2021年01月02日

2021 明けましておめでとうございます 

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

コロナの影響と、雪のために、今年のお正月は毎年よりお見えになる役員さんやお客さんが少なく、静かに過ごしています。

ただ、雪掻きのお手伝いに来てくれる心強い助っ人も何人かいて、本当に大助かり。
本当に、いつもありがとうございます。

静かな年の幕明けですが
今年こそは、会いたい人に会いに行ける世の中になるといいですね。

さて、明日1月3日、
SBCラジオ、中澤佳子のうっぴいステーション、
というラジオ番組のコーナーで、私が
少し出させていただきます!

ハイブリットフィーメル、という色々と頑張っている女性に話を聞く!というコーナーで、
明日3日と来週10日の2回に分けて、放送されるようです。

収録は昨年末に行ってきました!
お寺の奥さんという立場で色々と日々思うことをおしゃべりしてきましたが、うまく話せていたかどうか…^_^;
後からあとから、反省点は出てきますが、
多くのリスナーの皆さんに届くと嬉しいです。

18:05~19:00ですので、良かったらお聞きください!

 


Posted by 玉泉寺 at 23:17 | Comments(0) | お寺 | 子育て
 

2020年12月29日

どうぞ、良いお年を。

今年も残すところ、あと3日。

コロナウィルスという、信じられないものが出現して
私達の生活が一変した一年でした。

年末年始、帰省できず、家族に会えないなどの影響もあって
年賀状を送る人が例年より多いのだとか。
当たり前に会える、当たり前だと思っていたことが
当たり前にできなくなった一年でした。

普段通り、普通に穏やかに過ごせることが
いかに大切だったかを強く感じた一年。

厳しい一年ではありましたが、
今年、私は猟友会に入会し、
有害鳥獣対策やジビエ活用などに関心を持ち、
来年度はいよいよお寺カフェを開こう!と計画したり、
未来に希望を持って進んでいきたいと思っています。

未来に希望や目標が持てること。
そうであることで、少しでも前向きに進めるのだと思います。
希望を持てることの大切さを実感します。


来年は少しでも希望を持って、目標を持って、
過ごせると良いなと思います。

皆さま、良いお年をお過ごしください。

 


Posted by 玉泉寺 at 19:43 | Comments(0) | お寺
 

2020年12月20日

餅つき!

雪がたくさん降って、子どもたちは大喜び。
雪合戦や雪だるまで遊んでいます。



いよいよ年末も近づいてきました。
今日は、玉泉寺の近くの山で
森林保護などの活動をしているNPOの
餅つき忘年会があったので、遊びに行ってきました。



餅つきは、家庭ではやらなくなってきました。
お寺でもやりたいなぁ〜、と思うけど、やっぱり大変…
でも、子どもたちには、見せてあげたい。

来年もいい年になりますように!
願いを込めて、餅つきをしてきましたよ!

お寺は、先日の結婚式を始め、赤ちゃんのお初参りや
七五三など、お葬式や法事に限らず、
お慶びのことでも来られる方もいます。
悩み事の相談でも来られる方もいますし
悲しみも苦しみも、喜びでもお寺に来られます。

お寺とは
人生の節目節目、大切なときに寄り添う
大切な場だと思うのです。

また、何事も早いスピードでもって変わってしまう社会の中で
何百年も変わらずに同じ場所に同じように
ずっと在る、お寺という存在も
貴重で、大切な場所なのだと思います。

来年も、この場所で変わらずに。
ありのままで。
健康第一で過ごせたら、と願います!


 


Posted by 玉泉寺 at 17:03 | Comments(0) | お寺 | 子育て
 

2020年12月16日

己でさえ、己のものではない

子育てについて、何か心がけていることはありますか?、と
聞かれたことがあります。

仏教には、 
己でさえ己のものではない、という言葉があります。
自分自身のことさえ、思い通りにいかないことが
ままあります。
うまくいかなかったり、病気になってしまったり。
自分のことでさえ、そうなのですから 
ましてや子どもに対しても、自分のものではない、
という気持ちがあります。

こうなってほしい、とか
こうであってほしい、という期待や希望もありますが
子どもは親と同じように考えるとは限らないし
好みも考えも違う。
全くの別の生き物なんだな、と思います。

そうは言っても、希望もありますから、
それに反したとき、
何でこうなってくれないの?
と、ガミガミしがちですが、
「己でさえ己のものではない。
いわんや子どもをや。」

この気持ちでいれば、
無理に自分の考えを押し付けることはなく
自分もイライラせずに、ストレスフリーで居られます。

これは、子どもに対してに限らず
夫や妻であったり、部下、上司、
友人、ご近所さん、などにも
同じことが言えるんじゃないかな、と思います。

己でさえ、己のものではない
人に言う前に、自分自身を見つめ直せ、と
お釈迦さんは言うのです。

そんなふうに思っていると
イライラが少し減るように思います!
皆さまも、お試しあれ★




 


Posted by 玉泉寺 at 15:15 | Comments(0) | お寺 | 子育て
 

2020年12月13日

素敵な仏前挙式、執り行いました。

本日、玉泉寺本堂に於いて、ご結婚式を執り行いました。

コロナ禍の中、なかなか大人数を招いて行うことが難しくはありますが
本日の仏前結婚式は、ご両家のご両親様と若い新郎新婦のお二人での
ささやかなお式でした。

このような状況の中ですが、やはりけじめとして
式を挙げたい、というお二人の気持ちと
お祝いして差し上げたい、という私たちの気持ちで
本日を迎えました。

新婦さんのご家族は、私がお嫁に来るずっと前から
玉泉寺とご縁のある方たちで
住職が名付け親なのだそう。
私が出会ったときは、まだ20歳前の女の子だったのに
もう結婚してしまうのね~~、と、少し母親の気分にもなってしまいました。

小さな結婚式ではありましたが、
内容としましては、きちんとした仏前挙式。
お二人も、気持ちがすっとして
これからの新生活を迎えられる、と喜んでおりました。

コロナの影響で、結婚式を行えない人もいるのですが
その以前から、式はやらない、という人たちも多くいました。
でも、やっぱり、今日のお式を私もお手伝いとして間近で感じて、
区切りとして、けじめとして、
こうしたものは、絶対にやったほうが後々いい!!!!と
確信しました!!

あるデータでは、式を行わないカップルの方が、行ったカップルより
離婚率が高いのだとか。

やはり、新たな気持ちでスタートをきる、という気持ちが
式を挙げた方がより、持てるのだと思います。

そんな中で、私は仏前結婚式をおススメします!
(なんだか、だんだん、押し売りみたいになってきたわ・・・)

披露宴と挙式は違いますが、
会場費用もコンパクトに抑えられ、
ある程度の人数から、少人数まで、臨機応変に対応できる。
チャペルでの挙式とは、また違った厳かな雰囲気がある。
お香の香り立ち込める本堂での凛とした空間も素敵です。
(讃美歌もいいけど、声明やお経も良いもんです。
仏教的、誓いの言葉もあるんですよ。)

私も10年前の10月、この玉泉寺本堂にて式を挙げました。
今日のお二人を見て、久々に思い出されて、ジ――――ン。
(こうした思い出も、挙式を行っていれば、節々で思い起こされて
ケンカした時も、初心に戻れる・・・?という効果もある?)

私たちの場合は挙式の後、場所を変えて披露宴を行いました。

そのように、仏前結婚式、ご相談に乗れます!
コロナの中、悩んでいる方、式を挙げない予定の方、
仏前結婚式も選択肢に入れてみても良いと思います!

本日のお二人、ご家族の笑顔を見て
心からそう思ったのでした。

仏様のご加護の下、暖かい、素敵な家庭を築かれますように。
どうぞ、末永くお幸せに!!!


 


Posted by 玉泉寺 at 22:34 | Comments(0) | お寺
 

2020年10月23日

八正道 正見

お釈迦さまの教えの中に、八正道はっしょうどう、というものがあります。

8つの正しい道、ということです。

お釈迦さまは、生きる上での苦を取り除く実践術として
八正道を説かれました。

8つとは、
正見しょうけん・・・正しく物事を観ること
正思惟しょうしゆい・・・正しく考え判断すること
正語しょうご・・・嘘や悪口から離れること
正業しょうごう・・・殺生や盗みから離れること
正命しょうみょう・・・道徳に反する職業や仕事はせず、正当な生業をもって生活を営むこと
正精進しょうしょうじん・・・過去や未来に起きた不善を断じ、過去や未来に生じる善を増やすこと
正念しょうねん・・・常に、今現在の内外の状況に気づいている状態
正定しょうじょう・・・正しい集中力をもつこと


その中で、最も大切であり、基本であるのが
正見。物事を正しく見る、ということなのだそうです。


たとえ話で、よく話されるのが
コップの水のお話。

コップに水が入っている。
それを、
「まだ、これだけ入っている」、ととらえるか
「もう、これしか入っていない」、ととらえるか。

人は、たいてい「もう、これしか入っていない」と思うのだそうです。
そのように思考がはたらいてしまう。

でも、コップには、水が入っている。
その事実は変わらないのです。
コップに水が入っているというのは、変わらない。

それを、人は、これしか、という目で見がちなのです。
そこを正見。正しく物事を観て、判断する、ということが大切であると
お釈迦さまは説いているのです。


少し前、ちょっとしたことがあり、ズド―――ンと落ち込んでいる私に
副住職が話してくれました。

確かに。
私は私、という事実は変わらない。
自分以上でも自分以下でもない。
それを自分以下に見がちなんだな、と思ったことで
なんだか気が楽になりました。

周りだけでなく、自分自身を正しく見ることで
気持ちの落ち着きをかんじるのだな、と
それを知って、なんだか得した気分になったのでした。

皆さんも、正見、八正道、気にしてみると良いのではないかなと思います。


 


Posted by 玉泉寺 at 21:55 | Comments(0) | お寺
 

2020年09月30日

ずくだせテレビ 峰街道取材!

SBCずくだせテレビの取材がありました。

またもや峰の道話題ですが
峰街道を歩く、という企画の中で
ポカスカジャン大久保さん、
玉泉寺にも立ち寄って下さいました!

お母様が小川村出身なんだそうで。
地元話に花が咲きicon01

木曽義仲ゆかりの寺…
境内から広がるアルプスの景色。

少しの滞在、取材でしたが
峰街道の魅力が伝わると良いと思いますface05
これからハイキングシーズンなので、
景色を楽しみつつ歩かれてみては???face02

あ!放送日いつなのか、聞くの忘れたface08


小さくて分かりづらいけど、旭観音を拝観するの図 


Posted by 玉泉寺 at 14:59 | Comments(0) | お寺
 

2020年09月19日

おかげさま

先日、六波羅蜜シリーズ「布施」の本を読んでいたら
こんな事が書いてありました。

おかげさま、の言葉が滅多に口から出ない人は
自分を不幸だと思っている事が多く、
おかげさま、と言う人は少なくともその時点で自分を幸せだと思っている人が多いということ。
幸せな時間を多くしたければ
できるだけ多くの「おかげ」に気づき、
感謝すればよいのです。
感謝することと幸せを感じることは
比例するのです。

仏教の説く幸せとは
心が乱れていない状態をさします。
波のない穏やかな海に月の明かりがさすような状態です。
お金があるとか健康だとか言うことではありません。

お金があっても、もっともっとと思ったり
病気が怖く不安になるのも幸せとは言いません。
いつどんな事がおこっても、
心穏やかな状態が幸せだと仏教では考えます。

************************

確かに、
悩んだり、人を恨んだりする人と
おかげさまで、と言う言葉はくっつかないように思います。
逆に、物事が上手くいっていて前向きな人は
おかげさまで、と言っているかも、と
思いを巡らせてみました。

幸せだからおかげさま、と言うのか
おかげさま、と言っているから幸せなのか。
どちらが先なんでしょうね。
どちらだと思いますか?

毎日の小さなおかげに気づく事が
幸せの一歩なのだと感じました。








 


Posted by 玉泉寺 at 19:36 | Comments(0) | お寺
 

2020年09月18日

古い版木に姿勢を正す

富士見町のオオカミのお札展に
出張してきた玉泉寺の三峯さんの木版。

展示会を担当されたSさんが、
拓本をお願いしたい、ということで
お寺に来られました。




三峯のオオカミのお札だけでなく、
コロナ禍で、玉泉寺の蔵から発見された木版なども
見ていただきました。

全国を回り、様々なお札に触れているSさんですが
ここまで種類豊富な木版が残されているのは珍しいそう。
修験密教の寺院であり、
その昔は祈祷の際にも使われていたのだろうと話されました。

確かに、玉泉寺のお札は
オオカミのお札に、牛馬安全、
お蚕さんのお札、牛頭天王、お稲荷さん、
その他にも、文字盤や梵字のものも。

副住職が子供の頃は
正月に配るお札を
摩耶子ばあちゃんや、近所のおじいさんたちが
手刷りして作っていたのだとか。
40年ほど前までは、現役だった版木たち。

お蚕さんのお札は比較的新しいと思うのですが
なかなかお目にかかれないのだそう。
廃寺になると、真っ先に手放すのは
版木類なのだそうで、現存するのは貴重なのだと言います。


お札が残されているのは
幸いにも火災にあわなかった事もあるが、
修験密教の寺院でこうした山の中で
無住にならず、お寺が在り、
お札が守られていることが大変珍しいとSさんが
感激しながら話されていました。

記録からも古く、鎌倉室町の時代から歴史の残る玉泉寺。
知れば知るほど、その歴史の長さ深さに驚くのですが
秘境と言われるこの地に在りながらも
脈々と受け継がれてきた法灯を
私達も護り、継いでいるという思いを改に感じ
より一層、身の引き締まる思いがしました。

玉泉寺の古いお札たちを眺めながら
これからも頑張るぞと思ったのでした!icon09icon09


 


Posted by 玉泉寺 at 15:02 | Comments(0) | お寺
 

2020年09月09日

お墓をつくること

近年墓じまい、という言葉を
よく耳にするようになりました。


自分のあと、お墓を守る人がいないから墓を小さくする、
家族が皆遠くにいるからお墓を移す、
というように。

お墓をつくるにあたっても
今までのように伝統的なお墓ではなく
樹木葬や永代供養墓、合祀墓など
いろんな形、様式のお墓があります。

暮らし方が多様化しているので
お墓の在り方もそれと同様であるのは
自然の流れでもあると思います。


最近玉泉寺では
お墓を造られる方が、何組かいらっしゃいました。

その何組かの方を見ていて、
また、お話を聞いて感じたことがあります。

いつか来る未来に自分が入るお墓が在る、というのは
とても安心感をもたらすのだということ。

もちろん、お父さんお母さんが亡くなって、
埋葬するのに必要、という現実的な面もありますが
自らの最終的な居場所が在ると思う事って
大切なんじゃないかな、と感じました。


墓じまい、というとマイナスのイメージ、
墓を継ぐ、守る、というと負担になる、
あとに残された家族に負担を負わせるという
後ろ向きなイメージを想像しがちですが

お墓をつくられた皆さんは
晴れ晴れとしていました。
決して、墓を守るのは
負担ではないと思うのです。
それを負担と思う事が悲しいな、と思います。


親孝行、したい時に親はなし、と言いますが
今までのお墓を守るのも
墓じまいして、違う形に移すにしても
考えて、どうにかしていくことが
親孝行であったり
ご先祖さまを供養することではないかと
思うのです。


また、お墓をつくるということは
自分の周りの家族、親族に思いを巡らせ
更にその先の世代についても必然的に
考えるわけですから
自分が生まれてきたルーツ、
感謝を感じるのではないでしょうか。

先にも書いたように
最終的に自分の眠る場所が用意されている、というのは
安心感があるのだと思います。


お墓に関することを
負担ではなく、感謝を感じながら
携われる事が本来なのではないかと思います。 


Posted by 玉泉寺 at 12:03 | Comments(0) | お寺