2015年10月02日

悲しいこと、苦しいことの意味

悲しいことや苦しいことは無いなら無い方がいいです。

でも、悲しいことや苦しいことを経験することによって
相手の気持ちに寄り添うことができるし
人生が深くなるように思います。

人生が深くなるというのは
表の部分しか見えなかったのが
その裏の部分も見えるようになるということ。

嬉しいことや楽しいことだけの人生では
仮に、そばに辛く悲しい思いをしている人が傍にいても
その人の気持ちは分からないと思います。
理解できないでしょう。

100%、その人の気持ちが分かる、というのは無理だけど
その気持ちに寄り添う、悲しみを分ける、
思いを共有する、ということはできる。

そして、そういう悲しく辛い思いをした人は
強くたくましくなります。
また、そういう悲しい思いをしている人に会ったときは、
優しくできます。理解できるからです。
そういう意味で、人生が深くなるし、豊かになる、ということです。

だから、悲しいこと辛いことは無い方がいいのですが
ある意味では、あった方がいいと思うのです。

かわいい子には旅をさせよ。
本当にそうだなぁと思います。

自分では想像のつかない思いや経験をされていたり
悲しく辛い思いをしている人がたくさんいます。

もちろん、自業自得の場合もある。
それは他の誰かにもそういう思いをさせてしまった代償であって
因果応報ですね。

そうではなく、自分ではどうにもならないことで
悲しい思いをする場合。
今は辛いかもしれないけど、
その思いは、いつか自分を強く優しくたくましくして、
ほかの誰か、同じ悲しい思いをした人を支えてあげられる力に
変わっていくのだと思います。
そのために、必要な経験だったのです。

また、そんな思いを持った場合には・・・。
諦めないこと。
諦めること。
何かを得れば、何かを失う。

悲しく、辛い経験の内容にもそれぞれ寄りますが
諦めない、とは、何度も何度もチャレンジすること。
それこそ、先日のスラックラインではありませんが
人生諦めずにもがくこと。
粘り強く頑張ることで、気づくことや見える景色が違ってきます。

諦める、とは、簡単にいうと「客観視する」ということ。
「やーめた!」という「諦める」ではなく、
仏教でいう、「全ては空」ということです。

その、悲しく辛いことは、自分が執着しているがゆえに映し出してしまうものだという考えです。
執着を捨てる、という意味です。

この「諦める」、という考えは
捉え方がとても難しいですが
このコントロールができるようになると
とても気分が楽になります。
私はうまく説明ができませんが、ぜひ、みなさんに知っていただきたいことです。

そして、何かを得れば、何かを失う。
これも最近、よく思う事柄です。
全てを得ようとするから苦しむ事になる。
何かを得れば、何かを失う。
大なり小なり、すべて、これに当てはまる、自然の摂理です。
それを心得れば、執着が小さくなります。

人それぞれ、悲しいことや辛いことの内容が違うでしょうから
何とも言えませんが、この3つを心に留めておけば、省みれると思います。

そして、その辛い思いもいつかは自分や他人の力になるということを
忘れないでほしいと思います。














 


Posted by 玉泉寺 at 11:04 | Comments(0) | お寺 | 暮らし