2024年07月03日
疾風怒涛木曽義仲!義仲愛を語る・・・
その昔、義仲の家臣、竹村という者が義仲が都落ちした際に
義仲が護持仏としていた観音像を預けられ、
竹村氏の故郷、現信州新町に持ち帰ったものが
玉泉寺に祀られている旭観音である、という玉泉寺伝があります。
これは言い伝えで伝説的ですが
実際、峰街道を調べ、歩いていると
峰街道沿いには集落や関所、戦いの要所が集まっており
また、北陸へ抜けていく道としてもこの街道を通ったであろうことから
ここ周辺の者たちが義仲に従って都へ攻め上り、そして敗走したと考えることができます。
義仲の次男義重も鬼無里に一時、身を隠し
そののち、美麻村に戻って、仁科盛遠の姉妹を妻にし源姓仁科氏を名乗ったのだとされます。
もともと安曇、大町は仁科御厨の荘官で平姓仁科氏が支配していましたが、
承久の乱で盛遠が戦死すると、義重が継ぎ、源姓と称するようになった、、、と手元の資料にはあります。
私は玉泉寺に嫁に来る前から歴史小説を読み、義仲ファンでありました。
たまたま嫁ぐお寺が義仲と関係深いというわけで、それもご縁を感じたものです。
安曇、大町から続き、玉泉寺圏内の美麻村へと続く仁科氏の歴史や義仲の空気が
義仲ファンとしてはとても堪らなく、興味深いところであるのです。(お分かりいただけるでしょうか・・・)
さて、義仲愛を語ったところで。
今月7月13日(土)から千曲市にある県立歴史館にて
「疾風怒涛木曽義仲」展が開催されます。
とても楽しみです!
観に行きます!
8月24,25日には、木曽義仲ゆかりの会大会といって、全国の義仲ゆかりの会が集まり
親睦を深めるといった大会も市内で開催予定です。
義仲は田舎者、荒くれもの、といったイメージがありますが
近年の大河ドラマなどをみても昔とは違った描かれ方をしています。
芥川龍之介や松尾芭蕉などからも人気があった武将です。
芥川龍之介は義仲を評して
「革命の健児・・・炎々たる青雲の念、勃々たる覇気、常に火のごとく胸腔、唯一の赤誠を有す」
と言いきった、とこれまた手元の資料。
確かに確かに。
疑り深く計算高い頼朝より、自己の信念というより兄の顔色を窺っていた義経より
よほどすがすがしい思いのする義仲なのであります。
信州にゆかりのある武将である、という贔屓目を除いても
やっぱり、私は義仲が好きだなぁ。
7月13日からの義仲展、ぜひ皆様も足を運んでみてください。

義仲が護持仏としていた観音像を預けられ、
竹村氏の故郷、現信州新町に持ち帰ったものが
玉泉寺に祀られている旭観音である、という玉泉寺伝があります。
これは言い伝えで伝説的ですが
実際、峰街道を調べ、歩いていると
峰街道沿いには集落や関所、戦いの要所が集まっており
また、北陸へ抜けていく道としてもこの街道を通ったであろうことから
ここ周辺の者たちが義仲に従って都へ攻め上り、そして敗走したと考えることができます。
義仲の次男義重も鬼無里に一時、身を隠し
そののち、美麻村に戻って、仁科盛遠の姉妹を妻にし源姓仁科氏を名乗ったのだとされます。
もともと安曇、大町は仁科御厨の荘官で平姓仁科氏が支配していましたが、
承久の乱で盛遠が戦死すると、義重が継ぎ、源姓と称するようになった、、、と手元の資料にはあります。
私は玉泉寺に嫁に来る前から歴史小説を読み、義仲ファンでありました。
たまたま嫁ぐお寺が義仲と関係深いというわけで、それもご縁を感じたものです。
安曇、大町から続き、玉泉寺圏内の美麻村へと続く仁科氏の歴史や義仲の空気が
義仲ファンとしてはとても堪らなく、興味深いところであるのです。(お分かりいただけるでしょうか・・・)
さて、義仲愛を語ったところで。
今月7月13日(土)から千曲市にある県立歴史館にて
「疾風怒涛木曽義仲」展が開催されます。
とても楽しみです!
観に行きます!
8月24,25日には、木曽義仲ゆかりの会大会といって、全国の義仲ゆかりの会が集まり
親睦を深めるといった大会も市内で開催予定です。
義仲は田舎者、荒くれもの、といったイメージがありますが
近年の大河ドラマなどをみても昔とは違った描かれ方をしています。
芥川龍之介や松尾芭蕉などからも人気があった武将です。
芥川龍之介は義仲を評して
「革命の健児・・・炎々たる青雲の念、勃々たる覇気、常に火のごとく胸腔、唯一の赤誠を有す」
と言いきった、とこれまた手元の資料。
確かに確かに。
疑り深く計算高い頼朝より、自己の信念というより兄の顔色を窺っていた義経より
よほどすがすがしい思いのする義仲なのであります。
信州にゆかりのある武将である、という贔屓目を除いても
やっぱり、私は義仲が好きだなぁ。
7月13日からの義仲展、ぜひ皆様も足を運んでみてください。

2024年06月25日
世界にひとつしかないもの
小学校一年の次男に、
「お母さん、世界にひとつしかないものってなんだ?」と
クイズを出されました。
「うーん、なんだろう。
東京タワーかな?ギリシャのパルテノン神殿とか?
ピラミッドとかかなぁ。。。
それとも、アマゾン川とかエベレスト?」
なんて答えていたのですが
「答えはね、自分だよ」、と次男。
「えっ!そうか、そういえばそうだね。」
東京タワーは、もう一つ作ろうと思えば作れる。
ピラミッドもパルテノン神殿も。
言われてみれば納得ですが、目からウロコでした。
次男は続けて言いました。
「ダイヤモンドは、数が少ないから貴重でしょ。
他にないってものは、価値が高くて貴重なんだよ。
ということは、自分は、世界にひとつしかないから、一番めずらしいんだよ。
だから、とっても貴重なものなんだよ。
ダイヤモンドは貴重で高いけど、
他にもいくつかあるでしょ。
でも、自分は一人しかいなくて、めずらしいから、ダイヤモンドよりも貴重なんだよ。
だから、自分のことを大事にしなくちゃいけないんだよ。」
たった6歳なのに、確か、貴重や価値、といった言葉を使っていたと思うのですが
次男は、こんな風に話してくれました。
どこかで聞いたの?見たの?と問うたら
自分で考えた、とのこと。
お釈迦様か、君は・・・・
自分のことを大事にしなくちゃいけないんだよ、と語るところでは
自分の腕を胸の前でクロスさせ、自分を抱きしめるように話してくれました。
今、自己肯定感を高めようと教育界や学校でも話がされていますが
自己肯定感、というと
怒らずに褒めたり、ありのままを受け入れたり、といったことを聞きます。
でも、「自分は世界にひとつしかない、ダイヤモンドよりも価値ある貴重な存在。」という
たったこれだけで十分なのではないかと思いました。
後日、学校の図書館から借りてきた
ヨシタケシンスケの絵本、「ぼくのニセモノをつくるには」、という本を読んで
次男は、自分のその思いを確信に変えたそうです。
次男の感受性というのか、それに感心もし、
これが本物の自己肯定感であると感じた言葉でした。
「お母さん、世界にひとつしかないものってなんだ?」と
クイズを出されました。
「うーん、なんだろう。
東京タワーかな?ギリシャのパルテノン神殿とか?
ピラミッドとかかなぁ。。。
それとも、アマゾン川とかエベレスト?」
なんて答えていたのですが
「答えはね、自分だよ」、と次男。
「えっ!そうか、そういえばそうだね。」
東京タワーは、もう一つ作ろうと思えば作れる。
ピラミッドもパルテノン神殿も。
言われてみれば納得ですが、目からウロコでした。
次男は続けて言いました。
「ダイヤモンドは、数が少ないから貴重でしょ。
他にないってものは、価値が高くて貴重なんだよ。
ということは、自分は、世界にひとつしかないから、一番めずらしいんだよ。
だから、とっても貴重なものなんだよ。
ダイヤモンドは貴重で高いけど、
他にもいくつかあるでしょ。
でも、自分は一人しかいなくて、めずらしいから、ダイヤモンドよりも貴重なんだよ。
だから、自分のことを大事にしなくちゃいけないんだよ。」
たった6歳なのに、確か、貴重や価値、といった言葉を使っていたと思うのですが
次男は、こんな風に話してくれました。
どこかで聞いたの?見たの?と問うたら
自分で考えた、とのこと。
お釈迦様か、君は・・・・
自分のことを大事にしなくちゃいけないんだよ、と語るところでは
自分の腕を胸の前でクロスさせ、自分を抱きしめるように話してくれました。
今、自己肯定感を高めようと教育界や学校でも話がされていますが
自己肯定感、というと
怒らずに褒めたり、ありのままを受け入れたり、といったことを聞きます。
でも、「自分は世界にひとつしかない、ダイヤモンドよりも価値ある貴重な存在。」という
たったこれだけで十分なのではないかと思いました。
後日、学校の図書館から借りてきた
ヨシタケシンスケの絵本、「ぼくのニセモノをつくるには」、という本を読んで
次男は、自分のその思いを確信に変えたそうです。
次男の感受性というのか、それに感心もし、
これが本物の自己肯定感であると感じた言葉でした。
2024年06月15日
高峰寺 開山式2024
毎年6月は聖山高峰寺の開山式です。
一年の吉凶を占い、その年の豊作を祈願するお祭り。
種まき会といいましたが、その正式な修法を今日では知る人はいなく
残念なことです。
慶び、集う顔があるならば、守り、続けていきたいと思うけれど
どのようにしていけばよいのか、考えどころです。
皆さんに手伝ってもらって、本堂や権現堂の掃除。
窓から見える緑の、美しいこと。
別世界です。
今年も、どうぞよろしくお願いします。



一年の吉凶を占い、その年の豊作を祈願するお祭り。
種まき会といいましたが、その正式な修法を今日では知る人はいなく
残念なことです。
慶び、集う顔があるならば、守り、続けていきたいと思うけれど
どのようにしていけばよいのか、考えどころです。
皆さんに手伝ってもらって、本堂や権現堂の掃除。
窓から見える緑の、美しいこと。
別世界です。
今年も、どうぞよろしくお願いします。



2024年04月07日
春休み、京都旅行へ③~東福寺、宿周辺~
三日目は、①に書きました宝蔵院へ午前中から出かけ、
お昼はヴィーガンラーメンをいただき、
黄檗宗の本山の萬福寺も拝観しました。
萬福寺の周りに塔頭寺院としていくつか寺院があり
宝蔵院もその一つなのでした。
黄檗宗は、インゲン豆を日本へ伝えたことで有名な隠元禅師が開かれた
日本三禅宗の一つです。
ちょうど時代は江戸。
4代将軍の家綱公の尊崇を得て宇治の地を与えられ
開創されたのだそうです。
伽藍の配置や堂舎の建築様式は中国の明朝様式を取り入れ、
これまでに焼失を免れ、創建当初のすがたそのままを今日に伝える寺院は日本では他に例がなく
代表的な禅宗伽藍建築群として文化財に指定されています。
(パンフレットより、途中省略)
たしかに、萬福寺の伽藍や本堂内の装飾は日本的というよりも
中国的で、竜宮城みたい、と思いました。
また、黄檗宗の儀式さほうは中国明時代に制定された仏教儀礼で行われ、
読経は中国から伝わった当時の発音で発音し、明時代そのままの法式を継承しているのだそう。
その儀礼も見てみたいなぁと思いました。
また、鉄眼さんは隠元さんの弟子であり
隠元さんが中国で印刷所を構えていたことを知り、
鉄眼さんもまた、木版を開刻することを心に決めるのでした。
隠元さんは、鉄眼さんの熱意に感動され、多大なバックアップをするのです。
隠元さんは、木版技術だけでなく、建築、文学、明朝文字や原稿用紙の型、
その他にも様々なものを日本に伝え、それらは江戸時代の町民文化の基となり
「黄檗文化」と呼ばれ、現在私たちも当たり前に使用しているものが伝えられたのだそうです。

そして、JR奈良線に乗って、京都へ戻ります。
途中駅には伏見稲荷があって、海外の観光客の多いこと多いこと。
外国人観光客に交じって、自分たちも外国を旅しているような気分になりました。
さらに途中、臨済宗大本山の東福寺へ。
お庭と回廊が有名です。
禅宗のお庭は見事で「八相の庭」と呼ばれ、
お釈迦様の生涯の八つの重要な出来事に因んで命名されたものだそう。

さて、これで宿に戻り四日目の昼には帰りの電車に乗るのですが
京都駅に向かう途中に東本願寺をお参りしながら帰りました。
真言宗、修験道、浄土宗、黄檗宗、禅宗、浄土真宗、
いろんな宗派の寺院をめぐってそれぞれの違いを感じることができ
とても面白い旅となりました。
浄土宗、浄土真宗は民衆、門徒さんが集まるからか本堂、伽藍の大きいところが特徴であったし
禅宗は道場を備え、質素、庭などで宗教観を表していましたし
黄檗宗では中国明時代の景色を見ることができました。
真言宗密教では曼荼羅や法具、仏像がそれらを現しており、やはり見事でした。
奈良へ行くと、また歴史の古い寺院があったりしてそれはそれで楽しいのですが。
それはまたの機会に。
そして、今回の旅のもう一つの面白さが、お宿。
京都駅から車で20分ほどの住宅街のなかに空き家を今風におしゃれにリフォームした一棟貸しの宿に宿泊しました。
周辺は小さな商店がぽつぽつと集まる通りで、
レストラン、カフェ、パン屋、コーヒー店、漬物屋
鉄板焼き屋、立ち飲み屋、中華屋、銭湯まで何でもそろう通りだったので
毎日食べることも楽しみで、しかもどこも美味しくて、貸し自転車もあり、ホテルにはない宿泊の楽しさを味わうこともできました。
最終日に、タクシーの運転手さんにお勧めされた近くの銭湯は
内装がとても珍しくて、天井に天狗の彫刻や欄間も見事なものだったりして
お客さんは外国人ばかり。
番頭のおばあちゃんが英語を話していたので驚きました
子供たちはお寺ばかりでつまらなかったかもしれないけど
まぁ仕方ないとして(卒入学のお祝いと言っておきながら・・・)父母は120%楽しんだ春休みの研修旅行となりました。
黄檗宗の宝蔵院は、なかなか知られていないけれど
機会があったらぜひ、行ってみていただきたいお寺であります。
以上、春休み京都旅行レポートでした。
お昼はヴィーガンラーメンをいただき、
黄檗宗の本山の萬福寺も拝観しました。
萬福寺の周りに塔頭寺院としていくつか寺院があり
宝蔵院もその一つなのでした。
黄檗宗は、インゲン豆を日本へ伝えたことで有名な隠元禅師が開かれた
日本三禅宗の一つです。
ちょうど時代は江戸。
4代将軍の家綱公の尊崇を得て宇治の地を与えられ
開創されたのだそうです。
伽藍の配置や堂舎の建築様式は中国の明朝様式を取り入れ、
これまでに焼失を免れ、創建当初のすがたそのままを今日に伝える寺院は日本では他に例がなく
代表的な禅宗伽藍建築群として文化財に指定されています。
(パンフレットより、途中省略)
たしかに、萬福寺の伽藍や本堂内の装飾は日本的というよりも
中国的で、竜宮城みたい、と思いました。
また、黄檗宗の儀式さほうは中国明時代に制定された仏教儀礼で行われ、
読経は中国から伝わった当時の発音で発音し、明時代そのままの法式を継承しているのだそう。
その儀礼も見てみたいなぁと思いました。
また、鉄眼さんは隠元さんの弟子であり
隠元さんが中国で印刷所を構えていたことを知り、
鉄眼さんもまた、木版を開刻することを心に決めるのでした。
隠元さんは、鉄眼さんの熱意に感動され、多大なバックアップをするのです。
隠元さんは、木版技術だけでなく、建築、文学、明朝文字や原稿用紙の型、
その他にも様々なものを日本に伝え、それらは江戸時代の町民文化の基となり
「黄檗文化」と呼ばれ、現在私たちも当たり前に使用しているものが伝えられたのだそうです。

そして、JR奈良線に乗って、京都へ戻ります。
途中駅には伏見稲荷があって、海外の観光客の多いこと多いこと。
外国人観光客に交じって、自分たちも外国を旅しているような気分になりました。
さらに途中、臨済宗大本山の東福寺へ。
お庭と回廊が有名です。
禅宗のお庭は見事で「八相の庭」と呼ばれ、
お釈迦様の生涯の八つの重要な出来事に因んで命名されたものだそう。

さて、これで宿に戻り四日目の昼には帰りの電車に乗るのですが
京都駅に向かう途中に東本願寺をお参りしながら帰りました。
真言宗、修験道、浄土宗、黄檗宗、禅宗、浄土真宗、
いろんな宗派の寺院をめぐってそれぞれの違いを感じることができ
とても面白い旅となりました。
浄土宗、浄土真宗は民衆、門徒さんが集まるからか本堂、伽藍の大きいところが特徴であったし
禅宗は道場を備え、質素、庭などで宗教観を表していましたし
黄檗宗では中国明時代の景色を見ることができました。
真言宗密教では曼荼羅や法具、仏像がそれらを現しており、やはり見事でした。
奈良へ行くと、また歴史の古い寺院があったりしてそれはそれで楽しいのですが。
それはまたの機会に。
そして、今回の旅のもう一つの面白さが、お宿。
京都駅から車で20分ほどの住宅街のなかに空き家を今風におしゃれにリフォームした一棟貸しの宿に宿泊しました。
周辺は小さな商店がぽつぽつと集まる通りで、
レストラン、カフェ、パン屋、コーヒー店、漬物屋
鉄板焼き屋、立ち飲み屋、中華屋、銭湯まで何でもそろう通りだったので
毎日食べることも楽しみで、しかもどこも美味しくて、貸し自転車もあり、ホテルにはない宿泊の楽しさを味わうこともできました。
最終日に、タクシーの運転手さんにお勧めされた近くの銭湯は
内装がとても珍しくて、天井に天狗の彫刻や欄間も見事なものだったりして
お客さんは外国人ばかり。
番頭のおばあちゃんが英語を話していたので驚きました

子供たちはお寺ばかりでつまらなかったかもしれないけど
まぁ仕方ないとして(卒入学のお祝いと言っておきながら・・・)父母は120%楽しんだ春休みの研修旅行となりました。
黄檗宗の宝蔵院は、なかなか知られていないけれど
機会があったらぜひ、行ってみていただきたいお寺であります。
以上、春休み京都旅行レポートでした。
2024年04月06日
春休み、京都旅行へ②~聖護院、黒谷山、平安神宮、京博~
しなのから新幹線に乗り、京都へ。
着いてすぐ、真言宗の総本山東寺へ。
やっぱり私は真言宗や天台宗のお寺が好みです。
浄土真宗の金キラの大きな伽藍のお寺や
曹洞宗や臨済宗の庭や禅のお堂のお寺も良いですが
真言宗、天台宗の古い造り、そしてかっこいい仏像たちを拝見するのが好きです。
弘法大師、真言宗の宗教観である曼荼羅や
分かりにくい密教の教えを仏像に具現化して分かりやすくしているので
密教寺院にはいろいろな仏像があります。
インドや中国由来の仏様もいます。
それらの仏さまたちが、とても良いお顔をされています。
宗教的にも見れますし、美術的にも見れます。
禅宗のお庭もそうですね。庭に宗教観をのせています。
東寺の講堂にあります、立体曼荼羅は
仏像たちが大日如来を中心に曼荼羅として取り囲み
密教の教えを表しています。
東寺に見られる帝釈天は教科書にも載る
お顔のかっこいい仏様。
弘法大師から時代は進み、足利尊氏や織田信長も
東寺に本陣をおき、戦いをしたのだと宝物館の資料で見ることができます。
そうした昔の書状などをみるのも、私にとっては興奮してしまいます。
いつからこんなに歴史好き、お寺好き、仏像好きになったのかしら?


そして二日目は本山修験宗の聖護院門跡へ。
玉泉寺も修験の流れをくむ山岳寺院ですので、その本山の聖護院は興味がありました。
行ってみると、意外と建物自体は新しいと感じたのですが、それでも1676年の再建なのだとか。
京都奈良では周りの寺院がすべて古いものなので、江戸時代でも新しく感じてしまう。
修験道は役小角が開いた宗旨で、日本古来の山岳信仰、自然崇拝を源に発し、
民俗信仰と仏教(特に密教)・道教などの思想が融合して成立しました。
修験とは実修得験の意味で、修行の体験によって人格を高め徳を表すことをいい
理論よりも実践が中心になっています。
中略
山に入って自然の声を経典として仏心を探り身体を練り、日常生活の中に菩薩道を実践できるように努力するのです。
(聖護院のパンフレットより)
確かにこの説明を読むと
玉泉寺での山の暮らしの中では、「自然の声を経典として仏心を探り」
「日常生活のなかに菩薩道を実践できるように」という言葉が分かるような気がします。
…と言っても、修験の修行は私のようなこんな普通の暮らしとは全くべつものでもっと厳しいのでしょうが、
それでも山にいて、自然の声を聴き、というのは
街の暮らしでは気づきえないことがあると思います。
そこから菩薩道、仏心を探る、ということなのですね。

聖護院のあとは、そこから近くの浄土宗法然さんのお寺へ。
黒谷山金戒光明寺と言います。
法然さんが比叡山の黒谷を降り、初めて庵を結んだ地なのだそうです。
幕末になると、新選組の拠点となったお寺だそうです。
今は周りが住宅街となっていますが
法然さんが庵を開いた当時は、当たり前ですが
周りは何もなく、貧しい民がいて
法然さんの南無阿弥陀仏と一心に念ずれば
極楽浄土へ往けるという教えに、たくさんの民が救われたのだと思います。
そのあとは京都の友人と久々の再会をし、平安神宮でランチ。
広い境内にはたくさんの地元の人や観光客がピクニックをしたりして過ごしていました。
私たちも平安神宮前の芝生にお弁当とコーヒーを広げ、ゆっくりと。
子供たちはお寺巡りよりもこうした公園で走り回っているほうがよっぽど楽しそうでした

その後、友人と別れ、急遽行きたくなった京都国立博物館へ。
雪舟展がやっている、とのポスターをみたのですが
私の勘違いで期間外。ちょうど展示物入れ替えの時期でお庭だけ拝観してきました。
が、お庭だけでも十分歴史好きには楽しめる。さすが古都!
平安京の支えとなった礎石となった石が野ざらしで展示されていたり、
歴史が違うわー、と感心しきりでした。

京博のお向かいにある三十三間堂に閉館時間ギリギリに滑り込んでたくさんの仏さんを拝見し二日目を終えたのでした。
③へ続く。
着いてすぐ、真言宗の総本山東寺へ。
やっぱり私は真言宗や天台宗のお寺が好みです。
浄土真宗の金キラの大きな伽藍のお寺や
曹洞宗や臨済宗の庭や禅のお堂のお寺も良いですが
真言宗、天台宗の古い造り、そしてかっこいい仏像たちを拝見するのが好きです。
弘法大師、真言宗の宗教観である曼荼羅や
分かりにくい密教の教えを仏像に具現化して分かりやすくしているので
密教寺院にはいろいろな仏像があります。
インドや中国由来の仏様もいます。
それらの仏さまたちが、とても良いお顔をされています。
宗教的にも見れますし、美術的にも見れます。
禅宗のお庭もそうですね。庭に宗教観をのせています。
東寺の講堂にあります、立体曼荼羅は
仏像たちが大日如来を中心に曼荼羅として取り囲み
密教の教えを表しています。
東寺に見られる帝釈天は教科書にも載る
お顔のかっこいい仏様。
弘法大師から時代は進み、足利尊氏や織田信長も
東寺に本陣をおき、戦いをしたのだと宝物館の資料で見ることができます。
そうした昔の書状などをみるのも、私にとっては興奮してしまいます。
いつからこんなに歴史好き、お寺好き、仏像好きになったのかしら?



そして二日目は本山修験宗の聖護院門跡へ。
玉泉寺も修験の流れをくむ山岳寺院ですので、その本山の聖護院は興味がありました。
行ってみると、意外と建物自体は新しいと感じたのですが、それでも1676年の再建なのだとか。
京都奈良では周りの寺院がすべて古いものなので、江戸時代でも新しく感じてしまう。
修験道は役小角が開いた宗旨で、日本古来の山岳信仰、自然崇拝を源に発し、
民俗信仰と仏教(特に密教)・道教などの思想が融合して成立しました。
修験とは実修得験の意味で、修行の体験によって人格を高め徳を表すことをいい
理論よりも実践が中心になっています。
中略
山に入って自然の声を経典として仏心を探り身体を練り、日常生活の中に菩薩道を実践できるように努力するのです。
(聖護院のパンフレットより)
確かにこの説明を読むと
玉泉寺での山の暮らしの中では、「自然の声を経典として仏心を探り」
「日常生活のなかに菩薩道を実践できるように」という言葉が分かるような気がします。
…と言っても、修験の修行は私のようなこんな普通の暮らしとは全くべつものでもっと厳しいのでしょうが、
それでも山にいて、自然の声を聴き、というのは
街の暮らしでは気づきえないことがあると思います。
そこから菩薩道、仏心を探る、ということなのですね。

聖護院のあとは、そこから近くの浄土宗法然さんのお寺へ。
黒谷山金戒光明寺と言います。
法然さんが比叡山の黒谷を降り、初めて庵を結んだ地なのだそうです。
幕末になると、新選組の拠点となったお寺だそうです。
今は周りが住宅街となっていますが
法然さんが庵を開いた当時は、当たり前ですが
周りは何もなく、貧しい民がいて
法然さんの南無阿弥陀仏と一心に念ずれば
極楽浄土へ往けるという教えに、たくさんの民が救われたのだと思います。
そのあとは京都の友人と久々の再会をし、平安神宮でランチ。
広い境内にはたくさんの地元の人や観光客がピクニックをしたりして過ごしていました。
私たちも平安神宮前の芝生にお弁当とコーヒーを広げ、ゆっくりと。
子供たちはお寺巡りよりもこうした公園で走り回っているほうがよっぽど楽しそうでした


その後、友人と別れ、急遽行きたくなった京都国立博物館へ。
雪舟展がやっている、とのポスターをみたのですが
私の勘違いで期間外。ちょうど展示物入れ替えの時期でお庭だけ拝観してきました。
が、お庭だけでも十分歴史好きには楽しめる。さすが古都!
平安京の支えとなった礎石となった石が野ざらしで展示されていたり、
歴史が違うわー、と感心しきりでした。

京博のお向かいにある三十三間堂に閉館時間ギリギリに滑り込んでたくさんの仏さんを拝見し二日目を終えたのでした。
③へ続く。
2024年04月04日
春休み、京都旅行へ①~黄檗山宝蔵院〜
今春、長男と次男がそれぞれ中学校と小学校へ入学します。
そのお祝いに京都へ家族旅行に行ってまいりました。
京都へは目的があって行きました。
一つは大般若経を世の中に広めるため、木版印刷技術に尽力した鉄眼禅師の本元となる版木収蔵庫のある黄檗宗、宝蔵院へ。
ブログでも何度か紹介した鉄眼禅師。
玉泉寺の般若経典は初期のものではないかと以前、大学の教授に指摘を受け
そこから、気になっていろいろと調べたところ
京都の宇治にある、宝蔵院というお寺に版木がすべて収蔵されていると知ったのです。
そうと知っては、行かないわけにはいきません。
京都は外国人の観光客にあふれていましたが、私たちの向かうお寺は
タクシーの運転手さん曰く、シブい、というお寺だそうで
他に観光客もなくゆっくり、じっくりと見学することができました。
実際に足を運んでみると京都の中心から少し離れ
静かな住宅街の中にあるお寺。
宝蔵院のお弟子さんが
普段は見ることができない収蔵庫の中へ案内してくださいました。
中には、江戸時代に実際に使われていた木版がびっしりと。
ここから、一つひとつ手作業で彫られ、すられた大般若経が全国へと渡ったのだと思うと
その歴史、当時の人達の思いや作業の大変さに、息をするのも忘れ
はぁぁ~っと息をもらすしかありません。
鉄眼さんは木版印刷技術だけでなく明朝体文字や原稿用紙の原型も
同時に広め、定着させ、現在も私達はそれらに倣って使用したりしています。
戦前までは、国語の教科書に鉄眼さんのことが載っていたようで
高齢の方は鉄眼禅師、というと知っている方が多いのだとか。
宝蔵院には、興味深いことに全国から発注を受けたお寺へ
大般若経典を刷って送っていた記録が残されています。
当時の貴重な資料を見せていただきました。
玉泉寺の大般若経典も古いものだと聞いていたので
記録に残っているかなとドキドキしながら見ましたが
残念ながら玉泉寺の名前はありませんでした。
知っている県内のお寺もあり、また、その歴史を知ることができたり
新たな疑問ができたりと面白い発見でした。
ただ、こんなにも歴史的価値の高いものを保存し遺していくことが今後の課題だと話されていましたし、
本当にその通りだと思いました。
一寺院の力だけでは、これだけのものを保管し状態良く遺していくのは難しいことです。
国宝としても良いくらいの文化財だと思うので
今後は国やなんらかの支援があると良いなと思いました。
大般若経を開くときに、いつも気になっていた巻末のページにある、
鉄眼の文字や、全国からの勧進の記録。
今回、宝蔵院へ訪れ、実際にその元となる版木を直に見ることができ
時空を飛び越えたような気がします。
たくさん刷って、木がすり減っている当時の版木たちを前に
きっとたくさんの人たちがこの事業に関わって、手にとっていたのだろうと。
その一冊一冊、1ページ1ページに思いが乗っているような気がして、
SNSが普及して、何でも簡単にあっという間に情報がどこまでも飛ばされていく現在とどれだけの違いがあるのだろうと。
簡単に済まされる今だから、情報も何もかも使い捨てできるのかもしれないけど
鉄眼さんの時代は考えられない苦労もあっただろうし、今同じことはできないけれど
一つひとつ、一人ひとりが尊い、貴重なものとして存在したのだろうと思います。
そういう意味でも、今、見直さなければならない鉄眼さんの偉業であり文化財であると思いました。
写真は許可を得て撮り、載せてあります。


宝蔵院の紋は平家の丸に揚羽蝶。
でも詳しい資料がなく、その関係は分からないのだとか。

一枚一枚の版木にびっちりと大般若経が彫られています。



宝蔵院では寺ラーメンとしてヴィーガンラーメンが寺内で食べられます!
あっさりとして美味しい。
子どもも一杯、ぺろりと頂きました。
宝蔵院様、ありがとうございました。
京都旅行②へ続きます!
そのお祝いに京都へ家族旅行に行ってまいりました。
京都へは目的があって行きました。
一つは大般若経を世の中に広めるため、木版印刷技術に尽力した鉄眼禅師の本元となる版木収蔵庫のある黄檗宗、宝蔵院へ。
ブログでも何度か紹介した鉄眼禅師。
玉泉寺の般若経典は初期のものではないかと以前、大学の教授に指摘を受け
そこから、気になっていろいろと調べたところ
京都の宇治にある、宝蔵院というお寺に版木がすべて収蔵されていると知ったのです。
そうと知っては、行かないわけにはいきません。
京都は外国人の観光客にあふれていましたが、私たちの向かうお寺は
タクシーの運転手さん曰く、シブい、というお寺だそうで
他に観光客もなくゆっくり、じっくりと見学することができました。
実際に足を運んでみると京都の中心から少し離れ
静かな住宅街の中にあるお寺。
宝蔵院のお弟子さんが
普段は見ることができない収蔵庫の中へ案内してくださいました。
中には、江戸時代に実際に使われていた木版がびっしりと。
ここから、一つひとつ手作業で彫られ、すられた大般若経が全国へと渡ったのだと思うと
その歴史、当時の人達の思いや作業の大変さに、息をするのも忘れ
はぁぁ~っと息をもらすしかありません。
鉄眼さんは木版印刷技術だけでなく明朝体文字や原稿用紙の原型も
同時に広め、定着させ、現在も私達はそれらに倣って使用したりしています。
戦前までは、国語の教科書に鉄眼さんのことが載っていたようで
高齢の方は鉄眼禅師、というと知っている方が多いのだとか。
宝蔵院には、興味深いことに全国から発注を受けたお寺へ
大般若経典を刷って送っていた記録が残されています。
当時の貴重な資料を見せていただきました。
玉泉寺の大般若経典も古いものだと聞いていたので
記録に残っているかなとドキドキしながら見ましたが
残念ながら玉泉寺の名前はありませんでした。
知っている県内のお寺もあり、また、その歴史を知ることができたり
新たな疑問ができたりと面白い発見でした。
ただ、こんなにも歴史的価値の高いものを保存し遺していくことが今後の課題だと話されていましたし、
本当にその通りだと思いました。
一寺院の力だけでは、これだけのものを保管し状態良く遺していくのは難しいことです。
国宝としても良いくらいの文化財だと思うので
今後は国やなんらかの支援があると良いなと思いました。
大般若経を開くときに、いつも気になっていた巻末のページにある、
鉄眼の文字や、全国からの勧進の記録。
今回、宝蔵院へ訪れ、実際にその元となる版木を直に見ることができ
時空を飛び越えたような気がします。
たくさん刷って、木がすり減っている当時の版木たちを前に
きっとたくさんの人たちがこの事業に関わって、手にとっていたのだろうと。
その一冊一冊、1ページ1ページに思いが乗っているような気がして、
SNSが普及して、何でも簡単にあっという間に情報がどこまでも飛ばされていく現在とどれだけの違いがあるのだろうと。
簡単に済まされる今だから、情報も何もかも使い捨てできるのかもしれないけど
鉄眼さんの時代は考えられない苦労もあっただろうし、今同じことはできないけれど
一つひとつ、一人ひとりが尊い、貴重なものとして存在したのだろうと思います。
そういう意味でも、今、見直さなければならない鉄眼さんの偉業であり文化財であると思いました。
写真は許可を得て撮り、載せてあります。


宝蔵院の紋は平家の丸に揚羽蝶。
でも詳しい資料がなく、その関係は分からないのだとか。

一枚一枚の版木にびっちりと大般若経が彫られています。



宝蔵院では寺ラーメンとしてヴィーガンラーメンが寺内で食べられます!
あっさりとして美味しい。
子どもも一杯、ぺろりと頂きました。
宝蔵院様、ありがとうございました。
京都旅行②へ続きます!
2024年03月24日
初午 無事に
3/10,玉泉寺の初午が無事に執り行われました。
コロナがあけ、通常に戻った行事。
沢山の方にご参拝いただきました。
その裏には、たくさんのお手伝いの皆さんに支えられていました。
檀家さんや檀家さんでない方や、
ご近所やご近所でない方や。
高齢のおばあちゃんや、若い人や。
お手伝いをお願いすると、快く引き受けてくださり
本当に感謝です。
雪が降った3月なので、雪かきに駆けつけてくださったり
高齢のおばあちゃんだけじゃお勝手仕事が心配だからと来てくださったり、
住職と一緒に本堂の準備をしてくださったり
たくさん申し込まれた木札を、忙しい住職に変わって書きに来てくださった
檀家さんの書家。
皆さん、見返りを求めず、損得を考えず、できることを気持ちよくしてくださる。
仏様かと私はいつも思うのです。
いや、これが本当の仏様。
なんと有り難いことです。
子どもたちも卒入学が重なり、カバンやランドセルが新しくなりました。
身代わり不動や交通安全札も新調して、守ってくださるようにカバンに取り付ける、春。
皆さんにとっても、佳い春でありますように。

コロナがあけ、通常に戻った行事。
沢山の方にご参拝いただきました。
その裏には、たくさんのお手伝いの皆さんに支えられていました。
檀家さんや檀家さんでない方や、
ご近所やご近所でない方や。
高齢のおばあちゃんや、若い人や。
お手伝いをお願いすると、快く引き受けてくださり
本当に感謝です。
雪が降った3月なので、雪かきに駆けつけてくださったり
高齢のおばあちゃんだけじゃお勝手仕事が心配だからと来てくださったり、
住職と一緒に本堂の準備をしてくださったり
たくさん申し込まれた木札を、忙しい住職に変わって書きに来てくださった
檀家さんの書家。
皆さん、見返りを求めず、損得を考えず、できることを気持ちよくしてくださる。
仏様かと私はいつも思うのです。
いや、これが本当の仏様。
なんと有り難いことです。
子どもたちも卒入学が重なり、カバンやランドセルが新しくなりました。
身代わり不動や交通安全札も新調して、守ってくださるようにカバンに取り付ける、春。
皆さんにとっても、佳い春でありますように。

2024年02月29日
玉泉寺しんぶん
玉泉寺広報媒体として…
「玉泉寺しんぶん」なるものを密やかに発行しています。
発行するという大げさなものではなく
手作りの本当に簡単なものです。
玉泉寺に来た時から書いて作っているのですが
初午や大般若会などの行事のお知らせと一緒に同封してお送りしているので、年に2回くらいのペースで発行し、この間の初午のお知らせと同封したもので、やっとこ第23号となりました。
十数年もやっているのにまだ23号かぁ…、と思ったのですが、こちらのブログやSNSをご覧にならない方には紙媒体も好評で、また、内容もブログと被ることもありつつ、より、お檀家さん向けに玉泉寺のことや玉泉寺を支えて下さる方の紹介なども取り入れて書いております。
本当にスローペース発行ではあるのですが、楽しみに待っているとの声をいただくこともあり、頑張る原動力となっています。
檀信徒さんのうちで今までの号を見逃した!読んでみたい、という方がいらっしゃいましたら、お知らせください☺️☺️

「玉泉寺しんぶん」なるものを密やかに発行しています。
発行するという大げさなものではなく
手作りの本当に簡単なものです。
玉泉寺に来た時から書いて作っているのですが
初午や大般若会などの行事のお知らせと一緒に同封してお送りしているので、年に2回くらいのペースで発行し、この間の初午のお知らせと同封したもので、やっとこ第23号となりました。
十数年もやっているのにまだ23号かぁ…、と思ったのですが、こちらのブログやSNSをご覧にならない方には紙媒体も好評で、また、内容もブログと被ることもありつつ、より、お檀家さん向けに玉泉寺のことや玉泉寺を支えて下さる方の紹介なども取り入れて書いております。
本当にスローペース発行ではあるのですが、楽しみに待っているとの声をいただくこともあり、頑張る原動力となっています。
檀信徒さんのうちで今までの号を見逃した!読んでみたい、という方がいらっしゃいましたら、お知らせください☺️☺️

2024年02月09日
2024 初午星まつり 受付中!
初午星祭りの準備が始まっています。
密教では古来より、ひとりひとり持って生まれた星と、年によって変わる九曜と呼ばれる九つの星があると言われています。
九曜は毎年変わり、それぞれ吉凶があるので新しい年を迎える節分や立春には星祭りを行い、良い星回りの年はより良く、悪い星回りの年は災いが少なくなるよう祈願するものです。
本来は初午の日に行う行事ですが、雪深い玉泉寺では雪が解ける頃、毎年3月の第2日曜日に開かれるお祭りです。
お投じそばなどの振る舞いもあります。
護摩の大祈祷会。
希望される方は、ご連絡ください。
密教では古来より、ひとりひとり持って生まれた星と、年によって変わる九曜と呼ばれる九つの星があると言われています。
九曜は毎年変わり、それぞれ吉凶があるので新しい年を迎える節分や立春には星祭りを行い、良い星回りの年はより良く、悪い星回りの年は災いが少なくなるよう祈願するものです。
本来は初午の日に行う行事ですが、雪深い玉泉寺では雪が解ける頃、毎年3月の第2日曜日に開かれるお祭りです。
お投じそばなどの振る舞いもあります。
護摩の大祈祷会。
希望される方は、ご連絡ください。
2024年02月04日
万福寺の節分会
三年ぶり、万福寺の節分会。
私が玉泉寺へ嫁した時から家族でお邪魔している、大好きなお寺と行事です。
こちらの節分会は年の初めに護摩を焚いて一年の安穏を祈願するとともに
護摩の火で浄められた福豆を、裃を着けた年男、年女が撒く、豆まきがあります。
今年は住職、副住職と一緒に長男も裃を着させてもらって、豆まきをしました。
この豆まきがまた、楽しくて「鬼は外、福は内」、と言いながら撒かれる豆を
「こっち、こっち」と言って集めます。
豆まきの後は直会となり、万福寺奥様の手作り投じ蕎麦やえごが振舞われます。
この蕎麦やえごが、またまた美味しい。
最近では、こうした昔ながらの行事が少なくなりつつあります。
顔を合わせて手作り料理を囲み、歓談するということも減りましたが
この万福寺の節分会のような行事を子供たちに体験させたいと思いますし
心の中に残ってくれたらと願うのです。
こうした体験や思い出がきっと、人生を豊かにしてくれるのではないかと思います。
今後も、細々とでも、こうした行事を繋いでいけたらと思っています。


私が玉泉寺へ嫁した時から家族でお邪魔している、大好きなお寺と行事です。
こちらの節分会は年の初めに護摩を焚いて一年の安穏を祈願するとともに
護摩の火で浄められた福豆を、裃を着けた年男、年女が撒く、豆まきがあります。
今年は住職、副住職と一緒に長男も裃を着させてもらって、豆まきをしました。
この豆まきがまた、楽しくて「鬼は外、福は内」、と言いながら撒かれる豆を
「こっち、こっち」と言って集めます。
豆まきの後は直会となり、万福寺奥様の手作り投じ蕎麦やえごが振舞われます。
この蕎麦やえごが、またまた美味しい。
最近では、こうした昔ながらの行事が少なくなりつつあります。
顔を合わせて手作り料理を囲み、歓談するということも減りましたが
この万福寺の節分会のような行事を子供たちに体験させたいと思いますし
心の中に残ってくれたらと願うのです。
こうした体験や思い出がきっと、人生を豊かにしてくれるのではないかと思います。
今後も、細々とでも、こうした行事を繋いでいけたらと思っています。

