2024年02月01日
2024 玉泉寺新年会
コロナもあって、久しく開催していなかったのですが
昨日、信州新町のさぎり壮にて玉泉寺役員さんの新年会を開きました。
2年ぶり?いや3年ぶりの開催でしたが、
いつもお世話になっている役員さんにお集まりいただき
歓談もでき、良かったです。
寺院の環境整備、行事の運営、役員の高齢化など課題はあるのですが
玉泉寺を永い目で見て、常に一緒に考えてくださる
役員さんを中心にまた、今年も一年気持ちを新たにすることができました。
ありがとうございました。

昨日、信州新町のさぎり壮にて玉泉寺役員さんの新年会を開きました。
2年ぶり?いや3年ぶりの開催でしたが、
いつもお世話になっている役員さんにお集まりいただき
歓談もでき、良かったです。
寺院の環境整備、行事の運営、役員の高齢化など課題はあるのですが
玉泉寺を永い目で見て、常に一緒に考えてくださる
役員さんを中心にまた、今年も一年気持ちを新たにすることができました。
ありがとうございました。

2024年01月21日
お寺を介した循環を
13日の信毎に小川村有志による能登被災地への炊き出しの記事が出ていました。
小川の庄おやき村の協力を得て、被災地へおやきとみそ汁を届ける、という
ものでした。
村外からも協力者を募る、ということだったので、これは!と思い
早速、小川の庄へお寺にある野菜やりんご、みそをお届けに行ってまいりました。
白菜、大根、りんご、みそ、子供向けのお菓子。
ある程度まとまった量をお届けできたかな、と思います。
これらの野菜などは、野菜が採れる時期に檀家さんや地域の人が
お寺へ、と言って届けてくださったり、お寺ならたくさん使うでしょ、と言って持ってきてくださったりしたものです。
もちろん、私たち家族で食べきれる量ではなく、
畑の土の中や土蔵などに保存しておいて、
漬物にしてお客さんに出したり、春の初午の行事の際に使う、というのが流れなのですが、今回のように本当に必要なところへお届けする、というときには心から、いつもお寺へ届けてくださっている方々へ感謝を感じずにはいられません。
お寺だけではできないことです。
お寺を支えてくれる、思ってくれる方がいるから、お寺もこうした活動、行動ができるのです。
逆を言えば、お寺はこうした活動をするからこそ、野菜なども届けてもらい、支えてもらっているのです。
なので、こうした活動を率先してしなければいけないのだと思います。
なかなか、先頭に立ってまとめることは難しいけれども
お寺には、その義務があると思います。
お寺を介してモノや気持ちの循環が生まれると良いと思います。
小川の庄の皆さんや、小川村の有志の皆さんは先発隊が今日、21日に能登へ行ったのだとか。
ありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします。
小川の庄おやき村の協力を得て、被災地へおやきとみそ汁を届ける、という
ものでした。
村外からも協力者を募る、ということだったので、これは!と思い
早速、小川の庄へお寺にある野菜やりんご、みそをお届けに行ってまいりました。
白菜、大根、りんご、みそ、子供向けのお菓子。
ある程度まとまった量をお届けできたかな、と思います。
これらの野菜などは、野菜が採れる時期に檀家さんや地域の人が
お寺へ、と言って届けてくださったり、お寺ならたくさん使うでしょ、と言って持ってきてくださったりしたものです。
もちろん、私たち家族で食べきれる量ではなく、
畑の土の中や土蔵などに保存しておいて、
漬物にしてお客さんに出したり、春の初午の行事の際に使う、というのが流れなのですが、今回のように本当に必要なところへお届けする、というときには心から、いつもお寺へ届けてくださっている方々へ感謝を感じずにはいられません。
お寺だけではできないことです。
お寺を支えてくれる、思ってくれる方がいるから、お寺もこうした活動、行動ができるのです。
逆を言えば、お寺はこうした活動をするからこそ、野菜なども届けてもらい、支えてもらっているのです。
なので、こうした活動を率先してしなければいけないのだと思います。
なかなか、先頭に立ってまとめることは難しいけれども
お寺には、その義務があると思います。
お寺を介してモノや気持ちの循環が生まれると良いと思います。
小川の庄の皆さんや、小川村の有志の皆さんは先発隊が今日、21日に能登へ行ったのだとか。
ありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします。
2024年01月13日
北陸に心を寄せて 一年の始まりに思うこと
本当に、信じられない元旦。
おめでとうございます、とは明るく言えないお正月でした。
今なお、被災され避難されている方、大切な人を亡くされた方には
お見舞いとお悔やみを心から申しあげます。
北陸の方角に向かい手を合わせ祈ること、
仏様に手を合わせ心を込めてお経を唱え、祈ること、自分ができることをするしかありません。
今日も、玉泉寺でも雪がどんどん降り積もり
子供は今季初めての本降りに喜びましたが、
北陸の状況はどうなのだと心配になります。
日本は、ここ数年で災害が頻発するようになったと思います。
真言宗豊山派、小布施町の浄光寺さん中心の日本笑顔プロジェクトはじめ、
災害が起きた時に素早く対応し、現地へ駆けつける団体も多く
本当に頭が下がります。
私も含め、現地へボランティアに向かうことができずにもどかしい思いをしている人も多いと思いますが
それでも遠方にいて、募金やその他できること、祈り、心を寄せることは皆出来るし
日本中、思いは一つなのではないかと思います。
さて新年を迎え、今年の目標は?との質問に。
今はあまり言わなくなったのか、少し前はよく、「自分探し」という言葉を聞きました。
最近、副住職と話していて
何の話からか、自分は探さなくていいよね、という話に落ち着きました。
自分が何者かなんて、分からないのです。
今、やってることを一生懸命やっていると、あとから「自分」がついてくるんじゃないかと
よく考えれば当たり前のことにたどり着くのです。
得意なこと、好きなことが分からないから、「探す」のかもしれませんが
それも、今を一生懸命誠実に生きる、というところが答えになるのだと思うのです。
むしろ、そこにしか答えはない。
自分は探すものではなくて、結果として作られていくもの。
今を一生懸命、誠実に生きること。
それが今後にも繋がるのだと思います。
今年一年、自分にも改めてそう言い聞かせて過ごしたいと思いました。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
おめでとうございます、とは明るく言えないお正月でした。
今なお、被災され避難されている方、大切な人を亡くされた方には
お見舞いとお悔やみを心から申しあげます。
北陸の方角に向かい手を合わせ祈ること、
仏様に手を合わせ心を込めてお経を唱え、祈ること、自分ができることをするしかありません。
今日も、玉泉寺でも雪がどんどん降り積もり
子供は今季初めての本降りに喜びましたが、
北陸の状況はどうなのだと心配になります。
日本は、ここ数年で災害が頻発するようになったと思います。
真言宗豊山派、小布施町の浄光寺さん中心の日本笑顔プロジェクトはじめ、
災害が起きた時に素早く対応し、現地へ駆けつける団体も多く
本当に頭が下がります。
私も含め、現地へボランティアに向かうことができずにもどかしい思いをしている人も多いと思いますが
それでも遠方にいて、募金やその他できること、祈り、心を寄せることは皆出来るし
日本中、思いは一つなのではないかと思います。
さて新年を迎え、今年の目標は?との質問に。
今はあまり言わなくなったのか、少し前はよく、「自分探し」という言葉を聞きました。
最近、副住職と話していて
何の話からか、自分は探さなくていいよね、という話に落ち着きました。
自分が何者かなんて、分からないのです。
今、やってることを一生懸命やっていると、あとから「自分」がついてくるんじゃないかと
よく考えれば当たり前のことにたどり着くのです。
得意なこと、好きなことが分からないから、「探す」のかもしれませんが
それも、今を一生懸命誠実に生きる、というところが答えになるのだと思うのです。
むしろ、そこにしか答えはない。
自分は探すものではなくて、結果として作られていくもの。
今を一生懸命、誠実に生きること。
それが今後にも繋がるのだと思います。
今年一年、自分にも改めてそう言い聞かせて過ごしたいと思いました。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2023年12月31日
自分の役割を尽くす
さて、今日で今年も終わり。
私は年末のこのバタバタしている最中
子供からうつって、インフルエンザになってしまい
寝込んでいます…
年末年始と、たくさんやりたいこと、やらなきゃならないことがあったのに、全てできずに、住職、副住職はじめ、家族に年末年始のことはお任せして、今年は大人しくしています。
今年の大河ドラマは家康でしたね。
我が家は大河ドラマ好きで、見ているのですが
ピンときたことがありました。
ドラマ終盤、茶々と家康の対立が深まります。
そこで高台院(寧々)が、茶々を説得して、徳川と手を結びなさい、それが豊臣を守ることだと諭します。
それを茶々は、はねのけるのですが、
その様子を寧々が家康に伝え、
「私の役目はもう終わりました」、と話します。
豊臣と徳川を繋ぐ役割、茶々にその重要性を説く役割ということだと思います。
寧々は、自分の役割をしっかりとやり終えた、やり尽くしたと思ったのだと思います。
では翻って、私の役割って?
と、ふと考えてしまいました。
役割とは、時にはやりたくないこともあるかもしれません。自分の本意ではないこともあるでしょう。
でも、それが自分の役割なら、やらなければならないことなのかも。
他人を見て、他人の役割を羨んだり、自分の役割を悲しんだりするのではなく、その立場にいる以上、やらなければ仕方ない。
とても簡単で分かりやすいことだけど、意外と人って、そこに迷走してしまいがちなのではないでしょうか。
自分が今置かれた立場を客観的に眺め、そこで自分がやらなければならないことは何かに気づき、他人と比較することなく、地道に誠実に役割を果たす、ということに尽きるのではないかと思いました。
自分に選択権がある時は選べばいいと思いますが、選んだのなら、自分がこうしたい、というのも大切ですが、今、自分のやるべき役割は何だ?、と考えて役割を果たす事が大事なのではないかと、寧々の言葉を聞いて思いました。
人の上に立って指揮をするのが役割の人もいれば、地味で目立たない作業をするのが役割の場合もあるでしょう。
良い悪いではなく、そこに文句を言っても仕方のないことなのです。それで、なんか違うな??と思ったら立場を変えてみてもいいのかもしれません。
立場を変えれば、役割も変わるから。
どうする家康、視聴率が低かったようですが
我が家では長男も一緒に見るようになり楽しみました。
今年も一年、ありがとうございました。
喫茶山川草木にも、わざわざ足をお運びくださって感謝です。
来年も、私自身の役割を尽くせるよう精進してまいりたいと思います。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
私は年末のこのバタバタしている最中
子供からうつって、インフルエンザになってしまい
寝込んでいます…
年末年始と、たくさんやりたいこと、やらなきゃならないことがあったのに、全てできずに、住職、副住職はじめ、家族に年末年始のことはお任せして、今年は大人しくしています。
今年の大河ドラマは家康でしたね。
我が家は大河ドラマ好きで、見ているのですが
ピンときたことがありました。
ドラマ終盤、茶々と家康の対立が深まります。
そこで高台院(寧々)が、茶々を説得して、徳川と手を結びなさい、それが豊臣を守ることだと諭します。
それを茶々は、はねのけるのですが、
その様子を寧々が家康に伝え、
「私の役目はもう終わりました」、と話します。
豊臣と徳川を繋ぐ役割、茶々にその重要性を説く役割ということだと思います。
寧々は、自分の役割をしっかりとやり終えた、やり尽くしたと思ったのだと思います。
では翻って、私の役割って?
と、ふと考えてしまいました。
役割とは、時にはやりたくないこともあるかもしれません。自分の本意ではないこともあるでしょう。
でも、それが自分の役割なら、やらなければならないことなのかも。
他人を見て、他人の役割を羨んだり、自分の役割を悲しんだりするのではなく、その立場にいる以上、やらなければ仕方ない。
とても簡単で分かりやすいことだけど、意外と人って、そこに迷走してしまいがちなのではないでしょうか。
自分が今置かれた立場を客観的に眺め、そこで自分がやらなければならないことは何かに気づき、他人と比較することなく、地道に誠実に役割を果たす、ということに尽きるのではないかと思いました。
自分に選択権がある時は選べばいいと思いますが、選んだのなら、自分がこうしたい、というのも大切ですが、今、自分のやるべき役割は何だ?、と考えて役割を果たす事が大事なのではないかと、寧々の言葉を聞いて思いました。
人の上に立って指揮をするのが役割の人もいれば、地味で目立たない作業をするのが役割の場合もあるでしょう。
良い悪いではなく、そこに文句を言っても仕方のないことなのです。それで、なんか違うな??と思ったら立場を変えてみてもいいのかもしれません。
立場を変えれば、役割も変わるから。
どうする家康、視聴率が低かったようですが
我が家では長男も一緒に見るようになり楽しみました。
今年も一年、ありがとうございました。
喫茶山川草木にも、わざわざ足をお運びくださって感謝です。
来年も、私自身の役割を尽くせるよう精進してまいりたいと思います。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
2023年11月14日
11/16はお休みします
喫茶山川草木、11/16木曜日はお休みします。
お寺でのご葬儀となり、喫茶はお休み。
お元気なときには大変お世話になりました。
郵便屋さんをされていた現役時代、よくお昼ごはんを食べにお寺に寄ったのだとか。
寄った際にはお掃除をしてくださったり
電球を替えてくださったりと。
お寺を永く護っていた住職のお母さんも、さぞ心強かったことでしょう。
ご家族によると、具合を悪くしてからもお寺に行くとなると
小走りになったとか。
忙しさを理由に庭掃除を先延ばしにしていましたが
おじいさんのご葬儀とあって、落ち葉掃きをします。
おじいさんが、最後のお掃除をしてくれているんだなぁと思いながら。
ありがとうございました。
11/18土曜日は13:00〜の営業となります。
よろしくお願いします。


お寺でのご葬儀となり、喫茶はお休み。
お元気なときには大変お世話になりました。
郵便屋さんをされていた現役時代、よくお昼ごはんを食べにお寺に寄ったのだとか。
寄った際にはお掃除をしてくださったり
電球を替えてくださったりと。
お寺を永く護っていた住職のお母さんも、さぞ心強かったことでしょう。
ご家族によると、具合を悪くしてからもお寺に行くとなると
小走りになったとか。
忙しさを理由に庭掃除を先延ばしにしていましたが
おじいさんのご葬儀とあって、落ち葉掃きをします。
おじいさんが、最後のお掃除をしてくれているんだなぁと思いながら。
ありがとうございました。
11/18土曜日は13:00〜の営業となります。
よろしくお願いします。


2023年10月29日
お寺を好きでいること
この山奥の秘境寺に嫁ぎ、しかもここに暮らしていると言うと
驚かれ、「ねえさん、よく嫁に来たねぇ〜」と感心もされます。
私が玉泉寺に嫁いだきっかけは
3月の初午星祭りのお手伝いに来たときでした。
人手が足りないから手伝ってほしいと誘われ
初めて玉泉寺に。
その時のにぎやかなこと。
お寺にたくさん人が来ていて、お参りもするのだけど
外ではおばちゃんたちが薪で火を炊いてお赤飯を蒸したり、そばを茹でて、お投じにしたり。
私はお投じそばのねぎを切ったりしました。
それが、とても楽しかった。
お寺って、こんなに人が来て、にぎやかで楽しい場所なんだなって思ったのが
第一印象だったのです。
その場所に私もいたいと思ったし、
そう思える場所を他の誰かにも味わってほしかったし
そんな場所を自分も作れればいいなと思いました。
その後、縁あって玉泉寺に嫁いでからも
私はお寺に暮らさないとお寺のリズムや何たるかがわからないと思ったし
あの山奥のお寺に住むの!?と言われても、そうだけど?なにか?みたいな感じでした。
実際子どもが生まれ、暮らしてからは不便を感じることもあったし
街場で暮らしたいと思ったこともあります。
でも、数年経って今では
このお寺に暮らして、住んでよかったと心から思うのです。
それは、私が思うのと同時に
多分、いや絶対、お寺にとっても良かったことだと自負しています。
もし街場に暮らし、お寺に通っていたら。
通うのが面倒くさくなったと思うし、足も遠のいたと思います。
そして、常に人がいないお寺には、やはり人が来ないのです。
街のお寺では、庫裏があり、暮らしているから当然かもしれませんが
このような場所では何もない日にも、お寺さんがいる、というのは大きいのではないかと感じるのです。
そして何より。
私が最初に感じた、お寺に人が来て、賑やかな感じ。
それを保ちたいと思いました。
玉泉寺の良いところは、不思議と誰でもウェルカムな雰囲気が常にしている、というところ。
お寺に暮らしてから感じたことですが
このウェルカムな寺風というのは1年や2年でできるものではなくて
ずっと遡って、玉泉寺歴代の住職や地域の人、そうした人たちが
作り出したものなのだと感じます。
なんかこう、堅苦しくなく、いらっしゃいいらっしゃい、
よく来たねぇ、あがってったいよ、というようなユルイ感じが玉泉寺らしさ。
そして私はその、ウェルカムな緩さが、とても気に入っているということ。
住職も、住職のお母さんの摩耶子さんも、その前の住職も、前の前の住職も
みんな、そうして玉泉寺を繋いできたのだと思います。
その寺風が大好きで、私も繋いでいきたい。
お手伝いの檀家さんも高齢になり
以前のように外で火を炊いてそばを茹でたり赤飯を蒸したり、というのが
難しくなりつつあります。
業者に頼めば料理を運んでくれるから楽な分、
なにかの形でおばちゃんたちのイズムを繋いでいきたいし、
そんな思いで、私も様々に取り組んでいるのだと思います。
そして、お寺さんは、皆、自分のお寺を大好きでいたら良いと思います。
自分が一番、お寺を好きでいること。
それが私の原動力となっているのです。
これからも玉泉寺をどうぞよろしくお願い申しあげます

驚かれ、「ねえさん、よく嫁に来たねぇ〜」と感心もされます。
私が玉泉寺に嫁いだきっかけは
3月の初午星祭りのお手伝いに来たときでした。
人手が足りないから手伝ってほしいと誘われ
初めて玉泉寺に。
その時のにぎやかなこと。
お寺にたくさん人が来ていて、お参りもするのだけど
外ではおばちゃんたちが薪で火を炊いてお赤飯を蒸したり、そばを茹でて、お投じにしたり。
私はお投じそばのねぎを切ったりしました。
それが、とても楽しかった。
お寺って、こんなに人が来て、にぎやかで楽しい場所なんだなって思ったのが
第一印象だったのです。
その場所に私もいたいと思ったし、
そう思える場所を他の誰かにも味わってほしかったし
そんな場所を自分も作れればいいなと思いました。
その後、縁あって玉泉寺に嫁いでからも
私はお寺に暮らさないとお寺のリズムや何たるかがわからないと思ったし
あの山奥のお寺に住むの!?と言われても、そうだけど?なにか?みたいな感じでした。
実際子どもが生まれ、暮らしてからは不便を感じることもあったし
街場で暮らしたいと思ったこともあります。
でも、数年経って今では
このお寺に暮らして、住んでよかったと心から思うのです。
それは、私が思うのと同時に
多分、いや絶対、お寺にとっても良かったことだと自負しています。
もし街場に暮らし、お寺に通っていたら。
通うのが面倒くさくなったと思うし、足も遠のいたと思います。
そして、常に人がいないお寺には、やはり人が来ないのです。
街のお寺では、庫裏があり、暮らしているから当然かもしれませんが
このような場所では何もない日にも、お寺さんがいる、というのは大きいのではないかと感じるのです。
そして何より。
私が最初に感じた、お寺に人が来て、賑やかな感じ。
それを保ちたいと思いました。
玉泉寺の良いところは、不思議と誰でもウェルカムな雰囲気が常にしている、というところ。
お寺に暮らしてから感じたことですが
このウェルカムな寺風というのは1年や2年でできるものではなくて
ずっと遡って、玉泉寺歴代の住職や地域の人、そうした人たちが
作り出したものなのだと感じます。
なんかこう、堅苦しくなく、いらっしゃいいらっしゃい、
よく来たねぇ、あがってったいよ、というようなユルイ感じが玉泉寺らしさ。
そして私はその、ウェルカムな緩さが、とても気に入っているということ。
住職も、住職のお母さんの摩耶子さんも、その前の住職も、前の前の住職も
みんな、そうして玉泉寺を繋いできたのだと思います。
その寺風が大好きで、私も繋いでいきたい。
お手伝いの檀家さんも高齢になり
以前のように外で火を炊いてそばを茹でたり赤飯を蒸したり、というのが
難しくなりつつあります。
業者に頼めば料理を運んでくれるから楽な分、
なにかの形でおばちゃんたちのイズムを繋いでいきたいし、
そんな思いで、私も様々に取り組んでいるのだと思います。
そして、お寺さんは、皆、自分のお寺を大好きでいたら良いと思います。
自分が一番、お寺を好きでいること。
それが私の原動力となっているのです。
これからも玉泉寺をどうぞよろしくお願い申しあげます


2023年10月02日
墓じまい、位牌じまい、仏壇じまいについて思うこと
今朝、朝のニュース番組、羽鳥慎一のモーニングショーを見ていて
お墓じまいについてのコーナーがありました。
今朝で第3弾だったようで、とても反響の多いテーマなのだそうです。
お墓じまい、位牌じまいをどうしたら良いか分からない人が多い、
ということでした。
20、30分ほどのコーナーだったのですが、全体を通しての
個人的な感想として
世の中すべてが合理化、有機化のものの考え方に傾いているな。
それは時代の変化、流れからして決して悪いことではないけれど
大前提として、物事の根本的なこと、ものの本質を見誤っているな、と
感じました。
同時に、これが全国の朝のニュースとして放送されているのだから
恐ろしいなとさえ感じました。
具体的にどんな話がされていたかというと
墓じまい位牌じまいの方法、
代替えの対応方法、
それに伴う日本人の宗教感。
墓じまい位牌じまいについては、
時代の流れ、家長制度もなくなってる中で
墓じまいを考える人も多くなるのは自然の流れかと思います。
同じお墓に直系ではない親族や、奥さんの家族を一緒に入れるのを
檀家数が減るから嫌がるお寺さんがある、と話していたのには笑いました。
たしかに、そういうお寺さんもあるでしょう。
でも、それって完全にお寺の目先の利益。
利益を考えてる時点でお寺として、そのお寺は終わってるな、と思いました。
悲しいかな、そうした考えのお寺さんは多いのかもしれませんが。
墓じまい、位牌じまい、仏壇じまいの方法、そしてその代わりになるものの紹介。
散骨や宇宙葬など、紹介されていました。
仏壇じまいするにしても、丁寧に供養し、お坊さんに頼んで魂抜きをするか否か。
粗大ごみにしてそのまま捨てるかどうか。
そこの紹介が、金額によるものでしかなかったのが、残念でした。
ただ費用が安いから、ゴミにして捨てれば良い。本当にそうかな?
いくら金額が安く済むからと言って、仏壇や位牌をそのままゴミに出せる人は
少ないと思いますが、ではなぜ、別の方法を選択するか?
そこを合理的に考えて終わってしまってるのが残念で、
ではなぜ?、の部分が一番根本であり本質ではないかと思いました。
そこで、普通に考えると大体の日本人の方は
ご先祖様に手を合わせ、とか
ご縁やいろんな繋がりがあって生かされている、というような
話を思い浮かべるでしょう。
コメンテーターの一人が、
先祖崇拝は儒教からきているから
先祖崇拝と仏教は別物で、同じに考えるのはおかしい、という
話をしていました。
インドから伝わった仏教。
大乗と小乗といって、伝わった場所や風土文化によって、仏教も変化しました。
日本では大乗仏教といって、インドやタイなどのストイックな小乗仏教とは少し違って
おおらかな仏教感へと変化し、さらに元々日本にあった神様信仰とまざって、
神仏習合となり、日本独自の仏教となりました。
それもそれ。
大昔の時代の変化とともに、宗教ですら変わっていったのです。
でも、お釈迦様が伝えたかった仏教そのものの根本的な、本質は変わってない。
そこが大事かと思います。
今、私達が話している墓じまいや位牌じまい、仏壇じまいは、仏教そのものの本質を無視してはいけないと思います。
時代の流れによって、弔い方が変わるのは当然です。
でも、その本質、こころ、気持ちを変えてはいけない。
先祖崇拝と仏教は、学問でいったら別の分野に分類されるでしょう。
でもそれは学問分類学上の話。
先祖崇拝は儒教なんだから、関係ないでしょ、とはならないと思います。
それすらも混ぜて今まで来ている日本の仏教を今更捻じ曲げて、だから
仏壇やお墓はいらないのだ、先祖は供養しなくても良い(そこまでは言ってませんでしたが)、というのは大間違いな気がします。
そもそもお釈迦様は
あちらの鈴がなれば、こちらの鈴も鳴る、といったインドラの鈴という話もあるように
全ては繋がっている、関係のない物事はない、と唱えていました。
だから先祖崇拝と仏教は無関係ではないし、
インド人はガンジス川に遺体を流して、インドにはお墓が殆ど無いから、日本もなくて良い、
といったような話は、全くナンセンスだと感じました。
時代の流れで、合理化になっても良い。
でも、目に見えるものや、自分だけ、自分の周りのことをだけを考えるのは違うな、と。
ありきたりな言い方だけど、目に見えないものや先のこと、今まで繋げてきた人達のこと、
を考えることが大切で、その上で議論されるべきと思います。
そこに、人を弔うとか、偲ぶ、とかそうした気持ちが乗っかって、
その家庭や人のやり方が継がれていけば良いのだと思います。
過去帳や位牌についても質問が出ていて、
過去帳に知らない人の名前がある、とありましたが、
知らないって言っても、もとを辿ればご先祖さんなわけです。
全くの他人が過去帳に載っているわけはないので。
そこを、知らない人だからと排除するのでなく、ご先祖さんだなぁと感謝し、受け入れる気持ちが
大切なのではないかと思うのですが。
それも仏教だと思うのですが。
真言宗開祖の空海さんも、お釈迦様も、宇宙の話をしております。
次元が違うような気がします。
視野も懐もずっとずっと深く、広い気がします。
しかし、このような議論にしかならない日本の仏教土壌にしてしまった
お坊さんたちお寺さんたちの責任でもあるのかな、と思ったりもしました。
玉泉寺でも、墓じまい諸々のご相談を受けることがたくさんあります。
目先の利益ではなく、仏教の本質に基づいて、住職もお話していると思います。
玉泉寺を持ち上げるわけではありませんが
そうしたお寺さんが増えると良いな、
そうしたお寺さんとつながることができれば良いなと思います。
お墓じまいについてのコーナーがありました。
今朝で第3弾だったようで、とても反響の多いテーマなのだそうです。
お墓じまい、位牌じまいをどうしたら良いか分からない人が多い、
ということでした。
20、30分ほどのコーナーだったのですが、全体を通しての
個人的な感想として
世の中すべてが合理化、有機化のものの考え方に傾いているな。
それは時代の変化、流れからして決して悪いことではないけれど
大前提として、物事の根本的なこと、ものの本質を見誤っているな、と
感じました。
同時に、これが全国の朝のニュースとして放送されているのだから
恐ろしいなとさえ感じました。
具体的にどんな話がされていたかというと
墓じまい位牌じまいの方法、
代替えの対応方法、
それに伴う日本人の宗教感。
墓じまい位牌じまいについては、
時代の流れ、家長制度もなくなってる中で
墓じまいを考える人も多くなるのは自然の流れかと思います。
同じお墓に直系ではない親族や、奥さんの家族を一緒に入れるのを
檀家数が減るから嫌がるお寺さんがある、と話していたのには笑いました。
たしかに、そういうお寺さんもあるでしょう。
でも、それって完全にお寺の目先の利益。
利益を考えてる時点でお寺として、そのお寺は終わってるな、と思いました。
悲しいかな、そうした考えのお寺さんは多いのかもしれませんが。
墓じまい、位牌じまい、仏壇じまいの方法、そしてその代わりになるものの紹介。
散骨や宇宙葬など、紹介されていました。
仏壇じまいするにしても、丁寧に供養し、お坊さんに頼んで魂抜きをするか否か。
粗大ごみにしてそのまま捨てるかどうか。
そこの紹介が、金額によるものでしかなかったのが、残念でした。
ただ費用が安いから、ゴミにして捨てれば良い。本当にそうかな?
いくら金額が安く済むからと言って、仏壇や位牌をそのままゴミに出せる人は
少ないと思いますが、ではなぜ、別の方法を選択するか?
そこを合理的に考えて終わってしまってるのが残念で、
ではなぜ?、の部分が一番根本であり本質ではないかと思いました。
そこで、普通に考えると大体の日本人の方は
ご先祖様に手を合わせ、とか
ご縁やいろんな繋がりがあって生かされている、というような
話を思い浮かべるでしょう。
コメンテーターの一人が、
先祖崇拝は儒教からきているから
先祖崇拝と仏教は別物で、同じに考えるのはおかしい、という
話をしていました。
インドから伝わった仏教。
大乗と小乗といって、伝わった場所や風土文化によって、仏教も変化しました。
日本では大乗仏教といって、インドやタイなどのストイックな小乗仏教とは少し違って
おおらかな仏教感へと変化し、さらに元々日本にあった神様信仰とまざって、
神仏習合となり、日本独自の仏教となりました。
それもそれ。
大昔の時代の変化とともに、宗教ですら変わっていったのです。
でも、お釈迦様が伝えたかった仏教そのものの根本的な、本質は変わってない。
そこが大事かと思います。
今、私達が話している墓じまいや位牌じまい、仏壇じまいは、仏教そのものの本質を無視してはいけないと思います。
時代の流れによって、弔い方が変わるのは当然です。
でも、その本質、こころ、気持ちを変えてはいけない。
先祖崇拝と仏教は、学問でいったら別の分野に分類されるでしょう。
でもそれは学問分類学上の話。
先祖崇拝は儒教なんだから、関係ないでしょ、とはならないと思います。
それすらも混ぜて今まで来ている日本の仏教を今更捻じ曲げて、だから
仏壇やお墓はいらないのだ、先祖は供養しなくても良い(そこまでは言ってませんでしたが)、というのは大間違いな気がします。
そもそもお釈迦様は
あちらの鈴がなれば、こちらの鈴も鳴る、といったインドラの鈴という話もあるように
全ては繋がっている、関係のない物事はない、と唱えていました。
だから先祖崇拝と仏教は無関係ではないし、
インド人はガンジス川に遺体を流して、インドにはお墓が殆ど無いから、日本もなくて良い、
といったような話は、全くナンセンスだと感じました。
時代の流れで、合理化になっても良い。
でも、目に見えるものや、自分だけ、自分の周りのことをだけを考えるのは違うな、と。
ありきたりな言い方だけど、目に見えないものや先のこと、今まで繋げてきた人達のこと、
を考えることが大切で、その上で議論されるべきと思います。
そこに、人を弔うとか、偲ぶ、とかそうした気持ちが乗っかって、
その家庭や人のやり方が継がれていけば良いのだと思います。
過去帳や位牌についても質問が出ていて、
過去帳に知らない人の名前がある、とありましたが、
知らないって言っても、もとを辿ればご先祖さんなわけです。
全くの他人が過去帳に載っているわけはないので。
そこを、知らない人だからと排除するのでなく、ご先祖さんだなぁと感謝し、受け入れる気持ちが
大切なのではないかと思うのですが。
それも仏教だと思うのですが。
真言宗開祖の空海さんも、お釈迦様も、宇宙の話をしております。
次元が違うような気がします。
視野も懐もずっとずっと深く、広い気がします。
しかし、このような議論にしかならない日本の仏教土壌にしてしまった
お坊さんたちお寺さんたちの責任でもあるのかな、と思ったりもしました。
玉泉寺でも、墓じまい諸々のご相談を受けることがたくさんあります。
目先の利益ではなく、仏教の本質に基づいて、住職もお話していると思います。
玉泉寺を持ち上げるわけではありませんが
そうしたお寺さんが増えると良いな、
そうしたお寺さんとつながることができれば良いなと思います。
2023年09月24日
信州新町恐竜化計画 閉幕!
先週、街をあげてのイベント、恐竜ウィークが無事に閉幕しました。
玉泉寺でも、ソラテラと喫茶山川草木で参加。
峰街道や修験の歴史から
恐竜クッキーの乗ったお菓子などで皆さんをお迎えしました。
初めは、え?店にも新町にもお客さんが来るのかな!?、と
疑っていた私ですが
4日間で新町や恐竜化石博物館に訪れたお客さんは多く、
玉泉寺にも足を運んでくださった方もたくさんいらっしゃって、
なんともにぎやかな恐竜ウィークとなりました。
私も最終日の山川草木を終えてから
楽しみにしていたナイトミュージアムに駆け込むことができ
子供も大人も楽しく過ごしました。
夜の雰囲気もよく、お客さんもいて賑やかなナイトミュージアム、とても良かったです!
本当に暑い中、スタッフの皆さん、おつかれ様でした。
大成功でしたね

私もこの恐竜ウィークを通して、普段できない気付きや
良い出会いもあり、忙しくも楽しかったです。
スタッフの皆さん、
足を運んでくださった皆さんに改めて感謝です!
ありがとうございました。


飲み物の氷も恐竜!

ナイトミュージアムは子どもたち喜びました!
ぜひまたやってほしいな〜

副住職のおはなし会。
お墓参りに来られた県外のお客さんもたくさん。
ありがとうございました。
玉泉寺でも、ソラテラと喫茶山川草木で参加。
峰街道や修験の歴史から
恐竜クッキーの乗ったお菓子などで皆さんをお迎えしました。
初めは、え?店にも新町にもお客さんが来るのかな!?、と
疑っていた私ですが
4日間で新町や恐竜化石博物館に訪れたお客さんは多く、
玉泉寺にも足を運んでくださった方もたくさんいらっしゃって、
なんともにぎやかな恐竜ウィークとなりました。
私も最終日の山川草木を終えてから
楽しみにしていたナイトミュージアムに駆け込むことができ
子供も大人も楽しく過ごしました。
夜の雰囲気もよく、お客さんもいて賑やかなナイトミュージアム、とても良かったです!
本当に暑い中、スタッフの皆さん、おつかれ様でした。
大成功でしたね


私もこの恐竜ウィークを通して、普段できない気付きや
良い出会いもあり、忙しくも楽しかったです。
スタッフの皆さん、
足を運んでくださった皆さんに改めて感謝です!
ありがとうございました。


飲み物の氷も恐竜!

ナイトミュージアムは子どもたち喜びました!
ぜひまたやってほしいな〜

副住職のおはなし会。
お墓参りに来られた県外のお客さんもたくさん。
ありがとうございました。
2023年09月14日
信州新町恐竜化計画!
9/15-18は信州新町恐竜ウィーク。
新町各所で恐竜にまつわるイベント、お祭りやってます。
玉泉寺でも、9/15,16の前半2日間は副住職によるお話会。
峰街道から修験のお話を、パワポ解説。
歴史の流れに沿いながら紐解いていくようです。玉泉寺近辺、峰街道の歴史とロマンを感じる内容です。
随時、お客さん来られた時間で始めるようですので、ぜひお越しください
後半2日間は喫茶山川草木です。
いつもはお出ししていないフランスのデザートでいこうと思ってます。恐竜のクッキーも仕込みます✊✊
数量限定ですので、ご了承ください!
ナイトミュージアムも、屋形船も楽しみ!
信州新町へぜひ、足をお運びください☺️☺️☺️

新町各所で恐竜にまつわるイベント、お祭りやってます。
玉泉寺でも、9/15,16の前半2日間は副住職によるお話会。
峰街道から修験のお話を、パワポ解説。
歴史の流れに沿いながら紐解いていくようです。玉泉寺近辺、峰街道の歴史とロマンを感じる内容です。
随時、お客さん来られた時間で始めるようですので、ぜひお越しください
後半2日間は喫茶山川草木です。
いつもはお出ししていないフランスのデザートでいこうと思ってます。恐竜のクッキーも仕込みます✊✊
数量限定ですので、ご了承ください!
ナイトミュージアムも、屋形船も楽しみ!
信州新町へぜひ、足をお運びください☺️☺️☺️

2023年08月20日
2023 お盆 施餓鬼会、無事に
16日に玉泉寺の施餓鬼会が無事に終わりました。
新盆の方を主に、多くの方に手を合わせていただきました。
以前のように、直会として座っての食事会も行わず、
お帰りの際にお弁当をお渡しして終わり、であったので
法要が終わると皆さんお帰りになり
あっという間の施餓鬼会にホッと楽な気持ちやら、何となくさみしく物足りない気持ちやら。
直会があって、少し皆さんとお話する時間が以前はありました。
アフターコロナの変化として今後も
そうした食事会はなくなっていくでしょう。
迎える側としては高齢化で人手がなくなっている分、
楽にはなりましたが、少しさみしくもあります。
さて、そんな中でも施餓鬼会終了後、
いつもお手伝いに来てくれるNさんの子どもたちと一緒にスイカ割り!
子どもは大いに盛り上がりました。
今後は、新たなカタチの行事の様式と変わっていくのでしょう。
ご参拝頂いた方、お手伝いの皆さん、ありがとうございました。

新盆の方を主に、多くの方に手を合わせていただきました。
以前のように、直会として座っての食事会も行わず、
お帰りの際にお弁当をお渡しして終わり、であったので
法要が終わると皆さんお帰りになり
あっという間の施餓鬼会にホッと楽な気持ちやら、何となくさみしく物足りない気持ちやら。
直会があって、少し皆さんとお話する時間が以前はありました。
アフターコロナの変化として今後も
そうした食事会はなくなっていくでしょう。
迎える側としては高齢化で人手がなくなっている分、
楽にはなりましたが、少しさみしくもあります。
さて、そんな中でも施餓鬼会終了後、
いつもお手伝いに来てくれるNさんの子どもたちと一緒にスイカ割り!
子どもは大いに盛り上がりました。
今後は、新たなカタチの行事の様式と変わっていくのでしょう。
ご参拝頂いた方、お手伝いの皆さん、ありがとうございました。
