2021年09月13日

歌集 わが戦場の日々

お寺の本棚を整理していたら

ご近所のおじいさん(故人)が
生前に出された歌集がありました。


「わが戦場の日々」。

手にとって開いてみると。
戦争を描く漫画や本、映画などは色々ありますが、
心に刺さるもの、その情景が浮かぶもの、
そこに生きた人たちの心情が生々と感じられるものって
短歌以外にはないと、思いました。

それほどに、この歌集を読んだ衝撃は大きく、
戦争の情景や心情が分かる、なんて軽く言えるものではないけど
わずか31文字に、その一つひとつの景色、心が
目に見え、手にとって生温かさを感じられるように思うのです。

玉泉寺がある集落を栃久保とちくぼ、と言いますが
そこに生まれ、農業をなし、召集令が届き、出兵する。
無事に帰り、結婚し、子ができ、さらに子を病で亡くし、
また出兵命令が出、故郷を後に、振り返りふりかえり、
村人に見送られながら、戦争へ向かう。

一首一首、まさに震えながら読む、といった感じです。
子どもが死んでしまうところは、涙涙涙です。

この歌をつくった方は、戦地でもメモと鉛筆を持って、
歌を書き留めたのだとあとがきにあります。

本物の戦争は映画とか、映像になんて絶対できない、
そんな視覚に耐えうるものではないと思います。

兵隊さんだって、俳優のようにカッコよくないだろうし
そのへんの農家のおっちゃんだったと思う!

この短歌から感じるものは、匂いや温度や色や、音や。
31文字という言葉から自分なり感じるものに、震えます。

ぜひ、皆さんに読んでいただきたいです。
整理したお寺の本棚に並べてありますので、
ご覧になりたい方、声をかけてください。

歌集の中から、数首、ご紹介します。


近々と兵のうめきを聞きしかば湿地の泥に腹ばひて寄る

朝を待ちて敵の姿を捉へたり曠野をゆするわが銃の音

出撃の近づきたればひとつかの妻の黒髪腹に巻きたり

唇に泡を噴きつつ苦しみもはやなくなりぬ吾子の唇

息絶えしわが子を呼べどかへりくる一言もなし瞳うごかず














 


Posted by 玉泉寺 at 10:19 | Comments(0) | お寺
 

2021年09月05日

すべてのものに仏性がある…その2

半月も前の話になりますが…
無事にお施餓鬼も終わり今年もお盆が過ぎました。

もう9月!急に涼しく、秋の気配です。

お施餓鬼会は、新盆のお宅と、役員さん、来られる方々のみにお越しいただき
今年も小川村「おやきの庄」さんのおやきをお配りしました。

コロナ禍ではありましたが、対策を取りながら行い
お盆の法要ができた事は良かったと思います。 

さて、すべてのものには仏性がある、の話。 

副住職に「こういう意味だと思うのだけど、実際はどうなの?」、と
尋ねたところ「アジャセ王子」の話を読むといいよ、
と言われました。

我が家のトイレに積んであります…。「ブッダ」。
手塚治虫が描いた漫画、「ブッダ」の中の、アジャセ王子です。

細かい話は興味ある方は読んでいただくとして
大まかに言うと、ブッダを嫌い、善良な父王や母を殺したアジャセ王子が
心ではその事を気に病み、
頭に腫瘍ができて苦しむのですが、
ブッダが一日も休まず3年間、
文字通り手当てを施す事によって
医者も見放したアジャセ王子が少しずつ治っていく、
という話です。

そして、腫瘍が小さくなってきた時に、
あんなにブッダを憎んでいたアジャセ王子が
苦しみの中でもブッダに向かって微笑みを見せるのです。

その時ブッダは、
「あの微笑みはまるで神のようだった」と衝撃を受け
「人間の心の中にこそ、神が宿っている」という大きな悟りを
得るのです。

そして、その例え話。

ある老人が飢えで倒れていた。
それを見たクマやキツネは、魚などを採って老人に食べさせた。
うさぎは、何も採れなかった。
うさぎは自ら火の中に飛び込み、肉となって、自分を食べてもらうことで
老人の飢えを癒そうとした。


誰しもが、このような事ができる訳ではありません。
ただ、それぞれがそれぞれのできる方法でやれば良い。

お金がある人は、苦しんでいる人に与え、
力のある人は支えてあげる。
何もない人は、相手の気持をくみとって寄り添ってあげる。

それだけでも、例え話のウサギのように、
相手のために苦しんだことになり、
この心が慈悲という。

この慈悲の心は誰にでも宿っていて、
自分が誰かを慈しんだとき、
同じように他の誰かも、自分を慈しんでいる。
自分が誰かを助けたとき、
他の人も、きっと自分を助けてくれる。

それは生きいているものも、草も木も、皆
繋がっているからなのだ、と
ブッダはアジャセ王子に話します。


うまく言葉では言い表せないですが
アジャセ王子の微笑み、
火に飛び込んだウサギ、

それぞれが慈悲の心を宿し、
それが「すべてのものには仏性がある」、
という事かなと思うに至りました。

うさぎの例え話は、行き過ぎ感もありますが
その例えを用いることによって
皆が慈悲心を持っているのだ、と言いたかったのではないかな…と思うのです。
そして、全ては繋がっている、とも。

ふむふむ。
皆さんは、どのように捉えますか?






 


Posted by 玉泉寺 at 22:16 | Comments(0) | お寺
 

2021年08月15日

悲しみを知る人たちは

雨が降り続いています。


玉泉寺でも裏山には十分に気を付けていますが
引き続き、土砂災害や河川の反乱には注意が必要です。
国道19号も通行止めになってしまい、心配です。



この雨の中、そしてコロナが増えている最中ですが、
住職、副住職ともに、了承を得て
お檀家さん周りをしています。

私が「この雨やコロナの中、お参りに来てほしいって言っていただけるって有り難いし、嬉しいね。」、と言うと
副住職が、「それ以上に悲しみを知っているんだよ」、と話してくれました。

私は基本、お寺で留守番ですが
各地域のお檀家さん周りをしている住職や副住職は、
きっと、そこで色々な話をしているし
聞いていることでしょう。

新盆のお宅もあるし、毎年お参りに出かけるお宅もあります。

でもやはり、お盆には来てほしい、来てくれて有り難う、と言って下さるのは
大切な人を失くした人であるからこそ
そう強く思うのではないかと、思いました。

そしてお坊さんも、それに応えられるように。
必要とされるものでありたいものです。

自分が悲しい思いをした分、
誰かの悲しみも分かる。

そんな事を思ったのでした。



 


Posted by 玉泉寺 at 09:07 | Comments(0) | お寺
 

2021年08月14日

全てのものに仏性がある。

さて、毎年お盆は県外からお参りに来られる方がいたりと
それなりに忙しないのですが
今年もコロナによって、県外の方はお見えになりません。
そして降り続く雨もあって、ひっそりとしています。

16日の施餓鬼会のために、掃除と準備をします。

夏休みでぐうたら過ごす子どもたちにも仕事を与え、
掃除機に雑巾がけに、やらせます。

本堂に椅子を運んだり、ふいたり。
そのうちに末っ子の方から、脱落していきます。
長男は、四年生なので、一応言われたことはせっせと
働いてくれます。

なんとなく一区切りつくと、子どもたちは本堂を走り回ったり
太鼓を叩いたり、かくれんぼして、遊び始めます。
私はお寺育ちではないので、
子どもがこんなに太鼓を叩きまくっていいのかな?
バチあたりではないのか??
まぁ、他にお客さんもいないし、壊さなければいっか。
と、自分なりの解釈をして遊ばせております。
こら!そんなところで遊んじゃいかん!、と怒られてしまうかしら。
でも、子どもが遊んでたら仏さんだって嬉しいよね、とこれまた勝手に解釈するのです。

長男に、「こんなに遊んで、仏さん、怒ってるかな?」、と聞くと
ご本尊さんの顔をじっと眺めて、
「何か言ってると思う。でも、それが何か分からない。」と彼は言っていました。

私が明かりを点けて、よーくお顔を拝見しますと(こんなにきちんと見たの、初めてかも)
ムッとしたようなおじさんのお顔でしたので、長男にそう言うと
「おじさんはよくないと思うよ」、と言われてしまいました。

さてさて。
仏教では、全てのものに仏性がある、といいます。
あなたも私も、自然界の動物や草木までもが、仏となりうるのだ、ということです。

その言葉だけ聞けば、「ふむふむ、そうか」、と思うのですが
先日山道を運転していて、ふとこの言葉が腑に落ちました。

相手がいいことをしていたら素晴らしいな、私もああ成れるよう頑張ろう、とか
悪いことをしていたら、ああいうことはすべきではない、気を付けよう、とか
相手から何かを学べます。
ですから、そういう意味では
悪い人も相手に気付きを与えるということで仏性がある。

自然のものもそうで、自然の恵み、というだけでなく
雨が降り、草が伸び、
地域のみんなで草刈りをする。
雪も同じで、雪が降って嫌だな、嬉しいな、雪掻きをしよう、とか
いろんな事を思ったり、考えさせられたり。

それによって、自分が考えたり、学んだり思ったりすることができる、
ということが仏性がある、というのではないかと
草木が生い茂る山道を運転しながら、なんとなく思ったのです。

…でも、あくまでもこれは、私個人の見解なので
本当のところをお坊さんに聞いてみようと思いますface03face03






 


Posted by 玉泉寺 at 15:43 | Comments(0) | お寺
 

2021年08月13日

お施餓鬼について

今年も玉泉寺にて
8/16、お施餓鬼法要を執り行います。

コロナのため縮小となりますが、新盆の方には
お越しいただいております。

施餓鬼とは、読んで字のごとく、餓鬼に施す。
目に見えない自然界の精霊やそれぞれに、施しをすること。
お盆は決して、自分のご先祖さんだけを祀る日ではないのです。
あらゆる精霊たちに施しをする日。

そうすることによって、巡りめぐって、私たちに功徳が及ぼされる、
というものです。
ですから、施餓鬼は、お盆だけのものじゃないのです。
いつ行ってもいい。いつ施してもいい。そういったものです。

お盆の設えを改めて書きますと、
みずのこ、と言ってなすときゅうりを賽の目切りにしたものと、
お米を精霊棚に供えます。
これは、餓鬼は喉が細いので大きいものは食べられないと言うことで
小さく切ったもの。
そして、笹を飾ります。
餓鬼は、人目を避けるので笹で影をつくってあげる、ということです。

そして、きゅうりの馬となすの牛。
天ぷらや北信で言えばおやき。
故人の好きだったものなどをお供えします。

餓鬼に施す。
一見、自分には関係のないもののように思えるものでも、
巡りめぐって、周りまわって、繋がっている。

自分には関係がなくても、
自分の子や孫や子孫に関わっていくかもしれない。

そうした、今、自分に全く関わりのないものに
支えられて生きているんだなぁ、と感じることも
お盆の良さですね。

ぜひ皆さんも、このお盆の期間には
そうしたことにも、思いを馳せてみてください。
 


Posted by 玉泉寺 at 20:59 | Comments(0) | お寺
 

2021年07月25日

お盆の季節ですね

今日は、新盆のお檀家さんの法要をお寺で行いました。

途中、お施主さんから
「ここに来ると、落ち着きますね」
「機械的な音がしないで、虫や風の音、自然の音ばかりだからですかね」、と。
確かに、ここにいると気づかなくなるのですが、
「お寺」である以前に、自然に囲まれていることも、心が落ち着く一因であるのかも。
ここには自然しかありません。
でも、それが今は貴重なのですね。

朝5時になると鳥の鳴き声が賑やかで、それに起こされる時もあるのですが、
それより前の時間。朝4時。ほんのり明るくなる時刻。
虫の鳴き声が、賑やかなのです。
夕暮れのそれとはまた違った、朝の虫の声。
それも、なんとも心地の良い、声なのです。

さあ、夏休み。
子どもも、虫も、鳥も、元気です。






 


Posted by 玉泉寺 at 18:57 | Comments(0) | お寺
 

2021年07月21日

おやつ、発送いたしました。

先日フードドライブで集められた、野菜やお菓子など。

細かい説明をしますと、
フードドライブとは、家庭で余った食品などを寄付すること。
フードバンクとは、企業で余った食品などを寄付すること、を指します。

本堂の仏さまにお供えした後、
子ども食堂などを開いている団体へ発送完了しましたことを
ご報告いたします。

野菜があったので、新鮮なうちに早めに発送。
ダンボール3箱分になりましたface01

「おてらおやつクラブ」は、
奈良県のお寺さんが事務局になって
活動をしている、認定NPO法人です。

https://otera-oyatsu.club/

全国の登録寺院と各支援団体をマッチングしてくれます。
お寺のお供え物やいただいた品々をおすそ分けとして、お送りする。

最近は発送内容の見える化、
クロネコヤマトさんとの提携による荷物の集荷など、
発送システムの大幅改善により
今回、とても簡単にスムーズにできました。

受取先の団体さんでも、
今回お届けした野菜やお菓子、
缶詰などを美味しく頂いてくださればと思います。

玉泉寺でも継続して、お届けしたいと思います。
無駄になって捨ててしまう前に。
もしご家庭で消費しきれないものがあれば、お持ち寄りくださいface01

今回、ご協力いただいた皆さま、
ありがとうございました。













 


Posted by 玉泉寺 at 13:00 | Comments(0) | お寺 | ソラテラ
 

2021年05月17日

大般若経典、実は…

毎年5月5日に行う、玉泉寺の大般若経典転読会ですが
今年度はコロナのため中止でした。

それでも、一年に一度は大般若経典を虫干し…、というか
風に当ててあげて、破れていないかのチェックをします。

今年は、少し遅れて、今頃になって点検作業をしています。

六百巻ある経典を確認しながら、
巻末に延宝五年、黄檗宗宝蔵院 沙門鐵眼、と
記されているのが気になったので
延宝とはいつ?、と思い調べてみました。

なんと、延宝年間は1680年代頃、五代将軍徳川綱吉の時代でした。

さらに、黄檗宗宝蔵院を調べてみると、京都宇治市にある
印刷技術のパイオニアとも言われている鐵眼(てつげん)禅師のお寺なのだそうです。

鐵眼禅師は宝蔵院の初代住職で、 
大般若経典を木版で刷る技術を極め、広めた偉人として伝えられています。

その鐵眼禅師が延宝年間に刷ったか、広めた経典が、この玉泉寺にも残されているのです。

この経典は、他の寺院などでは重要文化財として指定されているのだそうです。

知れば知るほど、すごい経典が手元にあるのだなと感じます。

さらに、確認作業をしている中で気づいたことは 
紙が丈夫!
全く破れていない!

もしかしたら、これまでの中で修繕されたことがあるかもしれませんが
それにしても、昔の手すきの和紙は
丈夫である事が分かります。

破れているといっても、穴が開いているとかではなく
ページとページの繋ぎ目の部分を補強する程度。
340年ほど前の紙が破れずに残っているって、すごいです。
究極のSDGsです。
職人が手作りで作るものの素晴らしさを感じます。

そして、ページの繋ぎ目を補強するのりは、
昔ながらのデンプンのりでなくてはいけないそうです。

スティックのりとか、化学的なものは使ってはいけないのだと、
ずっと経典の確認作業をしてくれていたおじいさん(もう亡くなってしまいましたが)が教えてくれました。

340年前の紙は、多少カビ臭くはあるけれど
まだまだ現役。

来年は、大般若転読会が開かれ、
ぜひ皆さんに大般若経典を見ていただけたらと思います。










 


Posted by 玉泉寺 at 20:55 | Comments(0) | お寺
 

2021年05月11日

峰街道 アゲハ蝶の家紋が!

昨日、峰街道の支障木の伐採のお手伝いに行ってきました。
大安寺〜大町美麻まで続く峰街道。
作業の途中に、まだ行ったことのなかった、
大町湯の海まで連れて行ってもらいました。

途中のアルプスの絶景であったこと!
素晴らしいビューポイントでした。

お昼は、その場でタラの芽を天ぷらにしてもらって
たらふく頂いてきました。

峰街道中程にあるとある集落。
玉泉寺の古い過去帳にも、その地名は見られますが、
その集落にも立ち寄ってきました。

今は廃村となった集落には、
古く、傾いた家屋が点在。
その中の土蔵の家紋が、なんと、アゲハ蝶。

吉川英治の新・平家物語愛読者としては
かなりシビレました。

住職に確認したところ、
集落に暮らしていた一族は
由緒ある家系であったようで、玉泉寺の檀家さんでもありましたが
今はその所在が分からなくなっているとのこと。
残念です。


先代、先々代の住職も、
この街道を通って、何日もかけて、こうした集落の檀家さんのお参りに歩いていたんだ、と思うと
街道の歴史、集落の歴史、お寺の歴史に深く感じ入るところがあります。
そしてまた、私達もこの道を歩いていること。

お寺やその土地、地域は、昔から何も変わっていなくて、
変わっているのは、私達の方。私達の見方。
今まで、なんの気無しに暮らしていたけど
こうした視点からお寺や街道を見ると、
また興味深く、そしてますます愛着を持って
この地域に暮らすことができそうです。

とても良い気付きを得ることができた1日でした。












 


Posted by 玉泉寺 at 17:52 | Comments(0) | お寺
 

2021年05月02日

令和3年度 大般若転読会 中止のお知らせ

今年度の玉泉寺 大般若転読会は
コロナの影響で昨年に引き続き中止に致します。

毎年5月5日のこどもの日に行っていた行事でしたが
昨年同様、中止とせざるを得ませんでした。
一番残念に思っているのは、私かもしれません。

風薫る、気持ちの良い5月。
定番のおとうじや、よもぎの香りがたまらない
手作りの草餅。

新緑の山のお寺に来ていただくのを
毎年楽しみにしているのです。

大般若経典の風通し?破れていないかの、
一年に一度のチェックは、今年もまた、子どもたちとやろうと思います。

皆様も感染対策しながら!
良いゴールデンウィークをお過ごしください♪

 


Posted by 玉泉寺 at 10:56 | Comments(0) | お寺