2023年04月04日

本山 得度式へ

この度、長男が真言宗豊山派 東京本山護国寺にて合同得度式に臨みました。

浅井管長猊下より潅頂をいただき、
拓観たくかん、という僧名を与えられ
無事に僧侶となる、はじめの一歩である得度を受けることができました。

まだまだ幼いですが
玉泉寺を繋いでゆく一人としてお檀家の皆さんや地域の皆さんに
お知らせできればと思います。
この山の中のお寺に生まれ育ち、彼は何をどう感じているのでしょう。
(何も思ってないかも………ゲームのことしか頭にないな…汗)
これから成長してゆく先に今の環境がどう影響するのでしょう。

檀家さんや地域の皆さんに見守られ、ここまで大きくなることができました。
感謝であります。

今後とも、どうぞご指導ご鞭撻賜りますよう
よろしくお願い申し上げます。





 


Posted by 玉泉寺 at 15:06 | Comments(0) | お寺
 

2023年03月24日

初午護摩祈祷会 2023

初午護摩祈祷会は、3/12に無事に行われました。
ありがとうございました。

3年ぶりのお蕎麦お投じの振る舞い、大盛況でした。

3年ぶりということで、お台所裏方スタッフのおばちゃんたちも年をとり
以前のようにできるか心配もありましたが
山に暮らすおばちゃんたちの年齢を感じさせないパワーと
若手お手伝いの皆さんの息のあった連携プレーによる進行で
お蕎麦やおでんの振る舞いも滞りなくできました。
本当に感謝です。
おばちゃんたちやお手伝いの皆さんと共にワイワイとできるのが
私にとって一番の護摩の楽しみでもあります。

護摩祈祷会自体も、まだまだ以前のようにとはいきませんが、
参拝される方も多くおみえになり、
その護摩の力によって、より良い一年となりますよう、お祈りいたしました。

暖かくなり、いよいよ山にも春がやってまいりました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。




 


Posted by 玉泉寺 at 12:15 | Comments(0) | お寺
 

2023年02月05日

節分豆まき…そして護摩の準備

2月3日は、節分。豆まきでしたね。

全国各地のお寺では行事で節分会をされるところもありますが
玉泉寺ではとくに節分の法要はないので
夕食後に子どもたちと豆まきをしました。


それぞれ、鬼は〜外!福は〜内!と
言いながら、いや、叫びながら豆をまきます。

この場所の都合が良いのは、
どんなに大声を出して豆をまいても近所迷惑にならないこと。

これだけ大声で叫べば、鬼も来ないでしょうface02face02face03

部屋やトイレ、台所、それぞれの仏さま、
本堂の扉を開け広げ、闇に向かって
鬼は〜そと!と叫び、ご本尊さんに手を合わせました。

今年も良い年となりますように。

そして、
2月に入るといよいよ、護摩供星まつりの準備です。

子どもたちにも出来る仕事を与え、お手伝いをしてもらいました。

今年の玉泉寺星まつりは3月12日、日曜日です。
今年は、外の境内においてお投じそばの振る舞いも行う予定です。

詳細は、また改めてお知らせいたしますが
今年始めて星まつりの申し込みを希望される方は
玉泉寺までご連絡ください。

どうぞよろしくお願いいたします。






 


Posted by 玉泉寺 at 17:36 | Comments(0) | お寺 | 子育て
 

2023年02月02日

離壇料ってなによ。

最近、お寺に対して思う事。

いち、一般人の呟きとしてお聞きください。


最近、他のお寺さんでお葬式をするにあたって、
そのお寺さんに、大体のお布施の金額を尋ねたところ
法外の値段を言われて、びっくりして、どうしようと玉泉寺に相談に来られる方が
何人かいらっしゃいました。


その金額はないよね!と思いつつ、
お葬式をされるお寺さんに、正直に高くてそれでは払えません、と伝えたらどうか、とお伝えし、
それでも先方の姿勢が変わらなければ、またご相談ください、、、というようなお話をしました。

そうしたところ、先のお寺さんでは、あっさりと金額を下げ、ほっとした、ということでした。

話を聞いていると、こうしたお寺さんでは、「これでは払えない」、というとすぐに値を下げる、ということです。


金額が高すぎるのも、どうかと思いますが、一度お伝えした金額をあっさりと変える、というのも変な感じ。
では、なぜ最初にそんなに高いお布施を提示したのか?と不信に思ってしまいます。

言い方が悪いですが、とれるところからとってやろう的な精神だったのか?

こちらに相談に来られた方のように、お布施の金額について
相談できるところがある方はいいですが、そうでない人は、そんなもんなのか?、と
思っている人も多いのでしょうか。
お布施の金額って、闇のベールに包まれていて、
何となく聞けないし、こちらもはっきりと伝えられないもの・・
だって、定額ではないのですから。

葬儀にかかわる諸々の儀式、死と対峙する姿勢、ご遺族の気持ちのケア
(私ごとき、若輩者でそんな偉そうに言えませんが)などを考えると、お布施は決して安くはありませんが
とても簡単に出来、考えられる仕事ではありません。
とても繊細で、でも大胆さも必要で、
どんな方ともお話をし、お話を聞き、当然ですが専門的な知識、などなど要求されるお仕事であると思います。

ですから、決してお布施は安くないんですが、高くあっても良くない。
だって、死は誰にでも、どこの家庭も迎えるものですから。
だから、定額でもないと思うのです。私の考えですが。商品ではないですし。

変な話、お金持ちで、生前、とてもお寺や住職にお世話になったと思う方は
お布施以上にご寄付をされたら良いと思うし
払えない方は、住職に相談されたら良いと思います。
無いところから、無理やり取ろうという住職がいるならば、それはエセだと思います。

ただ、なぜ、無いのか?これはまた、話は少し逸れますが
周りが迷惑するほどの好き放題をして、食うにも困る、という状態は、また別だと思います。


そして、最近は菩提寺を持たなかったり、あったとしてもお寺との付き合いが少ないご家庭では
時として、このようにお布施問題、その他もろもろの不一致があるかと思います。

昔のように、お寺との付き合いが濃い時代ではないので、仕方ありませんが
日頃、双方のコミュニケーションが取れていれば
別段、困ることはないと思うのです。

また、最近では檀家をやめるなら離壇料を払ってください、と言われた、という話も聞きます。
それも法外な金額です。

そもそも檀家制は、法律的なことは一切ないので法外な離壇料を払う必要もありませんし
その言葉自体、無かったものなので驚きます。
ただ、代々お世話になったお寺さんならば、きちんと訳を説明し、ご挨拶をするという
当たり前のことはするべきと思います。

上記に挙げたお寺さんは一部で、ほとんどのお寺さんが
檀家さんや相談に来られた方に親身に寄り添い、頑張っているのだと思いますが
お寺にもいろいろあるんだなー、と私は思うのです。

つくづく、お釈迦さんの話した言葉、空海さんの話した言葉、
そもそものお釈迦さんの伝えたかった教えを
お寺自体が学ぶべき、と思います。











 


Posted by 玉泉寺 at 13:45 | Comments(0) | お寺
 

2023年01月18日

にっこりひろばさんへ

皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

無事にお正月も終え、副住職も毎年恒例の朝日村古川寺、厄除け観音まつりのお手伝いも終わり、一息ついている今日この頃です。

今年は雪が無く、雪かきをせずに済んでいるので、それだけでも気が少しラクです。
が、このまま暖かい不思議な冬で過ぎてゆくのでしょうか?それもまた、幾分心配もするところです。


今日は、長野市内にある「にっこりひろば」、というNPO法人へ白菜やりんごなど、お寺に頂いたけれどたくさんあるものをおすそ分けに行ってきました。
にっこりひろばは、放課後の子どもたちの居場所づくり、子供食堂などを運営している法人です。

野菜などのお届けに伺うのは2回目ですが、今日行ったのはちょうど放課後の時間。子どもたちが思い思いに過ごしている空間でした。
理事長のOさんと楽しくおしゃべりしている女の子たちが印象的。

また、以前新聞などにも出ていましたが、にっこりひろばでは、頂いた野菜が消費しきれないときに、障害のある方、認知症の方にもお手伝いしてもらって、乾燥野菜にして販売をしています。

とても良い取り組み!
早速今日、ピーマンやきゅうりなど、珍しい乾燥野菜を購入してきました。

にっこりひろばでは、地域の人や企業と上手に連携して、地域で子供や暮らしを支え合っている様子がとても感じられました。それが今後、より循環していくと良いと思います。

そうした輪が、いろいろな地区で広がり、皆で助け合い、支え合う生活ができたら素晴らしいなと思いました。

にっこりひろばさん、ありがとうございました。
また寄らせていただければと思います。

 


Posted by 玉泉寺 at 16:50 | Comments(0) | お寺 | 子育て
 

2022年12月29日

そこに覚悟はあるんか

今、いろんな仕事が変化しています。

お寺の世界も同じで急速に変化しています。
コロナになってから、その速度が早くなり
お斎をやらない、法事、回忌をやらない、
少人数で済ます、
すべてが簡素化、簡略化しています。

そうすると、檀家さんの少ない限界集落のお寺は
立ち行かなくなってしまいます。

その時に、暮らしを維持するために
守りに入ると。

お布施を高くしてみたり、
お経しか読まなくなってみたり。

しかし、そもそもお寺というのは
公共福祉をするところ、すべき場所なのだと思うのです。

孤児を預かる、保育園をやっているお寺があるのもそこからです。

お寺の中にとどまらず、地域の必要としている活動に積極的に関わることもお寺の役割です。
しかも、ここのように、地域に若い人がいない場所では、「お寺さん」が、声をあげたりすることで地域のインフラが保たれたりするので、そうした役目もあると思います。


私が狩猟免許を取ったのも、
鹿やイノシシの作物被害が多く、近所の人たちが困っていたからです。
私的な理由ではなく、公的な理由です。

狩猟は、誰しもができる、やろうと思うとは思いませんが、例えばこの辺りだと
郵便配達員、除雪作業員などが人手不足で困っています。
そうした資格をとって、地域に貢献することもお坊さんがやってもいいのではともいます。

そうした意味で、ただ、お経を読んでいるだけではなく、地域の人とともに汗を流して働くことが本来のお坊さんの仕事だと思います。

覚悟、とは
本来のお坊さんの仕事をやる覚悟があるのか、ということです。

暮らしを守るための私的なことではなく
公益的な活動をやりきれるのか。

また、お金はなくとも、地域の公益活動をしていると食べ物やモノをいただけたりして、周りの人たちとも支え合いながら、なんとなく暮らしていけるわけです。
お金が必要なら、そうした必要としているところで力を貸せばよいのだと思います。

お寺に居て、きれいな着物を着、お経を読むだけではダメで、本来のお坊さんとしての覚悟を問いたいとお坊さんを間近に見る一般人、俗人の私は思ってしまうのです。

地域差というのもありますから、お坊さん然としていてくれれば良い、というような都会や
お経が下手でも注がれた酒さえ飲んでくれれば良い、という地域もあるとも聞きますが。

どちらにしても、覚悟。
自分のため、金のためではなく人のためにやれるのか、という覚悟。地域の公益を考えているか、ということ。

偉そうに言っていますが、一般人の一意見としてお許しください。 


Posted by 玉泉寺 at 23:56 | Comments(0) | お寺
 

2022年12月26日

今年の振り返り

今年も残すところわずかとなりました。

いつにも増して、年末の感覚がなくこの一週間で年末年始の準備を
バタバタとして過ぎていくのだろうという日常です。


さて、今年は私にとっては新しい事を始めた一年でした。
寺内に喫茶を開きました。
また、週に数日ですが仕事も始めました。
お寺のことも合わせると、3足のわらじといった様でもあります。
でも、私には1つのことをずっとやるよりも
このスタイルの方が合っているのだと思います。

子供たちも少しずつ大きくなり
自分のこともでき始めるようになりました。

男女平等と言うし、個人差はあれど
男性と違って、女性は自身のライフステージが
他者によって影響を受け、変化が大きいものです。
選択する場面も多いと思います。

その時々で、我慢や自己犠牲を強いられることも
あるように思います。
なのでその分、焦ったり、不安になったりすることでしょう。
かと言って、その我慢をしないと、逆にまた
心配になるという。

でも、これまた個人差ありますが
必要以上に焦ることなく、不安にならず
今できること、やることを一生懸命取り組む事が
心身ともに健やかに過ごせる秘訣だと思います。
そしてそれは、新しいステージに進んだときには
決して無駄なこと、時間ではない、と思うのです。
その渦中にいるときには分からないけれど、  
でも大丈夫。
そう声をかけて、話を聞いてくれる人がいるといいかもしれません。

女性に限らず、急激に変化する社会では
自分の価値観を大切に正しく見る、ということがより大切になると思います。

何を得て、何を手放すのか?
自分の容量に見合っているか。
足るを知る事も大切ですね。

私も40を超えて、ようやくこんな事を
考えられるようになりました。

今年一年、ありがとうございました。
来年も、どうぞよろしくお願い致します。


 


Posted by 玉泉寺 at 11:36 | Comments(0) | お寺 | 子育て
 

2022年10月26日

日本みつばちの鐘つき堂が!

玉泉寺の鐘つきには、
日本みつばちが巣を作ってブンブン飛び交っていました。
毎年私達は美味しいハチミツを享受していたのですが…

獣か何かに蜜蜂の巣が襲われ、鐘つき堂も破壊され
蜜蜂たちは逃げて何処かへ行ってしまいました。

たぬきかハクビシン、テン、もしくはクマの仕業???face08face08

日本みつばちは、昨今希少であり
関心のある人がお寺に来られると
必ず皆さん、「日本みつばちの巣があるね!」と言って
よくよくご覧になっていったのですが
巣を失ったみつばちも戻ってくることができず。

みつばちがいないと、受粉ができないため
農家さんも困るのだそうです。
私達の生活、暮らしも全て
自然の中に含まれて成り立っているのですね。

壊れた鐘つき堂、仁王さんをお大工の田中さんが
直しに来てくれました。感謝ですicon16

みつばちが活発になる春先などは
「静かに鐘つき堂に行ってね!」、と気を使うこともなくなったけれど
美味しいハチミツを頂けなくなったことを残念に思うと共に
貴重な日本みつばちが、またどこかで
営巣していてくれればいいなと願うのです。










 


Posted by 玉泉寺 at 10:51 | Comments(0) | お寺
 

2022年10月12日

悲しみを知る

突然ですが

何事も上手にでき、要領よくできる人が
上手くいかない他人の気持ちを分かってあげることができるでしょうか。

不器用で、要領よくいかない人の方が
相手を思いやる心、相手をくむ心を持てるのではないでしょうか。

もちろん、
何事も上手に立ちまわれる人に、そうした心が無い、と言っているのではなく

挫折を知っている人、
苦しみを知っている人、
悲しみを知っている人、がより
相手の気持ちを分かってあげられると思うのです。


最近はスピード化、効率化、合理化、
要領よく進まないと取り残されてしまう感覚があります。

そこを大切にするあまり
「型通り」であることが重要視されます。

昔のように
余裕やゆとり、遊びがあった場合には、多少型からはみ出ていても
皆に余裕があったから良いのだけど

今のように社会や人の心に余裕が無いときに
型からはみ出てるのって、やはり居場所がないように思います。

多様化、といっても、それすらも「型」にはめて考える。
多様化だからこそ「型」を必要とする。

「型」をつくり、「そうであること」、を目的とした社会。

すごく異様だなと思います。

そこでお釈迦様は何千年も前に
慈悲の心を持ちなさい、と言われていました。

慈悲とは
ともに悲しむ、寄り添う気持ち、相手を思う心。


型を求められる時代だからこそ
それぞれが
慈悲の心を持ち、相手を思う心が必要だと思います。



 


Posted by 玉泉寺 at 13:52 | Comments(0) | お寺 | 子育て
 

2022年09月14日

賢人、愚を知る

「賢い人は自分が愚人であることを知っている」

これはお釈迦様の言葉。

自分は大した人間ではないと、自分を観じている人のことを、本当の賢人というのだと。

言うは易し、ですが、なかなか自分をそう客観的に観ることは難しいし、ある程度の立場になってくれば、より、そう思うことは難しい。

大物タレント、と言われているタモリも、そう言っているのをテレビか何かで見たことがあります。

自分はまだまだ。大したことない。
そう思っていることで自然と腰も低くなり、
そうした謙虚な姿勢が周りの状況を好転させていく一因にもなるのかもしれません。



 


Posted by 玉泉寺 at 16:42 | Comments(0) | お寺