じてしまう。
修験道は役小角が開いた宗旨で、日本古来の山岳信仰、自然崇拝を源に発し、
民俗信仰と仏教(特に密教)・道教などの思想が融合して成立しました。
修験とは実修得験の意味で、修行の体験によって人格を高め徳を表すことをいい
理論よりも実践が中心になっています。
中略
山に入って自然の声を経典として仏心を探り身体を練り、日常生活の中に菩薩道を実践できるように努力するのです。
(聖護院のパンフレットより)
確かにこの説明を読むと
玉泉寺での山の暮らしの中では、「自然の声を経典として仏心を探り」
「日常生活のなかに菩薩道を実践できるように」という言葉が分かるような気がします。
…と言っても、修験の修行は私のようなこんな普通の暮らしとは全くべつものでもっと厳しいのでしょうが、
それでも山にいて、自然の声を聴き、というのは
街の暮らしでは気づきえないことがあると思います。
そこから菩薩道、仏心を探る、ということなのですね。

聖護院のあとは、そこから近くの浄土宗法然さんのお寺へ。
黒谷山金戒光明寺と言います。
法然さんが比叡山の黒谷を降り、初めて庵を結んだ地なのだそうです。
幕末になると、新選組の拠点となったお寺だそうです。
今は周りが住宅街となっていますが
法然さんが庵を開いた当時は、当たり前ですが
周りは何もなく、貧しい民がいて
法然さんの南無阿弥陀仏と一心に念ずれば
極楽浄土へ往けるという教えに、たくさんの民が救われたのだと思います。
そのあとは京都の友人と久々の再会をし、平安神宮でランチ。
広い境内にはたくさんの地元の人や観光客がピクニックをしたりして過ごしていました。
私たちも平安神宮前の芝生にお弁当とコーヒーを広げ、ゆっくりと。
子供たちはお寺巡りよりもこうした公園で走り回っているほうがよっぽど楽しそうでした

その後、友人と別れ、急遽行きたくなった京都国立博物館へ。
雪舟展がやっている、とのポスターをみたのですが
私の勘違いで期間外。ちょうど展示物入れ替えの時期でお庭だけ拝観してきました。
が、お庭だけでも十分歴史好きには楽しめる。さすが古都!
平安京の支えとなった礎石となった石が野ざらしで展示されていたり、
歴史が違うわー、と感心しきりでした。

京博のお向かいにある三十三間堂に閉館時間ギリギリに滑り込んでたくさんの仏さんを拝見し二日目を終えたのでした。
③へ続く。
着いてすぐ、真言宗の総本山東寺へ。
やっぱり私は真言宗や天台宗のお寺が好みです。
浄土真宗の金キラの大きな伽藍のお寺や
曹洞宗や臨済宗の庭や禅のお堂のお寺も良いですが
真言宗、天台宗の古い造り、そしてかっこいい仏像たちを拝見するのが好きです。
弘法大師、真言宗の宗教観である曼荼羅や
分かりにくい密教の教えを仏像に具現化して分かりやすくしているので
密教寺院にはいろいろな仏像があります。
インドや中国由来の仏様もいます。
それらの仏さまたちが、とても良いお顔をされています。
宗教的にも見れますし、美術的にも見れます。
禅宗のお庭もそうですね。庭に宗教観をのせています。
東寺の講堂にあります、立体曼荼羅は
仏像たちが大日如来を中心に曼荼羅として取り囲み
密教の教えを表しています。
東寺に見られる帝釈天は教科書にも載る
お顔のかっこいい仏様。
弘法大師から時代は進み、足利尊氏や織田信長も
東寺に本陣をおき、戦いをしたのだと宝物館の資料で見ることができます。
そうした昔の書状などをみるのも、私にとっては興奮してしまいます。
いつからこんなに歴史好き、お寺好き、仏像好きになったのかしら?



そして二日目は本山修験宗の聖護院門跡へ。
玉泉寺も修験の流れをくむ山岳寺院ですので、その本山の聖護院は興味がありました。
行ってみると、意外と建物自体は新しいと感じたのですが、それでも1676年の再建なのだとか。
京都奈良では周りの寺院がすべて古いものなので、江戸時代でも新しく感じてしまう。
修験道は役小角が開いた宗旨で、日本古来の山岳信仰、自然崇拝を源に発し、
民俗信仰と仏教(特に密教)・道教などの思想が融合して成立しました。
修験とは実修得験の意味で、修行の体験によって人格を高め徳を表すことをいい
理論よりも実践が中心になっています。
中略
山に入って自然の声を経典として仏心を探り身体を練り、日常生活の中に菩薩道を実践できるように努力するのです。
(聖護院のパンフレットより)
確かにこの説明を読むと
玉泉寺での山の暮らしの中では、「自然の声を経典として仏心を探り」
「日常生活のなかに菩薩道を実践できるように」という言葉が分かるような気がします。
…と言っても、修験の修行は私のようなこんな普通の暮らしとは全くべつものでもっと厳しいのでしょうが、
それでも山にいて、自然の声を聴き、というのは
街の暮らしでは気づきえないことがあると思います。
そこから菩薩道、仏心を探る、ということなのですね。

聖護院のあとは、そこから近くの浄土宗法然さんのお寺へ。
黒谷山金戒光明寺と言います。
法然さんが比叡山の黒谷を降り、初めて庵を結んだ地なのだそうです。
幕末になると、新選組の拠点となったお寺だそうです。
今は周りが住宅街となっていますが
法然さんが庵を開いた当時は、当たり前ですが
周りは何もなく、貧しい民がいて
法然さんの南無阿弥陀仏と一心に念ずれば
極楽浄土へ往けるという教えに、たくさんの民が救われたのだと思います。
そのあとは京都の友人と久々の再会をし、平安神宮でランチ。
広い境内にはたくさんの地元の人や観光客がピクニックをしたりして過ごしていました。
私たちも平安神宮前の芝生にお弁当とコーヒーを広げ、ゆっくりと。
子供たちはお寺巡りよりもこうした公園で走り回っているほうがよっぽど楽しそうでした


その後、友人と別れ、急遽行きたくなった京都国立博物館へ。
雪舟展がやっている、とのポスターをみたのですが
私の勘違いで期間外。ちょうど展示物入れ替えの時期でお庭だけ拝観してきました。
が、お庭だけでも十分歴史好きには楽しめる。さすが古都!
平安京の支えとなった礎石となった石が野ざらしで展示されていたり、
歴史が違うわー、と感心しきりでした。

京博のお向かいにある三十三間堂に閉館時間ギリギリに滑り込んでたくさんの仏さんを拝見し二日目を終えたのでした。
③へ続く。