2019年09月01日
ごちゃまぜ玉泉寺
お寺には、いろんな人が来られます。
お寺の話をすると
「お寺って、普段、そんなに人来るの?」
「誰でも行っていいの?」
「何しに、みんな来てるの?」などなど、聞かれます。
お寺によっても違うのでしょうし、
私は玉泉寺しか知らないのですが
玉泉寺の場合は、お客さんが来られない日もありますが
平均して毎日のように来られます。
住職が元教員であり、様々な相談をされる方が多くいらっしゃいます。
そして檀家さんもふらりと話にきてくれたりします。
山の上でお寺の看板をみつけ、やってきてくれる方もいます。
あとは、檀家さんでもないけれど、顔を出してくれる人たちもいます。
大体は、いつ来たいか、来るのかの連絡を受けてお待ちしますが
そうでなく、突然来られる時もあります。
そうした場合は、掃除をしていたり、何かバタバタしているときは
ゆっくり話ができないこともありますが
話をしたい、聞きたいという気持ちはこちらにはあります。
相談の人は、相談ですが
あとは、何でも、自分や身の回りのことの話をされる人も
野菜や花を持ってきてくれる人も
掃除をしてくれる人もいます。
ですから、玉泉寺には
普段も人が来ますし、誰でも来てもらって構いません。
皆さん、お話に来られるのです。
「そんなのお寺に話に行くの?」
「お寺って、何でも屋だね」、とはよく言われます。
そうなんです、お寺って何でも屋なのかもしれない。
確かに、お寺にわざわざ話にくることでもないのかもしれませんが
他の人に相談しにくいこと、悲しい辛いこと、
意外と話せる場が少ないのかもしれません。
驚かれますが、恋愛相談や、結婚の相談も多いのです。
お寺に、恋愛や結婚の相談するの?とも言われますが
最近は結婚式までの流れを聞かれる方も。
結納どうする?親族紹介は?などなど。
私が思うに、お寺の利点は
広く、偏りがなく、色々な視点で観られる、ということがあると思います。
様々な立場、生き方の人たちが訪れて、話をするということは
「こういう人もいるよ、こういうケースもあるよ」とお応えできます。
悩んでいる人なんかは、別のケースもあるんだよ、という話をしたとたん
パッと顔が明るくなって
「なぁんだ、自分の悩みなんて、ちっぽけですね!」と
笑いながら帰っていったこともありました。
悩みや辛さに面しているとき、それにがんじがらめになってしまうのが
ほとんどです。
自分一人ばかりが、辛い、大変な目に遭っていると思ってしまう。
でも、肩の力を抜いて広く見渡してみると、
みんなそんなものだったりする、自分なんて大したことない、ということがよくあります。
もちろん、悩むには原因があって
その原因を治さないとならない場合もありますが。
お寺には、いろんな立場、生き方の人が来ると書きましたが
お寺では、上も下も、できるできないもない、そんな空気があるような気がします。
みんな一緒、いろんなものが、ごちゃまぜ。
価値観というのは一つではなくて
それぞれが皆、違う価値観をもっていていいし、当たり前です。
自分の価値観があり、他人のそれも受け入れられるごちゃまぜ感がいいと思います。
お寺の話をすると
「お寺って、普段、そんなに人来るの?」
「誰でも行っていいの?」
「何しに、みんな来てるの?」などなど、聞かれます。
お寺によっても違うのでしょうし、
私は玉泉寺しか知らないのですが
玉泉寺の場合は、お客さんが来られない日もありますが
平均して毎日のように来られます。
住職が元教員であり、様々な相談をされる方が多くいらっしゃいます。
そして檀家さんもふらりと話にきてくれたりします。
山の上でお寺の看板をみつけ、やってきてくれる方もいます。
あとは、檀家さんでもないけれど、顔を出してくれる人たちもいます。
大体は、いつ来たいか、来るのかの連絡を受けてお待ちしますが
そうでなく、突然来られる時もあります。
そうした場合は、掃除をしていたり、何かバタバタしているときは
ゆっくり話ができないこともありますが
話をしたい、聞きたいという気持ちはこちらにはあります。
相談の人は、相談ですが
あとは、何でも、自分や身の回りのことの話をされる人も
野菜や花を持ってきてくれる人も
掃除をしてくれる人もいます。
ですから、玉泉寺には
普段も人が来ますし、誰でも来てもらって構いません。
皆さん、お話に来られるのです。
「そんなのお寺に話に行くの?」
「お寺って、何でも屋だね」、とはよく言われます。
そうなんです、お寺って何でも屋なのかもしれない。
確かに、お寺にわざわざ話にくることでもないのかもしれませんが
他の人に相談しにくいこと、悲しい辛いこと、
意外と話せる場が少ないのかもしれません。
驚かれますが、恋愛相談や、結婚の相談も多いのです。
お寺に、恋愛や結婚の相談するの?とも言われますが
最近は結婚式までの流れを聞かれる方も。
結納どうする?親族紹介は?などなど。
私が思うに、お寺の利点は
広く、偏りがなく、色々な視点で観られる、ということがあると思います。
様々な立場、生き方の人たちが訪れて、話をするということは
「こういう人もいるよ、こういうケースもあるよ」とお応えできます。
悩んでいる人なんかは、別のケースもあるんだよ、という話をしたとたん
パッと顔が明るくなって
「なぁんだ、自分の悩みなんて、ちっぽけですね!」と
笑いながら帰っていったこともありました。
悩みや辛さに面しているとき、それにがんじがらめになってしまうのが
ほとんどです。
自分一人ばかりが、辛い、大変な目に遭っていると思ってしまう。
でも、肩の力を抜いて広く見渡してみると、
みんなそんなものだったりする、自分なんて大したことない、ということがよくあります。
もちろん、悩むには原因があって
その原因を治さないとならない場合もありますが。
お寺には、いろんな立場、生き方の人が来ると書きましたが
お寺では、上も下も、できるできないもない、そんな空気があるような気がします。
みんな一緒、いろんなものが、ごちゃまぜ。
価値観というのは一つではなくて
それぞれが皆、違う価値観をもっていていいし、当たり前です。
自分の価値観があり、他人のそれも受け入れられるごちゃまぜ感がいいと思います。